2011年12月30日金曜日

最後の三十日

今日はもう今年最後の三十日で忙しい最中です。
近所にはお私が思うような正月のお飾りがなく駆け込みで京都の錦へ行ってみることにしました。
どうしても今日中に用意をしなくてはと張り切って出かけました。


今にも雪がちらついてきそうな鴨川には沢山の鳥が羽を休めています。
遠く離れた山並みは薄っすらと白くなっていました。
おー寒い!!

新京極通り
京極とは京の端と言う意味で、平安京時代都の両端にそれぞれ東西京極通りがあったのだそうです。
天正年間(1573~92年)豊臣秀吉が防御を目的として城下町と同じように市中の寺院を東京極通りに集め寺町としました。その一つ東の通りにあり名前は明治5年につけられました。


錦天満宮
天満宮は菅原道真公の父是善の旧宅として創建されました。
桃山時代には豊臣秀吉の計画により「金蓮寺」の敷地に移転し400年そこにあります。
明治5年神仏分離により「錦天満宮」となりました。


この鳥居を出るとそこからは錦市場があって、それは大勢の買い物をする人達でごった返しています。
私達もさぁこれから揉みくちゃの中に突入です。



歩くのも思うようにならず先ずはお飾りを求めて門口まで頑張って・・・・・・。
やっとお店を見つけいろいろ迷った末に、我が家には是くらいが相応かなと思うしめ縄飾りを買い
求めました。
これで一安心お正月を迎えられます。




大きな尾頭付きの鯛が所狭しと並べられております。、我が家ではこの様な立派な「祝鯛」長く見て
おりませんが、精々「切り身」が並べは善しとしましょう。






お店の前にはきれいな門松が飾られており、新しい年を迎えるばかりお店の心が伝わりますね。




私達もお正月の買い物を両手に持ちきれないほどして、美味しいおぜんざいを頂いて京の買い物に
満足満足。早く帰って遅くなってしまったお正月飾りをしなくては・・・・・・・。
しめ縄飾りはお正月にお披露目します。


2011年12月22日木曜日

蕎麦高月

今日は2人とも予定がないのでフラの仲間の方から山科に「高月」という美味しいおそばと京野菜のお料理を出している山の中にあるお店を教えていただいたので、
予約を入れて行ってきました。


車がやっと通行できるかなと思う山道を少し走ると茅葺き屋根の一軒家がみえてきました。


ここが春秋山荘「蕎麦高月」です。滋賀県の古い欅造りの民家を移築し屋根は葦で葺いたこの建物冬の訪れを見る一枚の絵をようです。



上がり端の囲炉裏にはもう赤々と炭に火が入り、温もりを感じるお部屋に案内されました。
養蚕を生業としていたので天井がとても高いのです。



珍しい大根そばが出ましたがシャキシャキとしておそばの香もあり珍しく私は初めていただくおそばでした。
お蕎麦は香りも腰も私好み、付け汁は鯛から取ったのだそうで美味しく蕎麦湯と一緒に頂きました。


京野菜の酢味噌かけ、ここにとても香ばしい牡蠣が入ってて驚き、一つ一つのお味を堪能させていただきました。



ご飯の代わりにと蕎麦すしですラッキー・・・・・香の物もあっさり。
接客も心配りが行き届き気持ちのいいランチタイムを過ごす事が出来ました。


毘沙門堂をお参りすることが出来ました。
「蕎麦高月」を訪れる細い曲がり口の手前にあって長い石階段のその上には歴史がありそうな御門
訪ねてみることにしました。

仁王門
1665年再興建立されました、本堂への表門になり浅草寺と同じ建築なのだそうです。
門には阿吽の2天像が護ります。

本堂へ入る門は唐門で日光東照宮と同じような雰囲気をもているいるのだと説明して下さいました。
本堂は将軍家綱が大檀越となり尾張の徳川家から木材を寄進され1665年に竣工されました。
後西天皇の皇子が入山され門跡寺院となったのだそうです。

宸殿
御所に合った旧殿を1693年に移されました。
襖絵は狩野探幽の養子狩野益信の作で、逆遠近法の「九老之間襖絵」が面白かったです。
衝立の鯉の絵は狩野探幽の作で左から見るとスリムな若鯉に見え、右から見るとメタボ鯉に見える
不思議な作品でした。私は右側好み・・・・・。

晩翠園
谷川の水を引き滝を造った江戸初期の回遊式庭園。池の後方には観音堂がありました。




樹齢150年をこえるしだれ桜の巨木で枝張りは30mにもなっているそうです。春にはきっと見事な花を咲かせることでしょうから、来年の春には是非とも見てみたいなぁ~。




この門は「勅使門」で、今では毘沙門堂門跡門主の晋山式以外は開門されないのだそうです。


今日「そうだ京都、行こう。」ならぬ山科へ行って毘沙門堂のしだれ桜がJR東海のコマーシャルの
桜だと知って驚きです。
東京に住んでいた頃にテレビで見て「わぁ京都の桜美しい、行きたいなぁ~」と羨望の思いでした。
来年4月絶対見に行きますよ。

2011年12月13日火曜日

友だち来る

12日東京で下町の踊りをお稽古していた時の仲間二人が訪れてくれました。
一人が上野の美術館で会った月光菩薩、日光菩薩さまの平生鎮まっているお寺を訪れたいと言うので薬師寺へ行くことになりました。

金堂

薬師寺は680年天武天皇により飛鳥の藤原京に建立されました。
薬師如来を中に日光菩薩、月光菩薩の三尊の美しい姿の仏様を拝み彼女は感慨にふけっているようでした。
さすがに白鳳時代の仏さまですね。

東塔(国宝)
奈良時代の高い工芸技術を現代に伝えている塔です。
明治時代に解体修理されそれ以来の修理が始まるので塔は周りを覆う工事が始まっていました。
8年もの長い年月が費やされるとか「しばらく見られないのですからよーく見といてくださいね」と
薬師寺の方が私達に言われました。

東院堂(国宝)
1285年に建てかえられましたが、ここは土間ではなく板が敷かれているのはこの頃禅の影響があったと考えられています。
聖観音菩薩の像(国宝)が置かれています。インドのグプタ王朝の影響を受けているのだそうです。

唐招提寺山門

唐招提寺金堂(国宝)
唐招提寺は759年鑑真和上が建立されました。
奈良時代の寺院金堂としては現在唯一の建物で寄棟造の本瓦葺です。
講堂をお参りしている時に係りの方が仏様の序列みたいなことを質問されましたが・・・・・
「御免なさい分かりません」と私達「これだけでも忘れずにお帰り下さい」
如来、菩薩、明王、四天王、羅漢様沢山の仏様がいらしゃいますがこれだけはお寺を出られても
憶えてお帰り下さいませ。
このなふうだったとは思うのですが・・・・・



御影堂(江戸時代)
御影堂は鑑真和上の弟子が講堂の梁が折れる夢をみて師僧の死去が近いことを知り造らせた
像という。
日本最古の肖像彫刻といわれております。
障壁画は鑑真和上の像に奉納するために東山魁夷画伯によって十年もの歳月をかけ描かれました。


法隆寺南大門(国宝)

法隆寺の境内入り口玄関になるこの門は入母屋造の一重門です。
1438年に再建されました。

五重塔
こちらは五重塔・金堂をを中心とする西院伽藍の方になります。
私達は閉館時間も近く残念ながら外から建物を眺めるのみとなってしまいました。

中門と回廊(国宝)
入母屋造の二重門で左右に金剛力士立像(奈良時代)を安置しています。
日本最古の仁王像です。

東大門(国宝)
夢殿へ向かう途中に建っている門です、奈良時代の八脚門で珍しい建物の一つです。
ここからは東院伽藍の方になります。


夢殿(国宝)
斑鳩宮跡に聖徳太子の遺徳を偲び739年に建てられました。
聖徳太子の供養の像が安置されていました。
このとき一人が真面目に「ねぇ時の下にはなんて書いてあるのときよってなーに」と聞くので二人は爆笑です(お腹が捩れるのではないかと心配なほどに)
「藤原時代でしょう」本人も「わぁ信じられなーい私馬鹿よねぇ」三人でまた大笑い・・・・
参拝券売り場のおじさんたちも「何がそんなに面白いの最高の笑顔だよ」と言って訳も分からず
そこでも笑いが起こりました。
「笑ってないでお札も見なさいよ」となんだかお知り合い同士みたいな愉快な会話のひと時でした。








このお庭は中宮寺で今赤い実の万両が咲き
つつましい感じの尼寺です。
江戸時代初期から門跡尼寺として今日に至って
います。
中学の教科書に載っていた弥勒菩薩像を修学
旅行で拝観した時の思い出があります。
こんなに目の前に本当の仏様がいるんだぁ~。

今日一日ハードな観光でしたがユネスコより世界遺産に登録されたいにしえの奈良の都を
3人仲良く訪れることが出来、車で私達を案内してくれた夫に感謝です。
夜は光善寺の居酒屋さんで4人でワイワイ盛り上がり楽しい一日でした。


13日は3人で京都へ行くこと決めました。先ずは蹴上げまで電車に乗って銀閣寺まで散策する事となりました。


琵琶湖疏水(トンネル)
琵琶湖疏水「水路閣」明治18年起工、23年竣工した煉瓦造のアーチ構造で京都を代表する最高の一つです。
インクラインとは急勾配を動力によって船や貨物を運ぶ装置です。
明治時代のトンネルをくぐり少し歩くと立派な山門見えてきました。


東照宮(金地院)
東照宮と言えば「日光東照宮」ですが上野公園の中にも「東照宮」があり、またここにも「東照宮」が
ありました。
江戸時代徳川家康は偉大な征夷大将軍だったのですね。
ここには徳川家康公の遺髪と持念仏が納められています。

南禅寺三門
藤堂高虎が1628年に再建し入母屋造、本瓦葺で日本三大門の一つです。
歌舞伎で五右衛門の「絶景かな絶景かな・・・・・」と感動する台詞が有名ですね。

三門の楼上から
急な階段を上がるとまだ紅葉がうつくしく映え、楼上は手摺がつやつや廻り縁をぐるりとひと回り
「絶景かな・・・・」を十分に堪能できました。

水路閣
南禅寺の境内にあり今もとてもきれいですが、きっと紅葉の色ずく頃には最高の絵になるでしょう。
映画やテレビにこの場面が使われるのも納得しますね。


水路閣の上を流れる琵琶湖からの疏水、京都の疏水はすべて北の方向に流れているそうです。

銀閣寺(国宝)
足利義政が1482年東山山麓に造営したものを死後禅寺に改められました。
京都楼閣建築の代表寺院です。

東求堂(国宝)
足利義政公の持仏堂で入母屋造、檜皮葺きの最古の書院造りです。






錦鏡池を中心に回遊式の庭園で波紋を表わす銀沙灘と富士山のような向月台がありました。
これらは自然の光りの反射を室内の明かりとして活かしていたのだと言われています。














ゆっくりとお喋りも楽しみながらの哲学の道を散策です、最後の金閣寺を見て遅いブランチでした。
おめんで美味しいおうどんをいただき、桜の頃に会う約束をして2人を京都駅まで送りました。
二日間の愉快な時間はここで終わりです。


2011年12月11日日曜日

枚方56市

今年最後の「枚方56市」になるのでお友達と枚方公園で待ち合わせ市を楽しむことになりました。
早速に私は公園駅の前に出ているお店で乾物などを買いお友達の苦笑をかう。



56市は若い人の手造りも沢山出ていて小さい子供を連れたお母さん方も多いようです。
ここにあったうさぎの置物がとても可愛く眺めていると「先はまだまだあります」腕をとられ次のお店に向かうことなりました。

元気な若者ニッコリ!はいポーズ
若者2人がくらわんか汁を「1杯100円でーす美味しい上に暖まりまーすよ」と呼びかけているのに
誘われ頂く事にしました。
お汁はおからをベースに鶏肉、ごぼう、油揚げの具沢山のさっぱりお汁で美味しかったです。

くらわんか汁




路地に入るとまだ宿場町の名残があり格子戸の家が並んでいます。
宿場町として賑わっていた頃を想像してみるのも面白いかな・・・・・
お友達のお家もこの時代に旅籠屋をしていたとかで嫁いだ時には長い間使い込んできた用品があったそうです。






枚方56市は東海道53次に続き徳川家康が京街道を
東海道の延長とし宿場をつくりました。京都から(伏見54)(淀55)(枚方56)(守口57)大阪の京橋となりました。
その宿場町56に因んでいるとか聞きました。



枚方宿は淀川の港町として30石船に乗ってくるお客さんに「餅くらわんか、酒くらわんか」とお茶碗に入れ売っていたのだそうです。
淀川の川底からはその頃使っていた茶わん等が出てきます。


本陣の建物は明治3年に取り壊さました






沢山の人で賑わっていますから少し遅くなると欲しい物がなくなってガッカリです。
私も燻製したさんまがゲットしたかったのですが売り切れており、変わりに鳥肉の燻製を買いましたがまだ食していないのこちらのお味は分かりませんです。



格子戸にここの方の趣味で集められたのか沢山のお面が飾られていました。
道行く人は立ち止まって「どのお面が好き、怖い」とか話して話題の一つになっていました。
私達も同じ事を言ってましたがさーてどれかな?



今日のお買い物の中で私一番のお気に入りの苔玉の松に笹が植えられたものです、お正月にここに少し梅の木を添えれば立派なお正月のお飾りになると思いませんか・・・・・・。


私達2人のんびりと市を見てまわり夫にも肩掛けバックの素敵なのを買い、酒屋さんの裏手にある
お洒落なパスタのお店でランチをしてなんと幸せな一日だったでしょう。