2012年4月13日金曜日

大住の桃の花に月読神社

今日は午後から夫が趣味の会の方から教えていただいた桃の花を見に行ってきました。
大住にお友達が住んでいたので何度も訪ねていましたが、30年振りのこの辺りは新興住宅地になり
様子はすっかり変わっていました。以前は沢山の桃山があったそうです。
今正に満開です。



目の高さの桃の木は辺りをきれいなピンク色の薄絹で囲んでいるように見えるのです。






後ろの小山で鶯の鳴く方を眺めてみると、ただうつくしい声だけが聞こえます・・・・・。


この近くに月読神社あるので行ってみることにしました。



神社の入り口にこの様な石碑があり「庭燎」記された歌がありました。
神楽は宮中の神楽を「御神楽」(みかぐら)一般の神楽を「里神楽」(さとかぐら)と言うそうです。

月読神社

「月読神社」の創祀は明らかではなく、延喜5年(905)には大社の格を有し、祭神は月読命(天照大御神の弟)とその両親(いさなき、いさなみ)の2つの神を配したと記されています。
鎌倉時代初め源頼朝から神馬の献上があったと伝えられているそうです。
この時代はこうして馬を奉納したそうですが、神社も世話に大変だったということです。
明治維新の戊辰戦争の際、石清水八幡宮の御神体を一時遷座された由緒ある神社です。 




「隼人舞」伝承 九州の大隅隼人が7世紀頃大住に移住し天皇即位の時などに朝廷で演じ、
また月読神社でも奉納して舞い伝えてきました。
「日本書紀」や「古事記」の「海幸彦山幸彦」の神話に起源するといわれています。

大住隼人舞パンフレット

現在は地元の人が保存会を結成し継承されています。
毎年10月14日の秋の例祭宵宮には奉納されるそうですから、是非とも見てみたいですね。


古池(福養寺庭園跡)

平安時代末から室町時代末期まで大住地域の多くは奈良興福寺の領地だったそうです。
月読神社もたびたびの兵乱で社殿は焼失再建を繰り返したそうです。
神宮寺として法輪山福養寺があったのですが明治の神仏分離でかこの庭園だけが面影を残しています。



カメラの電池切れに雨も降ってきましたので、本殿をとることが出来ず残念でしたが秋の奉納踊り
には来て忘れず撮る事としましょう。
本殿の裏のあたりにリスがいますね木に登って遊んでいましたから・・・・・
今日は桃の花を楽しみました~また秋には果実を楽しみましょう!!


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