2012年9月12日水曜日

隠岐の旅2日目パートⅠ

今日は島前観光どうなることやら・・・
島前(どうぜん)には中ノ島(海士町)・西ノ島(西の島町・)知夫里島からなり、3つの島を外輪と
する火山で内海はカルデラの海です。
小泉八雲が妻と訪れた美しいし菱浦を気に入り「鏡ケ浦」と名付けたといわれ、「知られぬ日本面影・・・」と本にも紹介されているそうです。

昨夜の宿羽衣荘

まず西郷港からフェリーで70分菱浦港まで行き定期観光バスでの観光です。

菱浦港
隠岐島は水木しげるさんのルーツの島だそうでモニメントがあちこちで見られます。

三郎岩
菱浦港に近い海上に浮かぶ島、波風に浸食されまるで盆栽のようにみえますね。



「トンビがくるりと輪を描いたホーイのホイ」人よりトンビの数の方が多いような・・・?

綱掛けの松
明治の初期まではこの付近一帯が海岸で松の巨木があり船を繋いでいたもので上皇の御船が
係留されていたのでしょうか?

    



後鳥羽上皇は承久の乱(1221年)を起し
たが失敗、お供5人と共に隠岐に遠流されました。


(鎌倉幕府から北条義時の時代に王政復古を企てますが破れ隠岐に配流になったのです。)




           


後鳥羽上皇御火葬塚


和歌の道に造詣が深い天皇は歌も多く詠んでいます。                    

「我こそは新島守よおきの海の
あらきなみ風心して吹け」


「人もをし人もうらめしあぢきなく
世を思ふゆゑにもの思うふ身は」と 
百人一首にこの頃のままならない政権を詠まれたのでしょうか?

19年の間都へ戻る夢も叶わないままかの地で隠れられました。            




源福寺跡
源福寺を19年間行在所にしてみえました。
今は明治政府の「神仏分離」の政策によって建物はなく夏草が生い茂っていました。
後鳥羽上皇はここで歌は勿論ですが自ら作刀もされておられとのことです。
後鳥羽院資料館には刀など沢山の資料が展示されておりました。


隠岐神社
82代天皇後鳥羽天皇をおまつりする神社です。

拝殿・本殿
昭和14年天皇没後700年祭を期に造営された隠岐造です。
文武両道に秀でられておリ学業成就の神さまとしても敬われています。
海士町の氏神さまともされています。

明屋海岸(あきやかいがん)
海士の神さまの妻となった姫さまがお産をしたという伝説から明屋という地名が付いたといわれて
います。







エメラルドグリーンがとても美しい!
透明度バッグン泳いだら気持ちいいでしょうねぇ

海面に産屋の「たらい岩」と屏風岩」がならんで
います。





夏には海水浴の人で島はいっぱーいになるそうです。
勿論歩いては行けなのですよ。
ここにもハートの形が・・・










午前の観光はここで終わります。
国賀海岸海岸遊覧船でのフォト集に続きます。



0 件のコメント:

コメントを投稿