2012年11月30日金曜日

山科毘沙門堂門跡とお蕎麦


今日は私達、気の置けない3人組で毘沙門堂門跡へ紅葉をそのうえ「高月」のお蕎麦をいただける二重の楽しみ付き京都山科行きです。

山科の駅から昔は毘沙門さまへの参道だったのかなと思える細い道路の住宅地の中を歩くこと
20分ほどで小高い山が見えてきます。



山裾のもみじ
仁王門への階段
観音堂(晩翠園)
 「晩翠園」は谷川の水を引いて滝を造った江戸初期の回遊式庭園です。

手水鉢
 鞍馬自然石の手洗いで後西天皇の第6皇子公弁親王の好みだったそうです。

晩翠園
「晩翠園」とは山裾にせまる木々の枝間は暗く夜目に翠(みどり)を思わせる様子から名付けられたそうですが、今はどこも土地開発が進んで昔のままの保存は大変なことでしょう。

渡り廊下
井戸












         霊殿と宸殿との渡り廊下です。





渡り廊下の中庭にある井戸は仏様に供える閼伽の水を汲むための物でした。

宸殿玄関
御所にあった後西天皇の宮殿を第6皇子公弁親王が譲り受け元禄六年(1693)に移築し入寺
され門跡寺院となりました。

勅使門
かっては陛下の行幸かその代参のとき意外は開かれることもなく、今でも新たに寺の門主になられる晋山式以外開くことはないそうです。
その参道は落ち葉色の絨毯です。
お友達が葉っぱをいっぱーい抱え「落ち葉ふぶき」とばかりに喜び撒いていました。


ここから少し歩いて行くと「高月」はあります。

高月の庭
 昨年の紅葉は山全体がもう少し赤みを帯びていましたが、今年のもみじは黄いろぽーい感じ・・・

大根そば

湯葉料理

                                                                                                                                       
「蕎麦懐石」を十二分に美味しくいただき3人とも満足しました。

山科駅までまたのんびりおしゃべりしながら戻り駅でコーヒーを一杯飲み京阪3条から特急に乗りましたが、すごーいラッシュで紅葉一都集中ですかしらね。

今日も元気で楽しく過ごせました感謝です。

2012年11月25日日曜日

4人で金閣寺へ行く

「金閣寺」を見てみたいと言う従弟の友達の願いを叶える事になって京阪四条まで出て、私お薦め
の「おめん」でのランチも長蛇の列に並び待つこと40分、敦煌の彼女も気に入って「美味しい!!」

金閣寺参道
最後の紅葉を楽しむ人・人・人です、彼女に「人酔いしない」かと尋ねると「大丈夫です西安はもっ
と沢山の人でいっぱーいです、中国は16億万の国ですから・・・」何だか納得してしまいました。

総門

京都周辺には17ヶ所世界遺産が登録されていますが、金閣寺もその一つです。


鐘楼
総門を入ると鐘楼がありますが鎌倉初期の鋳造されたものです、カエデにつつまれ美しいです。


金閣 鹿苑寺
足利義満が応承4年(1397)鎌倉幕府滅亡後荒れ果てた西園寺を譲り受け「北山殿」として造営しました。
義満はここで政治の実権」を握ったのでした。
足利義満の死後金閣寺(舎利殿)だけを残して禅寺となり、法名から鹿苑寺と名づけられました、。

鏡湖池(国特別史跡・名勝指定)
庭園は室町時代の池泉回遊式庭園で諸大名がきそって献納した名石が配置されています。

極楽浄土を現すという金閣寺と庭園
室町幕府は明の国との交易が盛んに行われていましたが、彼女も中学の教科書に「金閣寺」が
記載されておりとても興味を持っいて一度どうしても見てみたかった建造物だったそうです。

鳳凰
初代は明治に修理の際尾が折れたため取り外され1950年の焼失を免れました。
今ある鳳凰は1955年の再建の時の2代目です。

漱清
寝殿造りの一層の西に池に突き出した釣殿で夏の暑さを凌いでいたのでしょうか・・・・
昭和62年にも漆や金箔が修理されて今も美しく光り輝き池にその姿を映しています。

銀河泉
足利義満がお茶の水に使っていたと伝えられている泉で、今も水が湧きだしていました。

北側の庭園から
参道には沢山のもみじが美しく紅葉していましたが、北側の庭にはあまり見られないようです。
何処から見ても「金閣寺」は美し見えて、外国の訪問客の人達はこの姿がお気に入りのご様子で
「オービューティフル・・・」


少し時間があるので嵐山へ行ってみましたが、とにかく道路は自動車通行止になっおり何処も彼処も人の波です。

嵐山
とても風情を楽しむなんてもんじゃありません・・・






私達は疲れ一休み「甘味処」へ入ると彼女は「お土産買って来ますから」30分の約束でショップへ行きその間私達はお善哉をいただいて待っておりました。


私に「これは私のおばさんへのお土産、私のお母さんと同じお財布です」と言って私にプレゼントして下さったので驚きと
うれしさが同時にやって来た!!









渡月橋
日もとっぷり暮れて嵐山の山並みも夕日にくっきりと浮かんできました。


とても夜間のもみじを楽しむ元気もないので帰る事にして、大阪のお好み焼きが食べてみたいと
いう2人に近所のお好み焼きのお店へ連れて行きました。
「おいしいでーす」と喜んでくれ私達も最後まで楽しく過ごせました。
春には敦煌への旅行も心配なく行くこと出来るでしょうからと誘ってくれましたが実現できますか
どうでしょう・・・?

2012年11月23日金曜日

能登一週2泊3日ドライブ旅行(3日目)

最後の能登は輪島の朝市めぐり、50年も前に友だち4人と来たのですが面影もなくすっかり様変わり、頬かむりのおばあちゃんだけは昔のままの姿でした。

輪島では神社の祭日ごとに物々交換の市が立ったと言い、これが朝市の始まりとされ1千年も
前から続いているそうです。

輪島の朝市
大きな魚を捌くおばあさん

手づくりの小物

おばさんの「こうてくだぁ~」の誘いに布ぞうりを4足も買いました。
50年前の朝市はもっと勢いがあったような・・・・


どうしても昼間の「白米千枚田」が見たくなり少し戻ってみる事になりました。

幾何学的模様が美しい

荒波の日本海と千枚田
千枚田は実際には1004枚あり、「狭い田」なので千枚田と言う異説もあるとか。
現在は耕作してみえる農家は3軒でそれ以外は田のオーナー制度を導入し地元の「愛好会」が
維持してこの美しい「白米千枚田」が守られています。
有名人の「My田んぼ」もあり立て札が立てられているそうですよ。



強風で進めないトンビ
きれいな小鳥

空は曇って風が強くなってきましたが車の中から鳥が捉えられました。

窓岩
「曽々木海岸」は(国指定名勝及び天然記念物)約1500万年前海底火山の噴火によって形成
されたと言われています。

景観は雄大で見事です、巨岩の真ん中に窓のよう見える空間は直径2mもあり運が良ければこの窓にぴったりと納まるオレンジ色に輝く夕日を拝めるそうですよ。

                                
下時国家(しもときくにけ)(国指定重要文化財)

天井には「かくし倉」があり
どのように倉に入るかは依然分かってないとか

初代は能登に配流された平大納言時忠という人で13代目の人が二家に分立したそうで
道理で案内係の方がこちらが「本家」に当たりますと強調してみえましたが・・・

安徳天皇を祀ったお社
昭和60年に源平800年期に赤間神宮より御分霊されお社が庭園内に建立されそうです。

上時国家(国指定重要文化財)
門へ続く石畳
12代当主1831年(天保2)28年かけ完成させた国内最大級の)屋敷です。




どちらも風格のある大屋敷で回りの自然の中に庭園があり立派なお屋敷です。



御陣乗太鼓之地

「御陣乗太鼓」は天正5年(1577)上杉謙信が能登に攻め入った時
名舟の1人の老人の指示で木の皮で面を
海草を髪にして太鼓を打ち鳴らし上杉軍は
神の化身かと驚き退散したという。

お祭の御輿の先供として今も続いているのです。

「御陣乗太鼓」は名舟のひと以外は打てない
そうです。






名舟白山神社



「名舟大祭」の時キリコ(切子灯篭高さは数m
あるそうです)を担ぎこの急勾配を上がり、下がりする姿にはきっとすごーい迫力があるでしょうね。




            






私達も急な階段の上にあるお社へ参拝に上がりましたが、階段は夫が言うには101段あったそうですから危険なお祭ですね。

地さかな海鮮盛
地物にぎり
輪島へ戻って昨夜から食べてみたいと思っていた地元で捕れた魚を食べさせていただけるお店へ
直行お寿司を気の済むまでいただきました。


小雨の中4時間の運転は私には初めての事で無事帰り着き2人共々胸を撫で下ろしたのでした。
(夫が運転免許書不携帯であったことが、JAFを捜していて気がついたというお粗末があったからなのです。)
総走行距離はジャスト1000kmでした。
今回の旅行はとても心に残ります「有り難きかなこの幸せ」。

                                    3日目無事帰宅感謝しおわります

2012年11月22日木曜日

能登一週2泊3日のドライブ旅行(2日目)

今日は和倉から輪島まで海に沿ってのドライブ、いよいよ今夜は「白米千枚田」その前に20数年振りに会う人が元気な姿を見せてくれる事を願いホテルを出発です。


えんむすびビーチ





見附島(軍艦島)














空海が唐で修行され密教伝来の三杵を授けられ日本に帰国しようとした時、唐の僧侶達が
奪い返そうと海岸まで追い詰められ三杵を空高くなげ「密教有縁の所にいき我を待つべし」と
大空へ投げられました。
三杵を求めて能登沖を通られた時に見付けたのが「見附島」・・・

恋路海岸




愛しながらも死に別れた悲恋の伝説が残される海岸が「恋路海岸」とは如何してかなー?


岩に腰を下ろして波の動きに癒しのひ時・・・・









珠洲まで美しい海山道をドライブです。
雪つり
「雪つり」というと金沢の兼六公園が有名ですが、このあたりのお家の庭木にはきれいに雪つりが
されています。


彼とは市役所前で待ち合わせ心配することはなく元気そうで一安心、ランチの予約をしており
お店へ連れて行ってくれました。




レンコンが器















今まで食べた事のないような和食の創作料理で美味しくいただき、昔話しに花が咲きました。

この後彼が結婚して10年住んだ折戸町を見せたいからと言うのでそこまで行くことになりました。


ランプの宿
ここはパワースッポトとしても有名なのだそうです、また「ランプの宿」は青森の「青荷温泉」に2度
泊まっておりランプのやわらかい光が周りを包み大好きな温泉でしたが、ここはどうなのでしょう。
一度泊まってみたいですね。

明治16年イギリス人技師により設計されました

日本列島ここが中心


禄剛崎灯台(ろっこうざきとうだい)

ここは能登半島最北端で内浦と外浦の双方にまたがるため「海から昇る朝日」と「海に沈む夕日」が眺められることで有名だそうですが、もう夕日が沈んだ後で私達見ること出来ず残念でした。

木の浦海中公園
彼が結婚して10年暮し眺めていた海ですが、冬の寒さは厳しく辛かったと・・・

健康に気遣い元気で過ごすように伝え、また会える日を約束しお別れです。

「白米千枚田」へ向いますが、ポツリポツリ雨です、これ以上降らないでぇー「神さま・仏さま」
約一時間で「白米千枚田」到着、願いは叶ったのです。


あぜの灯り

あぜに20000個のLEDのイルミション
宇宙ステーションのような・・・幻想的に光り輝きます。
寒い中何時までも離れられず夫に催促されホテルへ向いました。

夕食は輪島ではおいしいお寿司と決めておりましたが、お昼にご馳走をいただきお腹と相談2人共
おそばに決定です。

やぶ蕎麦本店
お店に入ると男の子が「いらしゃいませー」と元気に応対です。
ご主人が出てみえ珍しい「日本蕎麦のあんかけ」と「にしんの煮付け」を注文しました。

男の子は4歳でおしゃべりが楽しいのか私達のテーブルへ「座っていいわよ」と言うとすんなりイスに腰掛け私が「お蕎麦好き」と尋ねると「うん」「食べる」「食べたーい」私が食べさせてあげると
「おいしーい」中からおばあちゃん登場です。
当然お叱りを受けますが私の方がフォローにまわっているのでした。

お母さんが上のお子さん(小学4年生)とサッカークラブからお帰り、私達をみて「どうしたの」
それからまたまた東京から嫁いだお嫁さんと5人でおしゃべ、輪島での楽しい思い出になりました。


                                  こうしてうれしい事ばかりの2日目はおわり