2012年1月15日日曜日

光善寺

私の住む近くにある光善寺は文明7年(1475年)蓮如上人により出口御坊光善寺が建立されました。
京阪光善寺駅の由来はここからきています。

石の道標
光善寺の駅から国道1号線を渡ったところに道標が立っています。
この道は豊臣秀吉の時代の旧京街道だったそうで細い道が続いていました。

出口御坊光善寺
蓮如上人は室町時代の浄土真宗の僧で、京都東山の本願寺崇泰院で生まれ17歳で青蓮院で
得度をされました。



本堂

池を埋めてお堂を建立する時、この池に500年住む竜が女の人に姿を変え蓮如上人に「私の住む部分だけでも埋めないで欲しい、願いがかなうなら守り神になり常しえにお寺を守ります」と金の鱗を
おいてさいかちの木から昇天したという「竜女池伝説」があります。
石川丈山が造った庭園にこの池はあるそうです(みる事は出来ず残念でした)

太鼓楼
太鼓を鳴らし人々に時を告げる役割また法要の時など信徒に合図としたということです。


さいかちの木
でぐち団子
お庭は見ることができず残念でしたが、裏の方へ廻ってみると一際大きな木が多分これが大阪天然記念樹「さいかちの木」だと思うのですが・・・・?
駅の近くの和菓子屋さんには「でぐち団子」があります。
面白い名前のおだんごに由来を聞いてみたところ伝説話を教えてくださったのでまたまた興味がふつふつ・・・・行ってみたくなった訳でした。





蓮如上人像
蓮如上人は27人もの子が授かったそうです。
第13男実従が1524年枚方順興寺(枚方御坊)を建立しています。

蓮如上人御遺跡
蓮如上人が出口にいた頃は9軒しかない小さな村で、この石に腰をかけ説法をしていたのでした。
「でぐち団子」は蓮如上人が腰かけた石を形にしたものだそうです。
こしあんの素朴なお団子でしたよ。



蓮如上人は1499年85歳で亡くなられたのですが、光善寺駅の東側に道標があります。



この道標はいつも何気無く特別気にすることも無く、「蓮如さん」だと思ってやり過ごしていましたが
此処から歩いてみることにしました、我が家へは坂を上っていきますが、どうも左のほうに見える小高い山に廟はあるようです。

蓮如上人御廟
ここら辺りで唯一の畦道を行くと石碑がたっています。
なだらかな階段を上がって行くと高く盛ってある塚がありました。

蓮如上人廟
周囲の木々が包み込むように重なっておりとても厳か。
淀川が見えるかと思いましたが、残念なことに建物が邪魔をしていました。
きっとその昔には行き交う30石舟も見えたことでしょうね。



蓮如上人の第13男実従さんのお寺は枚方公園と枚方市の間の少し山手に行った所にあります。

枚方御坊



















実従は枚方御坊に入り順興寺と名づけ開基となりました。
幼名を九々丸といい小高い山の上に「九々丸塚」が建っておりました。


枚方市に戻って3年目、お天気の良い1日こうして知らない場所「名所、旧跡」歴史めぐりも楽しい
頭の運動にもなり一挙両得・・・・・・。
これからも頑張ろう!!


2012年1月14日土曜日

どんど焼き

今日は小学校で「どんど焼き」が行われるので正月飾りを持っていきました。
青竹の弾ける音が丸で太鼓が打たれているかのように遠くまで聞こえてくるのでした。
だだ小さかった頃にお宮さんの裏山でいろんな祭事があって「どんど焼きも」その一つでした。
おじいさんが焼けたおもちを私にちゃんちゃこの端を持たせて「元気に大きくなるから食べな」と言った事を今も鮮明に覚えています。
そんな事を思い出しながら今年の無病息災を願って火の中へ投げ入れました。
ちょっとお年の女の方が燃えた灰をいただいていましたが、この灰を自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われているのだそうです。



小学校の校庭
娘が4年間学んだ校庭での「どんど焼き」木々も随分大きくなって時の流れを感じました。
おぜんざいの接待もうけ焼餅も入って美味しくいただきました。


校舎の前では大学生でしょうか、子供達に2本の縄跳びの上手に飛ぶ方法とかを教えトライしている子供達に大人は惜しみ無い拍手を本人達はちょっぴり自慢気でかわいい・・・・・・。


これからが本格的な寒さのシーズンになります、「がんばれ!日本」いろんな面でも早く春が訪れて
くれますようにと願う。

2012年1月9日月曜日

泉涌寺7福神参り

今日は成人の日に泉涌寺の7福神参りをすると、福が授かるという事で夫と2人今年は新年早々からお参りする機会が多く、神さまばかり頼って良いのかしら・・・・・。
でも楽しみながら巡ってみましょうと出かけることになりました。

はーいポーズ
7福神参りの電車待っていると新成人女の子達が着物の姿で華やか、お願いして撮らせてもらう事にしました。
大人の仲間入りです「おめでとう!!」

即成院門
平安時代992年に建立され明治に今の地に移りました。屋根の鳳凰は宇治の平等院の方を向いているのだとか。
即成院
第1番「福禄寿」さまは幸福・長寿の神さま、ここで笹をいただき福禄寿の飾りと、境内には那須与一の供養塔があり「願いは的へ」私達には願ったり叶ったりの的を笹に飾りました。




供養塔の高さは3mもあり「願いは的へ」と提灯が掛けてあり叶うようにお参りしましたが・・・・・・。


戒光寺



















第2番「弁財天」さまは女神ですが財宝神ですから商売繁盛をお願いしますね。
ここの泉山融通弁才天さまは「八臂像」といって手が8本あり融通を利かせてあらゆるお願い事を
聞いて下さると言われています。
飾りはかき集めるちりとりでした。
本堂の本尊釈迦如来さまは全長10mの運慶・泔慶親子の合作の木像です。

今熊野観音寺
第3番「恵比寿」さまには漁業の神さま,海運守護に商業繁栄をお願いします。
飾りは大きな鯛を持った福よかなお顔のえびす様でした。


子護弘法大師の像には子供が3人寄り添っていましたが、私はこのような弘法さまは始めてです。


来迎院
第4番「布袋尊」さまには知足福・家業繁昌を願います。
ほていさんの大きなお腹が安産の祈願やお守りになったといわれます。
飾りは大きな大福帳でした。

泉涌寺
皇室とのかかわりが深く「御寺」として親しまれております。
平安時代弘法大師によって営まれた草庵を起こりとし、境内に水が湧き出たことから泉涌寺と改められました。
泉涌寺では千両、万両の入った福袋の飾りをいただきました。

雲龍院
第5番「大黒天」さまには福徳を願います。
大地に恵を与え万物の育成を促す福の神様、台所の神様としても古くからまつられています。
打出の小槌をもった大黒さま好きなものが出てきそうな飾りです。


悲田院
第6番「毘沙門」さまには財宝自在をお願いします。
財宝を守る神さま、また鉱山の神さまともされています。
飾りは「金千万両」の千両箱でした。


法音院
第7番「寿老人」さまは長寿の神さま健康で元気な老後を願います。
飾りは何故か長寿に必要なのか(?)大判でした。

番外で「新善光寺」さまは後嵯峨天皇が信州の善光寺まで参るのは大変だろうと阿弥陀如来像をまつり新善光寺を開いたお寺です。

番外「泉涌寺本坊」は楊貴妃観音をまつり世界の3代美人の1人です。
お参りは美人、縁結びと女性のかみ様ですかしらね。


笹飾り

おめでたい成人の日の泉涌寺7福神笹飾りは目の届くところへ飾りました。
どうぞ「日本に元気を下さい!」そして少しでいいです私の的もお聞きくださいと願うのでした。



2012年1月7日土曜日

3人京へ初詣

今日は3人で祇園にいく約束をし、まず八坂さんにお参りをしなければと桜門に向かいましたが
「一力」の前には沢山のカメラマンがカメラを向けています、私は何時もの野次馬根性が・・・・・見ずにはいられないのですが、しかし2人は余り関心無さそう諦め八坂さんへお参りです。

一力
玄関の正月飾は幕が張られ、根引き松が飾られておりました。
なんだか其のままが歌舞伎の舞台のようで、役者さんが幕を上げて顔を出しそうな・・・・・。

八坂神社・桜門
切り妻造りの桜門(2階建て門)、この門は閉じられることなく夜間でも参拝できます。

八坂神社拝殿
八坂神社は656年(斎名天皇2年)に創建,スサノオ尊がまつられています。
独特の建築様式で祇園造と言われている。


八坂さんの小さいお社を巡り次は「知恩院」へ、お昼は何を頂きましょうかと話しながら・・・・・

知恩院三門(国宝)
三門は江戸時代(1621年)に建てられた二重門です。

御影堂(国宝)
1639年徳川3代将軍家光によって建立され、入母屋造本瓦葺の江戸時代を代表する建築です。
屋根の上には瓦が載っていましたが、これは完全な物ではないとの暗喩なのだそうです。
廊下を歩くと「きゅうきゅう」と、350年の歴史の音がするんだなぁと思っていましたがこれは鴬張り
になっていたのでした。

大鐘楼
1636年に鋳造され日本三大名鐘の一つです。
除夜の鐘はお坊さん17人で鐘をつきますが側で見るとそれは大きい立派な鐘でした。
一度なまの「ゴーン」を聞いてみたいです、どんな音がするのでしょうか。


青蓮院にやってきましたが、お昼も過ぎお腹もペコペコ状態に戻るのもお店を捜すのも面倒になり
前の喫茶店で軽食、京都に来て少しばかり寂しいランチだったかな・・・・・・
時間も遅くなり4条までテクテク、お土産を買って家路につきました。
今日の「一力」の前のカメラマン軍団は舞妓さん達の「始業式」があり、その人達をカメラに収めるのに集まった人だったらしいです。

ええかおどすな   (朝日新聞より)
次の朝楽しそうにあいさつを交わす芸舞妓さんの姿が映し出されておりました。



2012年1月1日日曜日

'12元旦

2012年の今年は、娘のお友達も一緒に4人で除夜の鐘を聞きながらのお不動さん参りで始まりました。
不動明王の前で護摩木読経の中、大きな太鼓の音とほら貝の響きで欲望などいらぬ雑念は去って新しい年が始まる元旦を迎えるようになったのは深川のお不動さんの近くに住んで以来ですから
17年ですね。
後、何年お参りに行けますでしょう・・・・・・・。



















今年も「破魔矢」は我が家の幸運と震災にあった人たちの元気が出るよう願って求めました。
新勝寺にはたくさんの初詣の人で混雑おりましたが、私達がお堂でお参りを済ませ帰る頃(4時)には人数もすこし少なくなっていましたが、夜店の周りはおおぜいの若者でいっぱいなのでした。




マンションで小さいドアがあるだけのところに毎年細やかなしめ縄を飾りますが今年は思うような
しめ縄がなく錦市場まで行って求めました。

しめ縄飾り(名前を忘れてしまいました)


鏡餅は神さまをお祭りしていない我が家は簡単な床を作りお飾りしました。
丸もちは水、火、トイレの神さまにお供えします。


今年の私の手作りお節は黒豆、ごまめ、栗きんとん、干し柿なます(干し柿も作りました)この4品
だけですが、娘の同級生が夕食を一緒にして久し振りに大賑わいの楽しいお正月でした。
気のつく人で時々玄関にこっそりと心遣いの物を置いてくださる優しい娘さんなのです。




お友達の作品で今年の干支の辰を飾りました。
今年1年健康で穏やかに過ごせますようにように&思いっ切り年を忘れ遊び捲くるつもり・・・・・・。


2011年12月30日金曜日

最後の三十日

今日はもう今年最後の三十日で忙しい最中です。
近所にはお私が思うような正月のお飾りがなく駆け込みで京都の錦へ行ってみることにしました。
どうしても今日中に用意をしなくてはと張り切って出かけました。


今にも雪がちらついてきそうな鴨川には沢山の鳥が羽を休めています。
遠く離れた山並みは薄っすらと白くなっていました。
おー寒い!!

新京極通り
京極とは京の端と言う意味で、平安京時代都の両端にそれぞれ東西京極通りがあったのだそうです。
天正年間(1573~92年)豊臣秀吉が防御を目的として城下町と同じように市中の寺院を東京極通りに集め寺町としました。その一つ東の通りにあり名前は明治5年につけられました。


錦天満宮
天満宮は菅原道真公の父是善の旧宅として創建されました。
桃山時代には豊臣秀吉の計画により「金蓮寺」の敷地に移転し400年そこにあります。
明治5年神仏分離により「錦天満宮」となりました。


この鳥居を出るとそこからは錦市場があって、それは大勢の買い物をする人達でごった返しています。
私達もさぁこれから揉みくちゃの中に突入です。



歩くのも思うようにならず先ずはお飾りを求めて門口まで頑張って・・・・・・。
やっとお店を見つけいろいろ迷った末に、我が家には是くらいが相応かなと思うしめ縄飾りを買い
求めました。
これで一安心お正月を迎えられます。




大きな尾頭付きの鯛が所狭しと並べられております。、我が家ではこの様な立派な「祝鯛」長く見て
おりませんが、精々「切り身」が並べは善しとしましょう。






お店の前にはきれいな門松が飾られており、新しい年を迎えるばかりお店の心が伝わりますね。




私達もお正月の買い物を両手に持ちきれないほどして、美味しいおぜんざいを頂いて京の買い物に
満足満足。早く帰って遅くなってしまったお正月飾りをしなくては・・・・・・・。
しめ縄飾りはお正月にお披露目します。


2011年12月22日木曜日

蕎麦高月

今日は2人とも予定がないのでフラの仲間の方から山科に「高月」という美味しいおそばと京野菜のお料理を出している山の中にあるお店を教えていただいたので、
予約を入れて行ってきました。


車がやっと通行できるかなと思う山道を少し走ると茅葺き屋根の一軒家がみえてきました。


ここが春秋山荘「蕎麦高月」です。滋賀県の古い欅造りの民家を移築し屋根は葦で葺いたこの建物冬の訪れを見る一枚の絵をようです。



上がり端の囲炉裏にはもう赤々と炭に火が入り、温もりを感じるお部屋に案内されました。
養蚕を生業としていたので天井がとても高いのです。



珍しい大根そばが出ましたがシャキシャキとしておそばの香もあり珍しく私は初めていただくおそばでした。
お蕎麦は香りも腰も私好み、付け汁は鯛から取ったのだそうで美味しく蕎麦湯と一緒に頂きました。


京野菜の酢味噌かけ、ここにとても香ばしい牡蠣が入ってて驚き、一つ一つのお味を堪能させていただきました。



ご飯の代わりにと蕎麦すしですラッキー・・・・・香の物もあっさり。
接客も心配りが行き届き気持ちのいいランチタイムを過ごす事が出来ました。


毘沙門堂をお参りすることが出来ました。
「蕎麦高月」を訪れる細い曲がり口の手前にあって長い石階段のその上には歴史がありそうな御門
訪ねてみることにしました。

仁王門
1665年再興建立されました、本堂への表門になり浅草寺と同じ建築なのだそうです。
門には阿吽の2天像が護ります。

本堂へ入る門は唐門で日光東照宮と同じような雰囲気をもているいるのだと説明して下さいました。
本堂は将軍家綱が大檀越となり尾張の徳川家から木材を寄進され1665年に竣工されました。
後西天皇の皇子が入山され門跡寺院となったのだそうです。

宸殿
御所に合った旧殿を1693年に移されました。
襖絵は狩野探幽の養子狩野益信の作で、逆遠近法の「九老之間襖絵」が面白かったです。
衝立の鯉の絵は狩野探幽の作で左から見るとスリムな若鯉に見え、右から見るとメタボ鯉に見える
不思議な作品でした。私は右側好み・・・・・。

晩翠園
谷川の水を引き滝を造った江戸初期の回遊式庭園。池の後方には観音堂がありました。




樹齢150年をこえるしだれ桜の巨木で枝張りは30mにもなっているそうです。春にはきっと見事な花を咲かせることでしょうから、来年の春には是非とも見てみたいなぁ~。




この門は「勅使門」で、今では毘沙門堂門跡門主の晋山式以外は開門されないのだそうです。


今日「そうだ京都、行こう。」ならぬ山科へ行って毘沙門堂のしだれ桜がJR東海のコマーシャルの
桜だと知って驚きです。
東京に住んでいた頃にテレビで見て「わぁ京都の桜美しい、行きたいなぁ~」と羨望の思いでした。
来年4月絶対見に行きますよ。