2011年9月6日火曜日

楽しい写真集

見ていて楽しくなったり、へえ~と思ったり、感心したりそのような写真です。




伊賀の忍者です。
ここでは忍者が、忍びの術を使ったりして見せてくれました。
外国の方が何人かいらして感心したり、驚いたりと興味津々でした。
伊賀忍者は織田信長が本能寺で亡くなった時
その時に徳川家康は伊賀越えをして白子の浜から岡崎に戻り、山を案内したのが
伊賀の忍者服部一族でした。
それが縁となり江戸城のお庭番となったとか・・・







これらの貝殻は沖縄の伊平屋村野甫島で集めました.
 私達夫婦は十年も思い続け、野甫島を訪れて
松宮さんご家族に会いたい!!
「おいしい塩を有難う」を伝えたい!!
その思いも今年実現し楽しいひと時を・・・・・
お子ちゃん達もホテルに連れてきてくださったので会えて嬉しかったですね。
とても素直な可愛い子達で両親の美しさがそのままに・・・・・・・・。




このバッタは冬の初めべランダで植木鉢の中で
ジーとしているのを見つけました。
こんな所で終わったりしないでよーと、中へ
ちょぴりタッチしてみると微かに動いたのです。
それからは毎日、毎日バッタが気になって元気でいるのを見ては一安心・・・・・・
暖かくなりバッタにも日光浴が必要かな~と
思って外に出し、暫くすると空へ飛び立っていたのです。
まだ寒い日もあって心配しもしましたが、きっと
自由が・・・・・・。


京阪交野線を走る(トーマス号」
東京から原発の影響を受けるのを少しでも避けたいと、関西を旅行していて我が家にも遊びに来ました。
5歳の子はこの電車を見て「わートーマスだ」と
大喜び、親はもう長期の遠出が続きグロキー
気味で大変な思いをしている様子でした。
原発問題も今回の政府に早く終決していただきたいものです。





「春眠暁を覚えず」春のうららかに・・・・・・何故かこの魚達も眠いのか泳いでいないのです。
びっくりしましたピタリと止まったままだたのです。




海上自衛隊のイージス艦 『あたご』
友達のご主人様がどうしても「岸壁の母」の
舞鶴港へ行ってみたいというので旅行の帰り道
寄ることになりました。
なんと大きーい、圧倒されます。
後ろに護衛艦も着岸していました。












『おかしなトマト』沢山のトマトの中にこんな形のトマトがありました。食べられなくて暫く眺めていると
なんだか「アトム」のように見えてきました。よく従兄に雑誌『少年」だったと思いますが、借りて読むのが楽しかった思い出が・・・・・・・。



ベランダのくちなしの木に青虫がだんだんと
大きくなってきて、蝶かはたまた蛾・・・・・・?
葉っぱを食べるので、小さいのは取って草むらへ移動です。
夜、部屋に大きなミツバチのようなたぶん蛾の
仲間が入ってきたので、電気を消し外へ出し
ましたが、たぶんあれはこの青虫だったと思っています。


7月18日アメリカとの対戦で延長戦でも決着がつかずPK戦になりました。
ゴールキーパー海堀選手がボックス選手のキックをスーパーセーブ感動の試合でした。







ゴーヤのつるに蜂がよく飛んできます。
昨年実家へ帰り庭の草取りをしている時蜂に手首を刺され痛かったこと・・・・・。
その時の事があるので、2度刺されると大変な
ことに・・・・軽率なことはしないよう慎重にカメラに収めました。










「杉・五兵衛」という自家製の素材を使って
お食事の出来るレストランへ行ってきました。
なかなかユニークな農園みたいでシニアカップル
小さな子供の家族連れ誰も楽しめます。










ここは売店、買った物は自分で計算し代金箱が置いてあるのでそこに入れます
後々思い出話なる写真を載せてみましたが、今の大変な事柄も後には「あ-だった、こうだった」と
「そう,こんな事もありましたね」と思い出に・・・・・・・・。





2011年9月4日日曜日

流れ橋(高津屋橋)が流される

台風12号で木津川が増水し橋が流されました。
数ヶ月前に行った時とは様子が全く違って、きれいな砂浜も周りの小さな木々も濁流に呑み込まれてしまっていたのです。

流れ橋中流のあたりが一番被害が大きい



燕が橋の周りを飛び回っていましたが
きっと橋桁に巣を作り、そこで子育てをしていたのでしょうから、巣をもとめ帰りたくとも出来なくなってしまって周囲をぐるぐる回っていたので
しょう、なんだか不憫でした。











河川敷には沢山のお茶畑がありますが、ここは私有地なのだそうです。
徳川八代将軍吉宗の頃財政赤字を抱えていたため、「享保の改革」を実行し河川敷も開墾を許し
私有と認めるかわりに、租税を徴収したのです。今もここには番地もあるそうです。
この話はここにお住まいの古老からお聞きしました。



   

もう秋の気配を感じられます。
すすきの穂も、萩の花も咲き始めていましたから・・・・・・。
五輪塔はよく見ますががここには十三もありました。





木津川がこのように一気に増水するのも川上の山が切り開かれて宅地になり、きれいな砂を浚えて
しまい自然の摂理がだんだんんと無くなってしいるからと地元の方が言われました。
もう今のままの自然を次の世代に置いてあげたいものです。 




2011年9月1日木曜日

一休寺さん

京田辺へ行ったので、30年ぶりになりますか一休寺さんへ行ってみました。
周りの様子は少し変わってはいましたが、お寺はその頃のことを思い出させてくれました。
丁度テレビで「一休さん」を放送していた頃で、娘が「とんちんかんちん一休さん」と歌いお弁当を
石畳の上でいただき,お年寄り(今思えば今の私達くらい)の人達が吟行を短冊と筆を持って想像を
巡らせているのを見て「ゆとり」のある人たちで羨ましいな~と思ったものでした。


一休寺(酬恩庵)は一休禅師が再興し(1455~6)恩師に報いるという意味で「酬恩庵」と名をつけました。一休さんは幼名を千菊丸といって後小松天皇のご落胤といわれています。
17歳で宗純と戒名しました。






この碑は一休和尚の筆
「諸悪莫作」
「衆善奉行」
意味は数かずの悪行をすることなく多くの善行をすれば
自然に心が清く美しくなるという、お釈迦様の教えだそうです。   
正月に杖の頭にドクロをつけて「ご用心、ご用心」とねり歩いたと言われています。
[一休咄]にあるいろんな頓知咄を作り出したようです。



一休さんの眠る御廟はこの向こう側にあります、
天皇のお子様なので宮内庁が管理をしており一般の人は立ち入ることが出来ません。
一休さんの最後の言葉は「死にとうない」とおしゃたとか・・・・・・
ここの門が開けられる日があります。命日にあたる11月21日とお正月三箇日です。

方丈






ここに一休和尚の木像がまつられています。
この方丈は1650年加賀の城主前田利常公のよって再建されました。








一休さんは81歳で大徳寺の住職となりこの椅子にのって通われました




一休禅師木像です
1481年11月21日88歳でなくなられました。
御逝去の年高弟に命じて像を作らせ、頭髪と髭は自らのものを植えたと伝えられています。
形にとらわれることなく心を大切にということの教えのためということだそう。

方丈庭園


一休和尚は今も何処からかこの美しい眺めを楽しんでみえるような気がします。
庭の向こうには一休和尚のお住まいのなっていた虎丘庵が見られますが、簡素なたたずまいで
ここで女の方と住まわれていたのだそうです。




沙羅の木















方丈を出て本堂へ続く小道は、もみじと沙羅の木がトンネルを作っていて緑の中を歩くと、とても
爽やかないい気持ちにさせてくれます。

鐘楼
鐘楼は入母屋造りで下から見上げるととても大きくて雄大です。
大晦日の夜は除夜の鐘をたたくことが出来るのだそうですが、こんなに高いところから一度思い切り打って百八あるとか云う煩悩を洗い流してみることも・・・・・・・・


ここは小さな部屋になっておりここでお庭を眺めながらお薄とお干菓子(一休寺納豆入り)をいただきました。
おみやげの一休寺納豆は一休和尚が中国からの製法をもとに伝えられてきているのだそうです。
以前訪れたときに購入しましたが、私達が普段いただく物とは大違い黒い塩豆みたいですよ。
アミノ酸も豊富なんです。
この周辺も開発が進んでおり景観を守る活動に取り組んでいるとか、今いたる所で山が切り崩されているのをよく目にしますが、保護すべきところは政府も取り組んでほしいものです。






2011年8月27日土曜日

ブルーベリー狩り

毎年恒例になっている夏も終わりに近くなる頃の私達の大仕事になるブルーベリー摘みに童仙房に
行ってきました。
雨模様の中思い切って行く事に決定するにはもう時期がぎりぎり実が少なくなってしまうのが怖ーい
から・・・・・。


童仙房は静かな山郷,この日は雨の降った次の朝でより以上に空気が澄みわたり、緑は何処までも美しく癒されます。
ブルーベリーを摘むのはとても大変なんです。
夏の一番暑い頃に実が生りますから、小さい実を一つ一つ採って駕籠(二キログラム)一杯にするには暑さとの戦い、この時ばかりはすごーい忍耐力を発揮しなければ・・・・・・・・
農業を営むことがどれだけ大変な仕事であるか、ここへ来る度思うのです。

ブルーベリーの木です、果実が熟すと青紫色になります



これから一年間私達はヨーグルトにトッピング
していただきます。
冷凍庫の中はブルーベリーで一杯になっています。

ブルーベリージャムも作っておきます。













年の積み重ねと供に体の機能は衰えてきますが
ブルーベリーにはアントシアニンが多く含まれており目の回復にはとても効果があるそうです。 
ポリフェノールは細胞の老化防止、活性酸素の抑制力があって、コレステロールの高い私には欠かせないブルーベリーです。                                
これで一年、一安心・・・・・・・・・。



2011年8月24日水曜日

田んぼアート

今年も夫のお友達から「田んぼアート」が送られてきました。昨年も見せていただきましたがとても
素晴らしい!!
お友達家族は弘前にお住まいで「田んぼアート」は隣の田舎館村(いなかだてむら)で描かれているのだそうです。




「五条大橋での戦い」
牛若丸と弁慶
















この二枚の写真は昨年の「田んぼアート」です。
今のお米と「古代米」の色の異なる稲を使って
田んぼをキャンバスに見たててすべて天然の
稲穂で描かれています。
あたかも牛若丸が弁慶の長刀を飛び上がって
避けているかのよう、目を閉じるとその様子が浮かんできます。







今年の田んぼアートは「竹取り物語」がテーマになってます。
日本最古といわれる物語です。



光り輝く竹の中からかわいい女の子現われたのでした。
かぐや姫が使者に迎えられ白い雲に乗り月に還らなければ・・・・・・・。
涙して見送るおじいさんとおばあさん。
「如何してなの」と子供に聞かれた懐かしいあの頃を思い出します。












今年は七色の稲を使い復興に向けて「がんばろう日本」と私達一人一人が思いやる心を持ち合う大切な言葉が言い伝になっております。
この写真は村役場がお城のような建物で、天守閣から撮影出来るようになっているんだそうですよ。
そのような役所もユニークですね。
鬼が笑うかもしれないですが・・・・・・
だけれどお友達に誘っいただける内に、来年こそはこの目ですばらしいアートを見てみたい・・・・・。






2011年8月23日火曜日

SUNTORY京都ビール工場


ほとんど60代まだまだ若いつもりの10人でサントリーの京都ビール工場へ行ってきました!!
「製造工程の見学&試飲の楽しみ」にです。






ここがサントリーのビールを生み出す工場
見学はこのエスカレターを上がり始まります。











これはビールには必要な「ポップ」です。
春から夏にかけつるが伸び花をつけます。
実は楕円形デス、雄株と雌株があってビールには雌株を使います。
ホップの花は毬花といいビールに香味をつけるのに用いると言うことでした。










仕込みのタンクはピッカピカ(麦芽から麦汁をつくります)
貯酒タンク、発酵した麦汁は若ビールにここで熟成





昭和44年2月12日
京都工場で初めてのビールが誕生しました。

ボールみたいでしょう!
通路になっている床に写真パネル(?)が幾つかあるのです。










成熟を終えたビールは澱や酵母を取り除くため
ろ過されて澄んだ「生ビール」になります。

出来あがったビールは味を損なう事のないよう樽やカンに詰められます。
樽に詰めつるには底の方からなのだそうです。
これは樽を開けた時に泡が噴出すことのないようにするためです。






企業理念としての取り組みが『人と自然と響きあう』というこをメセージに活動をしていることが、掲げられていました。
次の世代に安全な環境を引き渡すことが出来る努力をし[資源の安全」→自然保護
「地球温暖化防止」→CO2の削減         「資源の循環利用」→工場用水のリサイクル
案内係りの女性のスカート、作業服などはペットボトルの再資源化なのだそうです。
説明はここまで場内は何処もここも衛生的で清潔、気持ちがよかったですね。
後、バスで移動,出来たばかにの生ビールの試飲をするのにゲストルームへ案内されました(笑)

カウンター






ビールは1人3杯にお摘みつき
ですが時間は20分ほど
よほど好きな人でないと三杯頂くのはチョット・・・・・・






きれいに手入れされたお庭、心地好くしばし眺め「あーなんて仕合せ気分なんだろう」一杯のビール
に心は浮き浮き・・・・・・・
お土産買ってバスへ,サントリーはここまで淀の駅へ戻りました。


淀から京阪電車で一駅、中書島へ「かっぱかっぱの黄桜」でランチタイム、みんなで絞りたての原酒を少しばかりに鳥のビール煮ランチボックスでお喋りも楽しくひと時を過ごし、今日のスケジュールはここまです。
お世話はして頂いた彼女にありがとう!!




2011年8月21日日曜日

我が家の節電

「今年の夏は電力が不足することを想定して、各家庭も上手に節電することを政府は勿論電力会社
もテレビ、新聞広告と協力を要請していましたから我が家も節電です。





これはテレビのコンセント用です。
今まではスイチを消すだけで済ませて
いたのですが、
長時間使用しない時にはこのように
切っています。
台所も同じように切ります。













今年の夏は梅雨の頃が猛烈に暑くなってクーラーの出番が必要に
関東のお友達が息子さんのバレーボールの試合の応援にいらして「関西はなんだか緊迫感がないように思うわ」と言われ、またいろいろと発表されるのを見聞きする事でがまんしなくてはと思うのでした。



この様にブレイカーも切って我慢をしていましたが、つい5日程前帰宅が遅くなりまた坂道を上って
戻って来たものですから、2人とも汗をかきクーラーのスイチを入れてしまったのです。
2人して「我慢・我慢」も終わってしまいました。
この間テレビで「電気の節電方法の勘違い実験」をしていました、コンセントを切ることは全然節電にはならないそうですよ。
原発のこともまだ先が見えず、まだ節電は必要でしょうから冬の対策も今から考えなくては・・・・・・
まだ厳しい生活を余儀なくされてみえる被災地の方々の笑顔が一日も早く戻って欲しいと願います。