隠岐最後の1日となり今日も快晴さぁー知夫里島へ出発しょう!
知夫里島は650人の小さなのどかな島です。
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島前内航船 |
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マリンポートホテル海士 |
ホテルを午前8時出発菱浦港から来居港(くりいこう)まで7分、知夫里(ちぶり)島巡りの案内を
して下さるのははまずまずのお年の明るい女性ドライバーさんです。
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後醍醐天皇第一歩をふまれた海岸 |
後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒すのに失敗し北条氏より知夫里島に流されました。
しかし後醍醐天皇は1年ほどで隠岐を脱出し京へ戻り「建武の新政」を開始します。
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赤ハゲ山 |
赤ハゲ山(325m)穏やかな内海に白い砂の海岸線が続いています。
頂上付近は800頭の牛に80頭の馬が放牧されているそうです。
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洞庭藍 |
洞庭藍は中国の美しい洞庭湖にたとえられ付けられた名前で、京都までの日本海岸沿いに自生
している藍です。
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仙人草 |
花が散った後仙人の髭のように見える事からこの様な名前がついたとか、またこの花は鉄線の
原型なのです。
美しい花に毒があるようで牛は食べないようですよ。
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つるぼう |
土筆のような花で群生して咲くそうですがシーズンも終わり貴重な1本を見る事ができました。
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後醍醐天皇行在所・仁夫里坊跡 |
後醍醐天皇が黒木御所に移られる間一時滞在されてみえました。
赤ハゲ山も以前は松の木が多く自生していたのだそうですが松くい虫で今では小さい雑木ばかりで
日陰もなく小牛が日射病にかかる事があるとかかわいそうです。
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赤ハゲ山ドライブウェー |
360度見わたせる展望台ですが、なんとすずめ蜂に遭遇です、大きな蜂が目の前にドライバー
さん「手を上げずゆっくり逃げてください」写真撮ることも忘れ兎に角退散です。
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牧畑の石垣 |
島前地区で中世から1960年後半まで行われていた輪転式農法で、4年周期でやせた土地を
活用しこのように石垣で区切り作付け(牧草・麦・ひえ)を行っていました。
春は野大根の花が咲きピンク一色に染まりそれはそれはきれいですから是非その頃にもう一度と
お誘いを受け心が動かされるのでした。
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車道を歩く母子 |
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いたるところにある水のみ場 |
牛馬のために作られた水のみ場ですがここは山の頂上にもかかわらず不思議に刻々と水が湧き出ているのです。
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赤壁(せきへき) |
「赤壁」は中国の長江にあった崖を模して日本の絶壁の景勝地にも付けられています。
地元では「あかかべ」とよばれています。
「隠岐知夫赤壁」として国の名勝および天然記念物に指定されています。
最も高い場所で200mで岩の大部分はアルカリ玄武石です。
赤い色はマグマのしぶきがが酸化して出来ました。
赤・黄・白・茶色鮮やかな色の崖が1km続き雄大な岸壁です。
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もー怖くないのかな! |
慣れているのかこちらから見ているとハラハラですが、ドライバーさん曰く「海へ落ちたと聞いた
事は一度もありませんから心配御無用」と一言でした。
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河井のお地蔵さん |
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河井湧水とお地蔵さん |
この湧き水は昔から万病を治す霊水として島民の信仰を集めているのです。
私も元気をいただきましょうとペットボトル一杯に満たして、柔かいお水をいただきました。
おばあちゃんが「きれいにしてお地蔵さんにお供えします」とせっせとシキビをきれいに洗ってみました。
うつくしい知夫里島を駆け足観光、内航船で別府港へもどります。
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来居港島前内航船のりば |
うつくしい知夫里島にお別れ、駆け足観光でしたが、牛・馬・すずめ蜂・人口よりも多いという狸(村長さんが飼っていたカップルが逃げ出したのが始まりとか?)さん達に会って面白かったなぁー。
フェリーに乗るまで一時間20分しかありません、夫がどうしても「黒木御所跡」へ行ってみたいと
言うので観光協会でキャリーバックを預かっていただき行ってみました。
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黒木御所跡 |
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黒木神社 |
黒木神社の鳥居をくぐり天皇山と呼ばれる丘を上がって行くと建物は何もなく「黒木御所跡」の史跡がありました。
後醍醐天皇が1年余り過ごされた行在所と伝えられています。
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別府湾 |
行在所からは別府湾の見付島も見えました(この島から見張りをしていたのでこのような名前が付いたともいわれています。
今回は隠岐の観光協会の方に電話でお願いしお任せ旅でしたが機会があればもう一度日程を
自分達で決め、春の若葉のころに行ってみたいと思う素晴らしい忘れられない4島の旅でした。
長いブログになりましたがここで終わり。