朝早く出発するにも拘わらずホテルがお抹茶を出して下さり、やはりここはお茶とお菓子どころ美味しくいただきました。
先ずは出雲大社お参りです。
大社の鳥居を潜るとそこから大社まで400本の松がきれいに植えられ、3本の道には玉砂利が敷かれており、終戦後はどの道も通ることが出来るようになりました。
これらの松は松平公夫人が植えられたそうです。
出雲地方では「神在月」と言うのだそうです。
神様が集まる遥拝所の前にはお願い事を
するために、たくさんのおみくじが結ばれておりました。
神様もこれだけあれば話し合うのも大変でしょう。
大きなしめなわです |
御本殿は「平成の大遷宮」で修理中でした。
平成25年5月10日に大国主大神さまは
御本殿にお還りになられるそうです。
「幸魂奇魂」時に海を照らして依り来る神あり |
大黒様といなばの白うさぎ |
知りませんでした。
兄3人と姫をめとる旅で出会ったうさぎを助けた大国主命に感謝して姫を縁付けをした。
これが縁結びの大社といわれる由縁なんだそうです。
古代出雲歴史資料館にはロマンがいっぱい詰まっていて見てて楽しいですよ。
「岩根御柱」 |
「岩根御柱」この大きな3本束ねの柱が地下から見つかり、その巨大さに驚ろかされたそうです。
平安時代の本殿は推定48mもあったとか東大寺の大仏様より高いでしょう。
銅鉾(国宝) |
出雲の旧大社駅が保存されていました。「国鉄」何だか懐かしい・・・・・寄ってみる事にしました。
国鉄大社駅は宮殿風入母造りを表現し、明治4年から平成2年まで78年間出雲大社の表玄関として親しまれ走りつづけてきました。
D51形蒸気機関車 |
高校の修学旅行で萩・九州への旅、トンネルにはいる前になるとアナウンスがあり早く窓を閉めないと石炭の粉塵が顔に・・・男子が面白がって閉めないので女子がプンプンです。
みんなで大笑いした懐かしの思い出。
これから石見銀山へと、日本海も穏やかでした。
龍源寺間歩までレンタ電動サイクルを借り走ったのです。
電動サイクルに乗るのは初めて10回も漕ぐとふうふうこのゆるい坂も降りたのでした。
ここが龍源寺間歩跡です。
間歩とは坑道のことを言います。ここには600以上の間歩があると言われており、龍源寺間歩は
代官所直営の間歩で江戸時代は600mにもおよんでいました。
人がやっと入れる位の坑道で、サザエの貝の中のローソクの火が終わるまで4時間掘りつづけるのですから、短命だったと言います。
銀を含む鉱石は福石と呼ばれていた |
佐昆売山神社「さひめやま神社) |
さひめ山神社は鉱山の守り神様。
100段の石段を上がると立派なお社がありましたがとても古く痛みがひどかったです。
神社は鉱夫や村人から「山神さん」と
呼ばれ親しまれていましたとか。
行きはふうふう帰りはスーイと早い、レンタル屋さんのおじさんに大変だった思いを愚痴ると「それは変だよ楽なはずだよおとうさんは?」返事は「うん、楽だったよ」おじさんさん一言「スイッチは入てないもん」乗る時に教えてよね。
羅漢寺は徳川吉宗の次男宗武卿の援助と寄進などで1776年25年かけて完成した。
羅漢像は福光の石工が22年の歳月をかけて
彫像したものです。
五百羅漢とはお釈迦様の弟子で仏様と私達
人間との間の存在なんだとか。
じーと眺めていると何だか笑えてくるからおかしい・・・・・。
反り橋
石窟の前の銀山川には3つの反り橋が架かっていますが、橋は石を組み合わせて造ったもので
当時のまま今に至っています。
いろんなお顔の羅漢さんを拝し心も和みつ、足どりも早くなりつつ、今夜のホテルを考えつ・・・・・・
さあ今夜は宍道湖畔の宿です。
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