2012年7月28日土曜日

「みたらし祭」 下賀茂神社

出町柳駅には大勢の人がいるので、何があるのかしらと尋ねてみると「今日は下賀茂神社のみたらし祭ですよ」と教わり「みたらし」と聞くと思い浮かぶのは団子・・・?
用を済ませた後行ってみると、表参道には沢山の露天がならんでおり、私はお祭の意味も分からず参道を人の後について行くことにしました。


下賀茂神社正面鳥居


かわいい盆栽にコケ玉がきれいに並べられており風鈴も涼しげですね。
夏休みの土曜日で家族連れが多い中、お父さんと男の子がゲームに興じて微笑ましい姿が見られました。
楼門
「みたらし祭」の祭事板が掲げられていましたのでこの門を潜りぬけると、そこにはお祭の由来が
書かれてありました。


『みたらし祭(足つけ神事)の由来。井上社に祀られている瀬織津比売命(せおりつひめのみこと)は罪けがれを祓い除き給う神さまです。
そこで昔から土用の丑の日にこの神池に足をつけ燈明をお供えし、御神水をいただくと諸病にかからず延命長寿の霊験あらたかと云い伝えられています』


私の蝋燭
お参りする人の後につき靴を脱ぎ、膝まで清水がきますから濡れないように準備してとの注意があり、パンツの裾を膝上まで上げ、お供えのための細いに竹串にさしてある蝋燭をいただいて訳も分からず入っていく事に・・・

みたらし池
みたらし池には日常は入ることは出来ませんが土用の丑の前後4日間御手洗池で無病息災を祈り水に浸り命の洗濯でしょうか。
土用の丑の頃には湧き水が増えるという「鴨の七不思議」の清水の中へ、とても冷たいシャキとします。
わたしのお燈明

皆さんとっても真剣な面持ちで蝋燭に火をつけお燈明台へとお供えに進みますが、これがまた
大変なのです。
何故かって・・・お供えするまでにお燈明が消えてしまうからなのです。
途中で投げ出してしまう人もいるようですが、それはどんなかな?                                 
私のお燈明
無心の境地で戻る事4回やっと心が届いたのかしら・・・「井上社」の前の燭台へお供えすることが出来「神さまがんばりましたー」


井上社(たくさんの足形の木が浮かんでいます)
井筒の上に祀られたことから「井上社」と呼ばれるようになりました。


清水(上がった後いただきます)
清水をペットボトルに入れていただき夫にも分けました。

足形の祈祷木は「井上社」の池に納めます


身も心も清め祈願もし、これからの人生元気80%位の力で頑張っていけたならうれしいなぁー。



土用になれば御手洗池から清水が湧き出ることは先に書きましたが七不思議の一つに上げられ

池底から自然に吹き上がる水泡を模したのが団子の発祥と伝えられています。


正面鳥居の側でその謂れあるみたらし団子を焼くいい匂いがしていますが、前には行列が出来ておりここで買わなくてはね・・・私も並びお土産に買っていくことにしました。


さる餅に黒豆茶
正面鳥居の入り口にある茶寮でお茶とお菓子で一休みです。
さる餅は140年ぶりに復元されたそうで、都人は「葵祭りのさる餅」と呼び親しんだ餅菓子なのだ
そうです。
上品な甘さの小豆の餅でいかにも神前にお供えするにはぴったりのお菓子のようです。


帰りは流鏑馬が行われる「瀬見の小川」の道側を通って戻りましたが、林のなかには樹齢はどれほどかな?堂々たる姿でそびえています

平安京からここに?
瀬見の小川
「石川やせみの小河の清ければ 月もなかれを尋ねてぞすむ」   鴨長明
この歌で小川は広く知られるようになったそうです。
昔の田舎にある小川の風景に似ていて、同級生と仲良く魚取りをした事を思い出しました。

お土産のみたらし団子
食事の後はデザートにお団子いただきました。
甘たれに小さなお団子が上に一つ間をあけ4つがお行儀よく並んでいました。
2本いただきながらオリンピック柔道の応援です。




今日は思わぬ出会いもあってワンダフルサタデーでした。
これも元気でいられる事と自由に放ってくれている相方さんのお陰です。
感謝・・・


2012年7月17日火曜日

宇治川縁でのんびりと・・・

「宇治川の川面と水の流れの音を聞きながらのんびりしたい!」と自然豊かな町「私市」に住む
お友達が言うので、[近くにきれいな川があるでしょう」と私
「広く堂々とした流れが見たいのよ」と言う彼女の願いを聞き宇治へ行く事となりました。


宇治川
ここに腰を下ろしうぐいすの声を聞きながら、2年振りのお互いの近況を話し労わり合いのんびーり
彼女を暫し1人にしてあげて、私は写真を撮ってまわります。

「源氏物語」 宇治十帖  浮舟と匂宮
「源氏物語」は54帖からなっていますが、最後の10帖は宇治を舞台ににした「宇治10帖」と呼ばれています。
光源氏亡き後の三人の哀れと思いし姫の悲恋物語が描かれており、宇治川周辺にはゆかりの
古跡があり、これらを巡る散策コースもあります。

朝霧橋
東側からの朝霧橋、向こう側は橘島から平等院の屋根が見られます。

宇治川発電所の放水口と放水路




工事竣工記念碑















宇治川電気株式会社は1906年(大正2年)に創立され、京都電灯、大阪電気これらの3社が
関西電力の前身だそうです。

宇治川上流
上流はゆったりと水が流れいき「うぐいすの鳴く声聞くや宇治の山並み・・・」見わたす景色に
うっとりします。


彼女と再び歩いて行くとお寺の門が見えてきましたので入ってみる事にしました。

興聖寺総門(石門)



















「興聖寺」は曹洞宗の禅寺で道元禅師が開基され
江戸時代慶安元年(1648)再興されました。


「琴坂」参道



苔むした小さな川















「琴坂」と呼ばれるこの参道は今は青みどりのトンネル、両脇に流れる小川のせせらぎは耳に
心地好く伝わってくるのです。

山門
江戸時代に建てられ中国式の山門は「竜宮門」とも呼ばれ、まるで竜宮城へ入って行くような感じ
になります。
山門から一直線、顔を前に向けると「法堂」があるのです。

鐘楼
立派な鐘楼1651年建立です、今も午前4時と10時に撞かれているそうです。


魚梆




雲版














興聖寺の「海梆」は長年の時を知らせたので、もうお腹に穴が開いていました。
ここは禅寺なので休日には一般の人も坐禅の体験が出来るそうです。

薬医門
門の前に植えられた「ひめこまつ」樹齢300年宇治市銘木百選に選ばれています。
姫小松は盆栽をする人に人気のある五葉の松の別名なのです。


四条天皇直筆の額

法堂(本堂)
法堂は伏見桃山城の遺構を使い慶安元年(1648年)建立されました。
慶長五年(1600年)落城の時の血に染まった板を天井、鶯張りの縁に使ったのだそうです。


中庭
禅寺らしくここでも修業僧がみえ黒い作務衣を来て庭の手入れをして見えましたが、簡素の中に
威厳のある見事な石のお庭です。
鶴と亀を表わしている庭だそうですが、良く見て来ずに残念でした。
冬の雪のちらつくシーズンにここの景色をみてみたい・・・・


朝早く家を出て二人ともお腹がグーグー、来た道を駅へ戻りますがそれらしきお店もなくやっと
一軒見つけランチにありつけました。

お昼の懐石膳
お洒落なお店がランチをしていたので入ってみることに・・・・
お魚は美味しく、冷たい茶碗蒸しも喉越しよくいただき二人で満足して玄関出るとお上さんでしょうか「是非またお越しください、お待ちしています!」とお見送りいただき気持ちよくお店をでました。

折角宇治に来たのだから「お団子」食べて帰りましょうとお茶屋さんへ入り「あずき入りホットミルクとおだんご」を注文なんと美味しいー!!


駿河屋で「茶だんご」をお土産に買って今日もまたローカルに乗ってお喋りしながら、紅葉の宇治を
訪れる事を約束して楽しかった宇治のぶらり歩きも終わりました。


2012年7月13日金曜日

ツタンカーメン展ー大阪天保山特設ギャラリー

お友達の「ツタンカーメン展行かない!」のお誘いに待ってましたとばかりに「OK」の一言です
長い行列を思うと今まで行きたくとも揺らぐ気持ちに背中をドーン・・・・
時間帯を少し遅い目にして、ゆっくりとランチタイムをとってギャラリーへ行く事としました。


大川と観光船


美々卯のランチ


















レストランの窓から広がる景色に、お喋りもご馳走に楽しいランチタイムです。
旧淀川(大川)に「八軒家浜船着場」があり江戸時代には30石舟が行き交い、道中膝栗毛の
「弥次・喜太」さんはここで下り大阪見物を楽しんだとか・・・
たっぷりの具のお蕎麦に鯖の押し寿司を完食、これで少々待つことも大丈夫かな・・・・

大阪天保山特設ギャラリー
たぶん長い時間待つ事と覚悟していきましたが、待ち時間30分なんとラッキーな事でしょう。

ポスター

ギャラリーに入ると大きなポスターが目に入りました。
人気があって期間延長した事がよく分かります、老若男女大勢の人が訪れていました。




古代エジプト。
最も古い文明の一つエジプト文明は5000年も前に北アフリカに流れるナイル川のめぐみによって発展し多くのピラミッドやスフィングスが作られました。
ツタンカーメンはおよそ3300年前の「新王国」時代の王さまの1人なのです。
1922年イギリスの考古学者ハワード・カーターによって発見発掘されました。

大帝国となったルクソールには大きな神殿が作られ、王家の谷に王の墓がつくられたのでした。
19歳で亡くなったとされるツタンカーメン王はミイラにして黄金の棺のなかに金色に輝く装飾品や剣、黄金のマスクを着け王家の墓で眠っていたのですね。
随分前に私はツタンカーメンのマスクを見ましたが、ピカピカに光っていた事と目の事しか覚えていなかったので、今回はゆっくりと見てみたいと出かけましたが出品されていませんでした。

ツタンカーメンの棺形カノポス容器(Sandro Vannini)
ツタンカーメンの体から取り出された肝臓が保管されていました。
笏と殻竿は王の権力を表わす物で胸の前で交差させて持っているのです。


ライオン飾りついた化粧容器(Sandro Vannini)

方解石製の器でライオンが獲物を襲う砂漠の狩りの様子が描かれています。
中には化粧品のような物が入っていたそうですが、ツタンカーメン王も目にはシャドーばっちり入れてこれはお洒落なのかそれとも・・・
砂漠は乾燥しており肌の保護のためにも化粧をしていたのでしょうか?


象嵌細工の黄金の襟飾りと、おもり(Sandro Vannini )          
ウセクと呼ばれる襟飾りは金と半貴石を横にして色ガラスを象嵌した飾り板から作られて、両端に
ハヤブサの頭がデザインしてありただただ感心するばかりです。

有翼スカラベ付き胸飾り(Sandro Vannini)


「スカラベ」日本では「ふんころがし」として知られています。砂漠などで動物の糞を丸め後ろ足で
転がし、土の中へ埋めて食べ卵をうみつけます。
古代エジプトの人は命を育む「太陽の神さま」として崇拝したのです。

ツタンカーメンの半身像(Sandro Vannini)
ツタンカーメンの肖像の中で最も美しいといわれるひとつですが、それは誰もが認めるでしょう美少年像でした。
下エジプト王冠を被ったツタンカーメンの像(Sandro Vannini)
ツタンカーメン王は身長約5フィート6(168cm)像もスマートですよね。
ナイル川の下流を下(しも)エジプトと呼び北にあたります。 
上流を上(かみ)エジプトとよび南になります。
王冠は下エジプトは赤、上エジプトは白、全土を治める王は両方を組み合わせた王冠を被るんだそうです。

天保山観覧車
外に出て大きな観覧車を眺め何故か「ホ~」としましたね。

3300年の時を越えても豪華絢爛です。
黄金に輝く財宝に、物を作る技術に感動するばかりで2人でその頃の日本といえば「麻の布を
纏って石のヤリで狩をしてたんでしょうねぇー」と落ちがつき大笑い!!
来て見てよかった「ツタンカーメン展」でした。



2012年7月8日日曜日

黄檗山萬福寺

今日は萬福寺の毎月8日に出る「ほていまつり」にイチジクジャムが欲しくて出かけました。
先月お友達に誘われ始めて萬福寺を訪れた際に求めたジャムが美味しく、私の好みにピッタリ・・・
萬福寺は中国明の国の僧隠元禅師の開山で、建物、仏像などは勿論ですが黄檗山全体が
中国風の概観でまた違った寺院の「美」を感じました。

総門
寛文元年(1661)建立。
屋根の左右にあるのは鯱のように見えますが、「魔伽羅」(マカラ)という想像の生物なのだそうです

放生池
生きものを供養する仏教の儀式「放生会」ですが、「萬福寺」では「蛍放生会」が6月に行われて
いるそうです。
きっと暗闇にホタルの光は幻想的なことでしょう。

万寿院(表門)江戸時代
隠元禅師と共に伽藍を建立した木庵禅師の塔所。

万寿院の参道から孟宗竹林を見る。
孟宗竹も隠元禅師が日本へもたらされましたとか。

三門
放生池から見る三門です。
屋根には宝珠が掲げられています。
萬福寺三門
延宝六年(1678)建立。
正面の「萬福寺」の額は隠元禅師の元筆です。

天王殿
三門を入ると一直線に三つの伽藍が並び最初にこの「天王殿」があり大きな布袋さんがお祀りされています。

布袋像(弥勤菩薩)
弥勤菩薩の化身とされる布袋像です。
京都の七福神の1人として崇められておられます。
布袋さんの笑っているお顔を見ていると、自然に口元が緩んできます。

韋駄天像

「韋駄天走り」といいますが、夜叉が仏舎利をうばい逃げた時これを追って取り返したという事から
韋駄天さんのように速く走ることをいうようです。
布袋様の背にいて本尊の釈迦如来を守る神様としてお祀りされています。


持国天(東方」




増長天(南方)














廣目天(西方)





多聞天(北方)














守護神四天王が四方を守っています。

大雄宝殿(重要文化財)



大きな七宝の香炉
















「大雄宝殿」寛文2年(1662)隠元禅師によって開山。
石畳のお堂は厳粛そのもの。
朝夕の勤行は今も中国で行われているのとほとんど同じなのだそうです。
とくに冬は修業僧にとっては辛いことでしょう・・・・



「法堂」の欄干は卍崩しになっており、其処からの「大雄宝殿」は日本の寺院には見られない光景で、白い砂の空間も心を落ち着かせてくれるのです。

法堂
「法堂」は住職が僧に説法するお堂です。
左右の方丈には歴代徳川将軍をお祀りしていますが入ることは出来ません。
丸窓が面白いですね。


「大雄宝殿」と「法堂」の間の白い砂はきれいに清められています。
この回廊にはベンチが置いてあって、腰を下ろし静かに物思うのに最適の居場所でしょう・・・

法堂からの回廊 
石畳の回廊は曲がり各伽藍へと続いています。
釣灯籠が灯されたらどのような雰囲気が醸し出されるのでしょうねか・・・

開梆(かいぱん)
木魚の原型とされ、叩く音で法要や食事の時間をしらせます。
目を閉じることのない魚は不眠不休を象徴し、口からは煩悩の珠を吐き出しています。
励み清い心持つようにと僧侶たちを叱咤する姿です。と書いてありましたがそのまま私達にも言えることですよね。

合山鐘
萬福寺では除夜の鐘は108に留まらず、新たな年を迎えるための全ての人が除夜の鐘を撞きます。




通玄門(江戸時代)

開山堂(祖師堂)
開山堂の庭












庭には沢山の鉢に蓮が植えられており美しい花が咲いていました。




9年間の苦行を成しとげられ禅宗の初祖達磨大師がお祀りされています。
縁起物の「だるまさん」は、面壁九年坐禅を組み手足が腐ってしまいだるまさんが出来たと
いいます。


中和園




中和井














後水尾院法皇の御生母中和門院の屋敷跡だそうです。
日常使用していた井戸がありました。


隠元禅師が中国から伝えたという普茶料理を少しは味わう事が出来るかもと、「普茶弁当」を
いただく事にしてみました。


普茶弁当
「五観の偈」(ごかんのげ)という食事作法の書かれた小冊子をいただき、ありがたくお弁当をいただきました。
いうまでもなく米粒一つも残さずにね。

今日はジャムのお店は開かないのかと気を揉んでいましたが、食事を済ませ寄ってみると
お店の開店準備をしていたのでチョピッリ文句を言ってみる・・・
来月は市が出ないというので3個お買い上げにすると、なぁーとお兄さん一個大瓶にしてくれましたなんてラッキーなのでしょうルンルン気分・・・




気を良くして帰る三門のところで若い修行僧の人達に出会いました。
この中のお一人は外国の人で、先月は作務衣姿で庭の草取りに精を出してみえましたがきっと
仏の教えを修行するは生半可なことではないでしょうに、頑張って僧侶になっていただきたいです。

天眞院の蓮の花
萬福寺の飾り気のない厳かな雰囲気が心に響き、「また来ますから」思いながら総門を出ました。