2011年9月25日日曜日

酒蔵のレストラン

交野の河内森駅から曲がりくねった趣のある昔ながらの家並みを通りぬけると無垢根亭に着きます。
いいお年頃のおじさんとおばさん7人この近くにお住まいの方のお勧めで酒蔵へ・・・・・・。


土手にはこの季節の花、彼岸花がきれいに咲いていました


いにしえの都、京に近くお公家さんの別荘も多くあったとか言われています交野が原です。
きれいに並べられた石垣の上に、土塀、藁葺き屋根であったろうと思われる屋根、遠く過ぎ去った昔の情景が浮かびます。




これらの石灯籠も暗い野道を
照らし、平安の時代清少納言も
歩いたかも知れない・・・・・・。











1826年にむくね村に半左衛門さんと言う方が酒造りを始められ、今では蔵でお酒と供に旬のお食事を頂くことができます。






お酒は「利休梅」に「六無斎」を大いに楽しみました。
お酒もいただき楽しさは2倍、2倍!!







この赤い器、私はすごーく気に入りました。
鴨のローストは最高に美味!!
お酒のゼリーは、ほんのりお酒の香りと旨みがしました。
オードブルからデザートまでお料理を十分楽しみました。



ここは酒造りの蔵の一角、ここではグループだけのプライベートなお食事会が出来るそうです。
みんなで大いに笑い、楽しみ、お腹もいっぱーい至福の時を過ごせた事に感謝なのでした。




2011年9月22日木曜日

与 勇輝展

15号台風も去り雲の合間から太陽も見え出しましたので、「与勇輝・昭和・メモリアル」の新作展を高島屋京都店へ見に行ってきました。


15年ほど前に初めて与さんの作品を拝見した時、心が激しく揺さ振らせる大きな感動を受けたのでした。
太郎君とれい子ちゃん(Saihodo Co,Ltd)
宵春の部分(Saihodo Co,Ltd)

与勇輝さんの「昭和・メモリアル展」は、夫が美術館で開催予定のパンフレットをもって帰り以前から
どうしも一度観たいという事で私もお供で行くこにと、そこには思いもしない二体のお人形が・・・・・・・
昭和天皇陛下と、マッカサーさんだったのです。
これがまず昭和なのかなーと・・・・・・
当時の木綿を使って細部までの心使い、まるでお人形が生きているように思われつつ引き込まれていくのでした。
美空ひばりさんの子供頃も、靴磨きの少年も,二人には懐かしい思い出が走馬灯のよう・・・・・・。
とても素晴らしいお人形に出会え、二人感動に満ち溢れた心持で展示場を出たのでした。



2011年9月18日日曜日

アサヒビール大山崎山荘美術館

京阪電車から見える天王山、そこにレンガ色の屋根が見え「大きな建物だなー」と思っていましたがアサヒビールの美術館だと知って行ってきました。




天王山悠遊、このトンネルを入ると美術館への道が・・・・・・


石がごろごろと重なりあった切り開いたままのような垣,もう一方はきれいに積んだ石垣その間を進んでいきます。
期待が膨らんでわくわく・・・・・・。


道の両側は植物がきれいに植えられていました。その中にこのような風船を膨らませたみたいな
大きいの、まだ小さいのが沢山咲いていましたが,これってなーに・・・・・?




この美術館は大正から昭和初期に建てられました。イギリスのチューダー様式の別荘として建てられたのですが、荒廃がひどく保存が望まれていたのを、アサヒビールが美術館として開館したのだそうです。








「かんさいいすなう」展をしており実際に座って自分にピッタリの気に入った椅子を探し出し感想を・・・・。
「あの人の椅子」のコーナーには京都府知事、大阪府知事の椅子もありましたが、座ることは禁止です。
「住んでみたいなぁ」大阪、京都・・・誰もが思うその様な都市造りをお願いします!!









2階のカフェから三川合流(桂川、木津川、宇治川)背割り桜が見られます。









テラスから見た池、きっと睡蓮の咲く頃には
モネの絵を思わせるような綺麗な花が咲き目を
楽しませてくれるのでしょうね。









ここからが新館になります。安藤忠雄さんの設計の絵画館、この階段を下りて行くと向こうにお庭が見えまるで一枚の絵を見ているようなのです。
「地中の宝石箱」、ここには5点のモネの作品が展示してありました(同じ頃に描かれた作品)
小さい森の美術館とても素敵でした。





「セルベレセコイヤ」この種類は日本ではめずらしいとか。
この木は大正5,6年頃アメリカから取り寄せた一本が成長したそうです。














      小川の流れ、音も癒されます。

















石の小さな太鼓橋が掛かった小川、情緒に富むこの風情はとても素敵な場所です。









原種の藤ばかま

キク科の多年草、秋の七草の一つで,葉は香料として使われ紫式部も十二単に忍ばせていたかも
しれませんね。
原種は絶滅の危機にあるとか、いま原種の藤袴ばかまを殖やし,守る会も出来ているとか聞いています。


大きな石に丸窓、誰もがちょっと覗いてみたくなる・・・・・・   

カフェの入り口にドイツ製の古いオルゴールが置いてあり、手動式で係りの方が掛けて下さる。
曲は「美しきポーランド娘」ここにも椅子が置いてあり、ゆったりと耳を傾けてみるものいいですね。
のんびりとした心持ちになってリザクレーションできたのでした。
冬、雪のふる日にまた来てみたい・・・・・・・。




2011年9月15日木曜日

石清水祭

平安の時代から千百五十年続く石清水八幡さまのお祭りが、九月十五日に行われることを知り
ぜひ午前2時からの儀式を見せて頂きたいと思ったのですが・・・・・・・
残念ながら来年の望みになりました。
それでも諦めずせめて「放生会」とは?早起きして行ってみることにしました。


「放生会」とはの説明をしてはいただきましたが、ちょっと難しいです「生きとし生けるもの」の霊を慰めるための行事とか・・・・・・。
この橋[安居橋」(あんごはし)と放生川で執り行われました。






頓宮から神職の方がお供え物を「高良神社」に持っていかれるところです。













ここが「高良神社」です。
旧八幡町の氏神さまでそうです。
「五穀豊穣」を願い参拝をされていたのでしょう。











今年の放生会は明治期の神仏分離以来,百四十年ぶりに天台宗の僧も出られて神職ともに
「東日本大震災」の祈りをこめ「生き物」慈しみ、「鳥」「魚」が放たれました。


雅楽と供に神職、僧それに舞をする小さい子供の行列ですが「安居橋」に向かっていきます。

天台宗のお坊さん方の祈りのお経があげられました








子供たち四人が雅楽の調べにのせて
「胡蝶の舞」を奉納しました。
ゆるやかに優雅に、頭に橘の花のかんざしを
挿して大きな蝶を背におい、とても上手に
舞っていました。






日本の歴史、文化、今日の放生会一つを見ていても私達は知らないことが多いことでしょうか。
この年になってもまだまだ学ばなければ・・・・・・・・


今日は朝早くから家を出て疲れ甘い物をと、一の鳥居の前にある老舗の走井餅を頂いて帰ることに、杵つきお餅は柔らかくて美味しくいただきました。
お店の創業は江戸中期とかそれに相応しい風格ある武者人形が飾ってあり、若いお上さんも素敵な方でした。





2011年9月13日火曜日

十五夜お月様

12日は十五夜。うっかりしていてお月様のお飾りするのを忘れてしまうところ・・・・・・・
お友達のご主人様が丹精込めて、十五夜に間に合うように作って下さったサトイモとお団子をあげ
十五夜お月様に捧げるのでした。


マンションの最上階の階段から見たお月様



今年はくっきりとまん丸お月様。
「うーさぎ、うさぎなに見て跳ねる」
「十五夜お月様見てはぁーねーる」
お月見にはいつの間にか口ずさんでいる・・・・
今年も元気に歌えて感謝!!











毎年栗も供えますが今年はまだ市場には出ていなくて、飾ることが出来なかったのです。
気候が不順のため果実なども生育が悪く、果樹園芸をしている方も予測のつかない年なって
大変なことです。
私達もちょとした心がけ「歩け歩け」が大切なことかも・・・・・・.。






2011年9月12日月曜日

おじいさんのお買い物

久し振りに帰ってきた娘と買い物に出かけました。
向こう側のスーパーに道路を渡ろうとした時「危ない」と大きな声で叫ぶので私の方が驚きました。
おじいさんもスーパーに行くつもりで横切ろうとした時でした。
路肩であやまって転んでしまったのです、彼女は素早く起こそうと手をかしますが、
慣れていない彼女は脇を抱き抱えるだけで、足にも力のないおじいさんも頑張って腰を上げようとはするのですが立ち上がることが出来ず、私も手をかしてして、どうにか立ち上がる事ができ
なんとか向こう側のスーパー入り口まで一緒に行くことが出来ました。
どう見てもお一人でお買い物するのは難しいと思いましたが・・・・・・
「私はいつも一人で好きなものを買ってタクシーで帰ります」とおしゃるので私達は「お気おつけて」と
腕を離し別れましたが、やはり心配です。
おじいさんは二,三歩進み花屋さんの台によたよたと・・・・まず花台によっかかり一安心したのですが歩き始めた途端また崩れるように尻餅をつきました。
もう見ていられない、彼女はおじいさんのお弁当を買いレジへ,その間にお店の方が車椅子を
持って来てくださりタクシー乗り場へ送ってくださいました。
こういう場合駐車している車の前で倒れたおじいさんを、乗っている男の人が進んで手助けするべき
であると思いますが・・・・・・・。
子供の頃から何かすべき事態が起こった場合、自然に手が貸せるように、また弱い人を守るということが日常普通に出来るようになるには、小さい頃からボランティアを当然のよう受け入れる外国の人とは、心はあっても表すことの下手な日本人とは違うのでしうか・・・・・・。






       

2011年9月6日火曜日

楽しい写真集

見ていて楽しくなったり、へえ~と思ったり、感心したりそのような写真です。




伊賀の忍者です。
ここでは忍者が、忍びの術を使ったりして見せてくれました。
外国の方が何人かいらして感心したり、驚いたりと興味津々でした。
伊賀忍者は織田信長が本能寺で亡くなった時
その時に徳川家康は伊賀越えをして白子の浜から岡崎に戻り、山を案内したのが
伊賀の忍者服部一族でした。
それが縁となり江戸城のお庭番となったとか・・・







これらの貝殻は沖縄の伊平屋村野甫島で集めました.
 私達夫婦は十年も思い続け、野甫島を訪れて
松宮さんご家族に会いたい!!
「おいしい塩を有難う」を伝えたい!!
その思いも今年実現し楽しいひと時を・・・・・
お子ちゃん達もホテルに連れてきてくださったので会えて嬉しかったですね。
とても素直な可愛い子達で両親の美しさがそのままに・・・・・・・・。




このバッタは冬の初めべランダで植木鉢の中で
ジーとしているのを見つけました。
こんな所で終わったりしないでよーと、中へ
ちょぴりタッチしてみると微かに動いたのです。
それからは毎日、毎日バッタが気になって元気でいるのを見ては一安心・・・・・・
暖かくなりバッタにも日光浴が必要かな~と
思って外に出し、暫くすると空へ飛び立っていたのです。
まだ寒い日もあって心配しもしましたが、きっと
自由が・・・・・・。


京阪交野線を走る(トーマス号」
東京から原発の影響を受けるのを少しでも避けたいと、関西を旅行していて我が家にも遊びに来ました。
5歳の子はこの電車を見て「わートーマスだ」と
大喜び、親はもう長期の遠出が続きグロキー
気味で大変な思いをしている様子でした。
原発問題も今回の政府に早く終決していただきたいものです。





「春眠暁を覚えず」春のうららかに・・・・・・何故かこの魚達も眠いのか泳いでいないのです。
びっくりしましたピタリと止まったままだたのです。




海上自衛隊のイージス艦 『あたご』
友達のご主人様がどうしても「岸壁の母」の
舞鶴港へ行ってみたいというので旅行の帰り道
寄ることになりました。
なんと大きーい、圧倒されます。
後ろに護衛艦も着岸していました。












『おかしなトマト』沢山のトマトの中にこんな形のトマトがありました。食べられなくて暫く眺めていると
なんだか「アトム」のように見えてきました。よく従兄に雑誌『少年」だったと思いますが、借りて読むのが楽しかった思い出が・・・・・・・。



ベランダのくちなしの木に青虫がだんだんと
大きくなってきて、蝶かはたまた蛾・・・・・・?
葉っぱを食べるので、小さいのは取って草むらへ移動です。
夜、部屋に大きなミツバチのようなたぶん蛾の
仲間が入ってきたので、電気を消し外へ出し
ましたが、たぶんあれはこの青虫だったと思っています。


7月18日アメリカとの対戦で延長戦でも決着がつかずPK戦になりました。
ゴールキーパー海堀選手がボックス選手のキックをスーパーセーブ感動の試合でした。







ゴーヤのつるに蜂がよく飛んできます。
昨年実家へ帰り庭の草取りをしている時蜂に手首を刺され痛かったこと・・・・・。
その時の事があるので、2度刺されると大変な
ことに・・・・軽率なことはしないよう慎重にカメラに収めました。










「杉・五兵衛」という自家製の素材を使って
お食事の出来るレストランへ行ってきました。
なかなかユニークな農園みたいでシニアカップル
小さな子供の家族連れ誰も楽しめます。










ここは売店、買った物は自分で計算し代金箱が置いてあるのでそこに入れます
後々思い出話なる写真を載せてみましたが、今の大変な事柄も後には「あ-だった、こうだった」と
「そう,こんな事もありましたね」と思い出に・・・・・・・・。





2011年9月4日日曜日

流れ橋(高津屋橋)が流される

台風12号で木津川が増水し橋が流されました。
数ヶ月前に行った時とは様子が全く違って、きれいな砂浜も周りの小さな木々も濁流に呑み込まれてしまっていたのです。

流れ橋中流のあたりが一番被害が大きい



燕が橋の周りを飛び回っていましたが
きっと橋桁に巣を作り、そこで子育てをしていたのでしょうから、巣をもとめ帰りたくとも出来なくなってしまって周囲をぐるぐる回っていたので
しょう、なんだか不憫でした。











河川敷には沢山のお茶畑がありますが、ここは私有地なのだそうです。
徳川八代将軍吉宗の頃財政赤字を抱えていたため、「享保の改革」を実行し河川敷も開墾を許し
私有と認めるかわりに、租税を徴収したのです。今もここには番地もあるそうです。
この話はここにお住まいの古老からお聞きしました。



   

もう秋の気配を感じられます。
すすきの穂も、萩の花も咲き始めていましたから・・・・・・。
五輪塔はよく見ますががここには十三もありました。





木津川がこのように一気に増水するのも川上の山が切り開かれて宅地になり、きれいな砂を浚えて
しまい自然の摂理がだんだんんと無くなってしいるからと地元の方が言われました。
もう今のままの自然を次の世代に置いてあげたいものです。