2011年11月30日水曜日

伊勢志摩・赤目四十八滝旅日記

11月29日夫婦二組の旅、彼達は奈良からの出発、待ち合わせ場所は鳥羽にあって肉料理「まつむら」の姉妹店「カーナービーナ」で待ち合わせです。
霜降り肉100%のお勧めのハンバーグをいただいて観光です。
三重育ちの私達2人は50年前に訪れた「イルカ島」を希望しましたが、さてどうでしょう・・・・・・・?

鳥羽マリンターミナル
まず,もう此あたりの観光船乗り場はすっかりと変わりきれいに整備され、日和山の姿さえも分かりませんでした。
50年は長いなぁー。
イルカ島



観光船が島に近ずきます、なんだか昔の風景其のままあの磯のかおりも・・・・・。


















イルカとアシカのショーは私の中では今この時までは最も素晴らしいショーであったと思っていたのですが・・・・・・。
それはそれは自然の中での素朴なショーなのでした。
あの時の感動が強く残っており、3人に伝えたかったのですが、私達の持つている感動の度合いも変わっていたからでしょうか?


観光船マーメード

三つ島

鳥羽湾めぐりは50分程です、穏やかな日和に静かな海の潮風を受けながら美しい景色を眺め
何と気持ちのいいことでしょうか。
皆で一言「これだけでもう十分そんなに気にしなくていいわよ。」
美しい鳥羽湾めぐりを一周して、新鮮な空気もたっぷり何もかもがリフレシュ出来ました。
さぁホテルへ!シーサイドロードの風景を楽しみながらのドライブです。


的矢湾にある三重県市町村職員共済組合の保養所でなんと7人の利用者だけっだたのです。














男性軍はふぐ鍋を私達は伊勢えびコースです。美味しくいただきました。
お酒も程好くいただき男性郡がカラオケがしたいと宣うので私達は「枯れ木も山の賑わい」
手拍子、足拍子時には掛け声と先ず先ずの聞く人になりきりました。
まだ歌い足りない2人を説得11時まで楽しみました。



安乗崎灯台も半島の先に見えます
ホテルからの朝日はとても美しいとお聞きしていたので、6時40分首が長ーくなるほど待ちましたが
支配人「今日は雲が厚そうですから難しいでしょう」それでも待っこと15分この写真が撮れました。



30日今日は室生赤目青山国定公園にある赤目四十八滝までのドライブです。
途中車1台通るのがやっとの道を対向車が来ないことだけを祈り、谷側の私はもう肩こりまくりなのでした。一体どれだけの時間を走ったのか?
この街道は「伊勢本街道」と言って江戸時代にはこの勾配のある仁柿峠を歩いておかげ参りをしたのだそうです。
山の紅葉も目には入っていましたが緊張のあまり覚えが無いのです。
赤目に到着しまずは一安心したのでした。

赤目四十八滝入り口

高校時代の私達のハイキングコースよく来たものです。
オオサンショウウオも池にいたような記憶がありますが、今では特別天然記念物大切に水槽でお休みになっていました。(動いているのを見た事はありませんが)

じゃんじゃの水
ここは多くの湧き水があり、その昔伊賀の忍者が修行の折身を清め心を鎮めたのだそうです。
湧き水が(じゃんじゃん出ている)、行者の持つ錫杖(じゃんじゃん)に似ている事から(じゃんじゃの水)と呼ばれているのです。
この水は心を清め幸せを呼ぶと言い伝えられています。

霊蛇滝
この滝を眺め階段を上がって行くと夫が「蛇がいる」と大きな声を出しています。私は「縄でしょう」と友達夫妻も「本当動いているよ」 私は急いで駆け上がると、いまだ冬眠場所を求めてのろのろ
しているのか、寝心地いい穴場が見付からないのでしょうかしらね。
この滝の周辺には蛇が多いのかな・・・・ちょぴり何か感じた?

不動滝
この滝は不動明王にちなんで名付けられ「滝参り」と言ってこの滝をお参りしたそうです。
明治の中ごろまではこの先奥には入れなかったのだそうですが、やはり行者の修行のお山だったのでしょうね。



それは美しい清らかな森に水、妖精でも住んでいそうな想いをめぐらします。

千手滝
複雑な岩を滑り落ちる美しい姿から「せんじゅ滝」と名付けられました。

屏風岩
目に映る混ざり合って美しい色の山の木々、大きな岩の間からも伸び出し力強さを感じる木々など
ただただ自然の素晴らしさを思うばかりでした。


護摩の窟





弘法大師禅定

お大師様が禅定してみえる像が安置されていました。
赤いフリルもきれいな、とても丁寧に縫ってある涎掛けが掛けてありました。
これを置いた人の心が分かるような気がしました。





お二人は駐車場へ早々にお帰りです、どうも歩く事がお2人揃って苦手でいつも静かなお二人は
私達とはあまりに違うのですが・・・・・・何故か楽しいんですね。

お腹はペコパー予約していただいたミュシュラン一つ星の「一如庵」へ直行です。

一如庵
150年前の民家を使ったお店で、手打ちそばと精進料理がいただけます。
私達は予約して下さっていたので「もりそば」をいただきましたが、ここまで来たのだからお料理も
食べてみたかったかな!(今度来るには少しばかり不便な所なのです)



床の間は帯が上手に利用してありました(脇の方」











もりそばは1000円です。
もりは少し大きいかなと思います。私にはお出しが少し濃いかったですが、おそばは美味しかったです。




赤い実の木が左側に右側には常緑樹が植えられて、こじんまりと整ったきれいなお庭でした。


私達二組の旅はここで終わりです。
5時に夕食の決まりがあるお二人はここでお別れ奈良へお帰りです。
まだ三時私達は少し戻って道の駅「宇陀路」行くことにしましたお野菜を買い昔懐かしい「鯛の落雁の中に白あん」思わず買ってしまいました。
結婚式の引出物には必ずあった一つですものね。

鯛のお菓子

奈良へ出る道路もまたくねくね道路です。最後までハラハラ、ドキドキの対向車の来ないこと願う全くこんな道路ばかりに遭遇今回は道路には困らされました。
めでたい鯛のお菓子をかって私達の楽しかった二日間も「目出たし,目出足し」無事終わることが出来ました。
沢山の思い出をありがとう!!


2011年11月23日水曜日

松柏美術館

勤労感謝の日松柏美術館へ出かけることにしました。美術館の近くに美味しいお蕎麦屋さんが
あるとお聞きしていたので、それも楽しみ・・・・・・。




上村松篁さんは物心ついた頃から花鳥画家を志していたといいます。
やはりお母さんの影響は大きなことでしょうね。
鶴の作品が並べられそれはあまりの素晴らしさに吸い込まれていきます。
松園さんの誰もがしる有名な作品が3点展示されていました(娘・鼓の音・唐美人)
親子の文化勲章は初めてのことでした。




昭和40年に佐伯勇氏(近鉄名誉会長)の自宅が建てられた旧邸にある内庭を土日祭日だけを
一般公開しています。


佐伯勇氏の旧邸 

逍遥の小径

なだらかな階段


竹林の細い小道



ピンクの椿



あまり広くはないお庭です「逍遥の小径」はいろいろ楽しめます。
この季節紅葉がとてもきれいでした。


ここにはかやぶき屋根のお茶室(伯泉亭)があり申し込めば利用出来るそうです。
お菓子とお薄をいただき、暫しこの美しさのなかに浸るばかりでした。


お昼はお勧めいただいたお蕎麦屋さんへ行ってみました。
おみせのまえの通りは広くメタセコイヤや楓が色づき並木道はとてもきれいで整備されていました。


蕎麦屋さんの蕎麦人


2人とも天ぷらそばをいただきました。田舎蕎麦はかおりも腰も良かったのですが私達にはすこし
ばかりボリュウムがありすぎでした(残すことが出来ないのですから・・・・・)


二宮金次郎(尊徳)
私が通った小学校の校庭にあった二宮金次郎さんを奈良の山すそにあるバス亭(傍示)で見ました。何と何処かで聞いたような懐かしい歌を夫が歌い始めました。
「芝刈り縄ない 草鞋を作り
親の手助け 弟を世話し
兄弟仲よく 孝行つくす
手本は 二宮金次郎」と歌っていましたが良く憶えていたものですね。

雨が本格的に降り始めました、今年は干し柿を沢山作っていますベランダに雨が降り込んでいないか心配でダッシュです、しかし一安心なのでした。



2011年11月20日日曜日

亀さん

久し振りの冬の長雨に日曜日(20日)「晴れたらいいね」と期待は大きい。
お墓参りかどちらが目的かも分からないほど訪れ事を楽しみにしている蕎麦屋さんがあります。
今回は用があって山田池のルートで行く事に池の手前の坂のトップになんともデカイ亀さんが歩いて
ごじゃる、助けてあげなくては事故に遭うかも知れない心配です。
怖がる夫に救助を頼むとこわごわ亀さんを手に持ち、坂を下りて来る姿はちょっぴり可笑しかった
のでした(笑って御免なさい!)
公園にいた係りの方に亀さんを池に戻してあげるようにお願いをして出発です。
お参りをすませ蕎麦屋さんへ、お腹も空いていたので待ち時間が長ーく感じる・・・・・・。


そば処「すはら」は一号線の石薬師にあります。



店内は古家の材木を利用してあり、床は板の間でゆったりしており寛げのんびり出来るのです。


夫は天ぷらそば

私はなめこそば
家族で「あうん」の呼吸ですばらしい、天ぷらはサクサクで甘く寒かった私はなめこそばをいただきました、お汁は私好みで具沢山美味しかったです。


この川は鈴鹿山脈から伊勢湾に流れる鈴鹿川です。
もう少し上流に行ったところで小学生時代を過ごし、子供の頃の事が深く心に残る故郷です。    いつも懐かしく思い出されます。
2人其々のしなくてはならない用を済ませ、帰りの車の中「亀さんの竜宮城を期待しょう」など怪しからぬ事を話しながら我が家へと無事帰ってきました。                                                                     

2011年11月16日水曜日

下賀茂神社

手作り市を見て回った後、下賀茂神社の「大炊殿」が公開さているので見に行くことにしました。
河合橋から「法」が山にくっきりと見る事が出来ました。



のんびりと1人気の向くままに「糺の森」を散策することに、どういうことかガードマンが多い。
尋ねてみると来年のNHKドラマ「平清盛」の撮影でやぶさめのシーンを撮っているとか、私もしばらく若い人と一緒に見物です(名前は聞いたのですがゴーン)
来年は馬を上手に乗りこなしていた二人の役者さんのドラマを見てみましょう(単純明快)


公園の中の松もすっかりと「こも巻き」の冬支度です。
害虫から守るために必要なこも姿、いたる所に見られる冬の風物詩ですね。


史跡糺の森





「糺の森」は3万6千坪あり東京ドームの約3倍の広さがあります。
賀茂川と高野川の合流地点に発達した森林で
平安時代からの姿をいまに残しています







河合神社











神社にはめずらしい門








社殿は1679年式年遷宮により造替された殿を修理したもの
平安時代の書院造りの形式です。


奥右に見える建物は鴨長明が各地を移動するのに便利なように組み立て式のもので、広さは
一丈四方の建物だったとか。

参道への道

ここから「烏の縄手」と呼ばれる小道があります、参拝するための参道で癒される森です。
縄のように長い細い道を縄手と言いますが、ここは「烏の縄手」と言うそうです。

烏の縄手
さざれ石
「さざれ石」とは小さい石という意味で火山の噴火によって石灰石が固まって出来た物だそうです。


桜門







東西回廊
















桜門、東西回廊とも古代様式を伝えています。
鴨川の下流にまつられているお社から「下鴨さん」と呼ばれているとか。
本殿は国宝です。縁結び、子育ての神さまとして祈願しています。
舞殿

神服殿
古代祭祀の神殿様式を伝える社殿。



公開中の「大炊殿」(おおいどのは)この唐門から入ります。










入り口の唐門(寛永5年)

どれも歴史が感じられますが、ここへ入って
来ると日本人だなと思われるのでした。






三井神社
三井神社は家族の平安を守る神さま。
葵祭の斎王で知られる歴代の斎王さまをおまつりしているとか。
奈良時代から平安時代にかけこの辺りを蓼倉郷と呼ばれていたそうです。

明治天皇がこの木馬に乗られて遊ばれたのでしょうか




葵の庭

双葉葵が自生しており、カリンの古木があって
有名になり「カリンの庭」とも呼ばれています。
斎王式子内親王が「葵の庭」を詠んだ庭です。










御井(みい)
水ごしらえの場。
お正月の「若水神事」など御水祭事が行われるところです。




大炊殿(おおいどの)

1624年江戸時代に造替されました。
神さまにお供えするものを調理する社殿です。
主にご飯やお餅など穀物
を調理しました。













唐車

屋根の造りは曲線状の「唐破風」になっていることから名づけられました。
格式の高い牛車です。
後方か乗り前から降ります。






葵祭、御影蔭祭など儀式に用いる物などが展示してありました。



三つ葉葵紋蒔絵駕籠・徳川家は氏神である神社の葵の紋を使用したと伝えられている。


儀装馬車・宮中でも儀式に使用されているものと同じ型で中央に座席が向かい合う四輪馬車です。


京阪電車出町柳駅を上がったところから見た大文字
世界文化遺産になった下鴨神社に広がる森林は幻想的で心やすまる空間です。           
いつまでも自然が今のままに残されことを思いつ少し色づきはじめた銀杏や紅葉を眺め帰りました