2012年4月27日金曜日

香里団地並木道・・・(枚方八景その5)

香里団地は1958年大規模団地としてスタート。
1973年2Kのアパートからが私達二人のスタート・ラインです。
その団地は久方ぶりに行ってみると、私達が3年ほど住んだ棟は周りも全部なくなり、棟の周りの桜の木々だけが大きくなっていて、きれいな花を咲かせていました。
その木の落ち葉を集め子供達に焚き火をして焼き芋をして下さったおじいさんと喜ぶ子供達の顔
そうなんです今では考えられないことですが、野良の「くろちゃん」と呼ばれるおとなしいが犬がいて
子供達のペットになりずいぶん可愛がられておりましたね。
その当時の思い出が懐かしく思い出されてきました。











この道は枚方公園駅から香里が丘のバス停まで続き,桜並木はとても綺麗なのです。

香里団地の桜公園も名所です。




けやき通り

けやき通りも美しい萌黄色になってきました。
朝焼けの空に新鮮な空気、胸いっぱーい吸って気分も爽やかに・・・・
今日も楽しく、よき1日を壮快過ごしましょうと思いながらの朝の一歩でした。




















新しい店舗が出来,レストラン・カフェなどお店が並びこの辺りも随分お洒落な通りになっていました。


私達がいた30年以上も前は、この辺り子供達の遊び場になっていて大はしゃぎ、ピーコックでお買い物をすませては近所のお母さんと一緒になって遊びに子育てに楽したっか思い出の場所・・・・
随分今時風になってはいても子育て中のお母さん達は同じかな?

いちょう通り

いちょう通りにも160本のいちょうの木が植えられていますが、今はまた若葉がではじめたばかりで緑の葉っぱをのばしています。
秋には黄色に輝く大きな枝を伸ばすことでしょう。




香里団地も50年、生活様式も変わり建てかえが始まり、一部は民間に譲渡され新しいマンションに戸建て住宅にと変わりつつある団地、街路樹も年輪を重ねて成長し,けやきの枝葉は空を覆い隠すほどに、桜は花を、いちょうは長く色付くまでを楽しませてくれます。
香里団地の枚方八景物語でした。


2012年4月23日月曜日

味噌造り


一度味噌作りをしてみたいと京都の大阪屋と言うこうじ屋さんに申し込みをしては「定員になっておりますので」と残念にも何度も断られていたのですが、やっと念願叶いこの度「味噌作り体験」を
する事が出来ました。

先ずはおかみさんからおいしい味噌を作るには「こうじ・豆・塩」についてのお話です。
  • 「こうじ」は一粒に麹菌をどれだけ多く付けられるかで「こうじ」の良し悪しがあるそうですが甘酒を作ってみるとよく分かるのだそうです。
  • 「大豆」は青大豆はお味噌の色がつよくなり、黒大豆はポリフェノールが多いので作る人が多くなっている。(皮をむくとおいしいが一般はしない方が多い)
  • 「塩」はミネラルの多いものを使う。  
さて私達の味噌作りですが、私は「中味噌」を作ることにしました。


生こうじ1kgをよく解しそこへ塩240g(シママース)をいれこうじとよく混ぜ合わせます。



大豆500g(つるむすめ)を圧力鍋で30分煮る。
大豆をざるに上げ、煮汁(あめ)はとっておく。
熱いうちに大豆を少しづつつぶし、こうじの中に入れる(形がなくなる程度でよい)



すり鉢で大豆を磨り潰しています









つぶした大豆をハンバーグを丸める要領で空気を抜き、こうじとよく混ぜ合わせます。
煮汁(200cc)で硬さを調節する。

このように空気を抜きます

空気を抜きまとめた味噌を、もう一度空気を抜きながら丸めます。





















容器に空気が残らないよう押し出すよう十分注意し味噌を詰め込んでいきます。



完全に冷めてから味噌の表面にラップを隙間なくなく張り、縁に付いた味噌をきれいにふき取り
アルコールで拭いて蓋をします。



お味噌が出来上がりました。
7月23日に手入れ(天地返し)をし混ぜ、この時カビを取り除きラップを取り替え、アルコール消毒をしておきます。
出来上がりは10ヶ月後です。さてさて待つのは長-いですが、それだけ楽しみもあるのだから
待ちましょう。

もうすこし難しく考えておりましたが、以外に簡単な手順でしたがカビがどうなるのか心配ですね。
カビ防止には塩を増やす、出来上がった味噌の上に重りを兼ねた塩を振る、熊笹を表面に置く
などいろんな方法があるを教わりました。
私達の場合はアルコールを利用しました。



初めてのお味噌作りの体験も出来、中庭の素朴な山アジサイを眺めてのお茶に漬物もいただき、4条で降りて大好きな「おめん」のランチもして私には贅沢な日でしたね。



2012年4月17日火曜日

伏見名水スタンプラリーに挑戦!

京都の伏見は「伏水」とも書かれるほど地下水に恵まれ街中至る所に湧き水が出ており水汲みを
している人を見かけます。
今日はお天気も良いので名水11ヵ所(約12キロ3時間20分)を一気に回ってみようと意気込んで
スタンプラリー出かけてみる事にしましたました。
京阪電車「墨染」で降りさぁスタート、12時少しまわりました。


1番 「藤森神社」

藤森神社
、平安遷都以前桓武天皇により都の南を護る守護神大将軍が置かれました。
「端午の節句」に」武者人形を飾る「菖蒲の節句」発祥の地です。

「不二の水」

不二の水
不二の水は二つとないおいしい水という意味です。
戦国時代から勝ち運を授ける水といわれています。




2番 「清和荘」

清和荘
ひとつひとつ手作りのお料理が自慢のお料理屋さんの庭にあったので驚きました。


「清和の水」

清和の井
清和荘のお料理をおいしくしている命の水です。
時間に余裕があったらランチのミニ懐石を頂きたかったですが・・・・・



3番城南宮」

城南宮
「城南宮」は方除の神として仰がれ、春と秋には「曲水の宴」を伝えています。


「菊水若水」

菊水若水
菊水若水を飲むと病気が治るという平愈の霊験あらたかな水です。
奈良のお水取りの水は若狭の国から「菊水若水」を通り2月堂の「若狭井」に達しているとも伝え
られています。



次の「名水」を求めて高瀬川の土手を歩きながら土筆はないかと捜して歩くも一本とて見付からず、主もいない釣り糸だけが長‐く流れているだけ・・・・。
近道を決めたも反って道に迷うことになってました。一体全体自分が今いる場所さえも分からなくなってしまうとは、兎に角家のある方へ歩こう。
やっと救いのおばさんが向こうからやって来ました。
「キンシ正宗」を尋ねましたが酒蔵ではありましたがブー。どれだけの人に聞いたでしょうか?
あっちこっちと歩き回りもやっと辿り着きました。



4番 「大黒寺」

大黒寺
大黒寺は空海(弘法大使様)の開基と伝えられています。
江戸時代に薩摩藩邸がこの辺り置かれ島津家の守り本尊と同じ「大黒天」が祀られていた事から
通称「薩摩寺」とも呼ばれました。


「金運清水」


金運清水
金運清水は大黒天に供えられ霊験あらたかな水といわれ金運良好、子孫繁栄など1日・15日は
豊かな幸せをお祈りする縁日があるそうです。


5番 「キンシ正宗」


創業時は「松屋」といって天明元年(1781年)だとか、創醸210年を機に「キンシ正宗株式会社」に
変更されました。
「紙カップ酒」を商品化したのは「キンシ正宗」だそうです。

「常盤の水」

常盤の水
常盤の水は中硬度の水質で鉄分が少なくカリウム、カルシウム、クロール等がふくまれ酒質には
欠かせないものとなっているのだそうです。


6番 「御香宮神社」 


御香宮神社
伏見九郷総鎮守として、今も多くの参拝者が訪れています。


「御香水」

御香水
御香水は今から1100年前の平安時代、水が湧き出しよい香が四方に漂いこの水を飲むとただちに病気が癒え、それに因んで「御香水」の名を賜ったとされています。
環境省の「名水百選」の1つになっています。



7番 「乃木神社」

乃木神社

乃木希亮典を祭神しています。
全国の崇拝者により大正5年9月13日に創建されました。

「勝水」


参拝者が勝運と家族の幸運を願い「勝水」で手を洗い、口をゆすぐ習わしなのだそうです。
「勝水」としての御利益の他にはんなりとしたのど越がおいしいと評判です。



4時を過ぎました。ゲームオーバー残念です・・・・。
4月6日スタンプ全てをで集めることが出来ませんでしたが続きは日を改めて巡ることにしましょう。

2012年4月13日金曜日

大住の桃の花に月読神社

今日は午後から夫が趣味の会の方から教えていただいた桃の花を見に行ってきました。
大住にお友達が住んでいたので何度も訪ねていましたが、30年振りのこの辺りは新興住宅地になり
様子はすっかり変わっていました。以前は沢山の桃山があったそうです。
今正に満開です。



目の高さの桃の木は辺りをきれいなピンク色の薄絹で囲んでいるように見えるのです。






後ろの小山で鶯の鳴く方を眺めてみると、ただうつくしい声だけが聞こえます・・・・・。


この近くに月読神社あるので行ってみることにしました。



神社の入り口にこの様な石碑があり「庭燎」記された歌がありました。
神楽は宮中の神楽を「御神楽」(みかぐら)一般の神楽を「里神楽」(さとかぐら)と言うそうです。

月読神社

「月読神社」の創祀は明らかではなく、延喜5年(905)には大社の格を有し、祭神は月読命(天照大御神の弟)とその両親(いさなき、いさなみ)の2つの神を配したと記されています。
鎌倉時代初め源頼朝から神馬の献上があったと伝えられているそうです。
この時代はこうして馬を奉納したそうですが、神社も世話に大変だったということです。
明治維新の戊辰戦争の際、石清水八幡宮の御神体を一時遷座された由緒ある神社です。 




「隼人舞」伝承 九州の大隅隼人が7世紀頃大住に移住し天皇即位の時などに朝廷で演じ、
また月読神社でも奉納して舞い伝えてきました。
「日本書紀」や「古事記」の「海幸彦山幸彦」の神話に起源するといわれています。

大住隼人舞パンフレット

現在は地元の人が保存会を結成し継承されています。
毎年10月14日の秋の例祭宵宮には奉納されるそうですから、是非とも見てみたいですね。


古池(福養寺庭園跡)

平安時代末から室町時代末期まで大住地域の多くは奈良興福寺の領地だったそうです。
月読神社もたびたびの兵乱で社殿は焼失再建を繰り返したそうです。
神宮寺として法輪山福養寺があったのですが明治の神仏分離でかこの庭園だけが面影を残しています。



カメラの電池切れに雨も降ってきましたので、本殿をとることが出来ず残念でしたが秋の奉納踊り
には来て忘れず撮る事としましょう。
本殿の裏のあたりにリスがいますね木に登って遊んでいましたから・・・・・
今日は桃の花を楽しみました~また秋には果実を楽しみましょう!!


2012年4月10日火曜日

淀川河川公園背割堤の桜

この春一番の桜鑑賞日和です。
45年ほど前の背割堤は「山城の橋立」と呼ばれ「鞍馬天狗」の嵐寛十郎さんなど時代劇の撮影で
この堤を馬に乗り疾走するシーンなどがよく撮影されたのだそうですが、昭和53年に松並木が虫の
被害にあって枯れてしまいその跡に桜250本が植えられ、現在の見事な桜のトンネルがみられる様になりました。



「八幡桜まつり」が10日まで開催しますとポスターにはありましたがまだ8分咲きもう少し延期されるでしょうね。
ここからは花見船といっても10人乗りのEボートとかいうゴムボートに乗船し宇治川の流のままに
木津川との合流する先端まで15分のんびり揺られて行きます。
野鳥が多く見られるそうでバードウオティングをしてみるのも楽しでしょうね。
この時も鶯の美しい鳴き声が・・・・・








宇治川
宇治川の水が渦を巻き、綺麗な文様をつくっていました。
川鵜も私達の出現に慌てて飛び立ちます。

「剣先 」
宇治川と木津川が合流する堤の先端は、剣の先のような形をしているので「剣先」と呼ばれています。

先端から今度は1.4キロのピンクに染まった花のトンネルの中を,二人で「綺麗ねぇ」を何度言ったことでしょうか。





















こんな根っこの所ににきれいな花を健気に咲かせていました。
蘖(ひこばえ)と夫は教えてくれましたが、辞書を引いてみると根元から生えてくる若芽の事で、孫生え(ひこばえ)の事とありました。



ソメイヨシノはバラ科に属し江戸の染井村(いまの東京都豊島区)から広まったのでこの名がついたのだそうです。


露台に腰掛けお店で買った草もちをいただき、桜とともに桜見物の人ウオチング、隣に腰掛けた東京からというカップル(どうもご夫婦には見えない)にワンカプのお酒をいただき、暫し桜談義に花が咲き楽しい花見でしたー。