周りの様子は少し変わってはいましたが、お寺はその頃のことを思い出させてくれました。
丁度テレビで「一休さん」を放送していた頃で、娘が「とんちんかんちん一休さん」と歌いお弁当を
石畳の上でいただき,お年寄り(今思えば今の私達くらい)の人達が吟行を短冊と筆を持って想像を
巡らせているのを見て「ゆとり」のある人たちで羨ましいな~と思ったものでした。
一休寺(酬恩庵)は一休禅師が再興し(1455~6)恩師に報いるという意味で「酬恩庵」と名をつけました。一休さんは幼名を千菊丸といって後小松天皇のご落胤といわれています。
17歳で宗純と戒名しました。
この碑は一休和尚の筆
「諸悪莫作」
「衆善奉行」
意味は数かずの悪行をすることなく多くの善行をすれば
自然に心が清く美しくなるという、お釈迦様の教えだそうです。
正月に杖の頭にドクロをつけて「ご用心、ご用心」とねり歩いたと言われています。
[一休咄]にあるいろんな頓知咄を作り出したようです。
一休さんの眠る御廟はこの向こう側にあります、 |
一休さんの最後の言葉は「死にとうない」とおしゃたとか・・・・・・
ここの門が開けられる日があります。命日にあたる11月21日とお正月三箇日です。
方丈 |
ここに一休和尚の木像がまつられています。
この方丈は1650年加賀の城主前田利常公のよって再建されました。
一休さんは81歳で大徳寺の住職となりこの椅子にのって通われました |
一休禅師木像です |
御逝去の年高弟に命じて像を作らせ、頭髪と髭は自らのものを植えたと伝えられています。
形にとらわれることなく心を大切にということの教えのためということだそう。
方丈庭園 |
一休和尚は今も何処からかこの美しい眺めを楽しんでみえるような気がします。
庭の向こうには一休和尚のお住まいのなっていた虎丘庵が見られますが、簡素なたたずまいで
ここで女の方と住まわれていたのだそうです。
沙羅の木 |
方丈を出て本堂へ続く小道は、もみじと沙羅の木がトンネルを作っていて緑の中を歩くと、とても
爽やかないい気持ちにさせてくれます。
鐘楼 |
大晦日の夜は除夜の鐘をたたくことが出来るのだそうですが、こんなに高いところから一度思い切り打って百八あるとか云う煩悩を洗い流してみることも・・・・・・・・
ここは小さな部屋になっておりここでお庭を眺めながらお薄とお干菓子(一休寺納豆入り)をいただきました。
おみやげの一休寺納豆は一休和尚が中国からの製法をもとに伝えられてきているのだそうです。
以前訪れたときに購入しましたが、私達が普段いただく物とは大違い黒い塩豆みたいですよ。
アミノ酸も豊富なんです。
この周辺も開発が進んでおり景観を守る活動に取り組んでいるとか、今いたる所で山が切り崩されているのをよく目にしますが、保護すべきところは政府も取り組んでほしいものです。
0 件のコメント:
コメントを投稿