2012年11月25日日曜日

4人で金閣寺へ行く

「金閣寺」を見てみたいと言う従弟の友達の願いを叶える事になって京阪四条まで出て、私お薦め
の「おめん」でのランチも長蛇の列に並び待つこと40分、敦煌の彼女も気に入って「美味しい!!」

金閣寺参道
最後の紅葉を楽しむ人・人・人です、彼女に「人酔いしない」かと尋ねると「大丈夫です西安はもっ
と沢山の人でいっぱーいです、中国は16億万の国ですから・・・」何だか納得してしまいました。

総門

京都周辺には17ヶ所世界遺産が登録されていますが、金閣寺もその一つです。


鐘楼
総門を入ると鐘楼がありますが鎌倉初期の鋳造されたものです、カエデにつつまれ美しいです。


金閣 鹿苑寺
足利義満が応承4年(1397)鎌倉幕府滅亡後荒れ果てた西園寺を譲り受け「北山殿」として造営しました。
義満はここで政治の実権」を握ったのでした。
足利義満の死後金閣寺(舎利殿)だけを残して禅寺となり、法名から鹿苑寺と名づけられました、。

鏡湖池(国特別史跡・名勝指定)
庭園は室町時代の池泉回遊式庭園で諸大名がきそって献納した名石が配置されています。

極楽浄土を現すという金閣寺と庭園
室町幕府は明の国との交易が盛んに行われていましたが、彼女も中学の教科書に「金閣寺」が
記載されておりとても興味を持っいて一度どうしても見てみたかった建造物だったそうです。

鳳凰
初代は明治に修理の際尾が折れたため取り外され1950年の焼失を免れました。
今ある鳳凰は1955年の再建の時の2代目です。

漱清
寝殿造りの一層の西に池に突き出した釣殿で夏の暑さを凌いでいたのでしょうか・・・・
昭和62年にも漆や金箔が修理されて今も美しく光り輝き池にその姿を映しています。

銀河泉
足利義満がお茶の水に使っていたと伝えられている泉で、今も水が湧きだしていました。

北側の庭園から
参道には沢山のもみじが美しく紅葉していましたが、北側の庭にはあまり見られないようです。
何処から見ても「金閣寺」は美し見えて、外国の訪問客の人達はこの姿がお気に入りのご様子で
「オービューティフル・・・」


少し時間があるので嵐山へ行ってみましたが、とにかく道路は自動車通行止になっおり何処も彼処も人の波です。

嵐山
とても風情を楽しむなんてもんじゃありません・・・






私達は疲れ一休み「甘味処」へ入ると彼女は「お土産買って来ますから」30分の約束でショップへ行きその間私達はお善哉をいただいて待っておりました。


私に「これは私のおばさんへのお土産、私のお母さんと同じお財布です」と言って私にプレゼントして下さったので驚きと
うれしさが同時にやって来た!!









渡月橋
日もとっぷり暮れて嵐山の山並みも夕日にくっきりと浮かんできました。


とても夜間のもみじを楽しむ元気もないので帰る事にして、大阪のお好み焼きが食べてみたいと
いう2人に近所のお好み焼きのお店へ連れて行きました。
「おいしいでーす」と喜んでくれ私達も最後まで楽しく過ごせました。
春には敦煌への旅行も心配なく行くこと出来るでしょうからと誘ってくれましたが実現できますか
どうでしょう・・・?

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