2021年6月20日日曜日

松花堂 (2021・6・20)

「緊急事態宣言」の中、私達二人は雨降りでない限りはお昼ご飯は木陰の下で頂くことに
決めており「さて今日は何処へ行きましょう!!」
決まらない時は近くの公園へ出掛けることになりますが、今日は八幡の「松花堂」へ
行くことにしました

松花堂庭園入口

「松花堂」は江戸時代初期の僧侶(石清水八幡宮の社僧)で文化人であった松花堂昭乗が、晩年の1637年(寛永14年)隠居後に草庵を建て「松花堂」と名付けました
草庵「松花堂」に「泉坊書院」は21号台風で被害を受け修理中で見学出来ませんでした
広い庭園は3つの茶室もありお茶会に利用できるそうです

内園にある池
池の周りの紫陽花に季節を感じ、水音が心地よく響いてきます
鯉に餌(鯉の餌100円也)をあげると大きな口を開けてねだってきて可愛かったですよ

亀甲竹

孟宗竹の突然変異でできた竹で、亀甲状に節がありテレビで見る水戸のご老公さまの
杖に使われているそうです

謡曲「女郎花」女塚

都に住む女人が男山の麓に住む小野頼風の足が遠のいたのを恨み悲しんで、放生川に
身を投げ、脱ぎ捨てた衣が朽ち、そこから女朗花が咲き出し風になびいている姿を儚んだ
頼風も後を追い入水したと、謡曲史蹟保存会によって札が建てられておりました
可哀そうに一緒ではなく男塚は頼風塚と言って八幡の今田にあるそうです


松花堂美術館

松花堂美術館の主な収蔵品は、草庵「松花堂」や松花堂昭乗や門人に関連するもの
それに八幡市にゆかりのある美術品や資料等が展示されているそうです
今日はまだ休館中でした

残念ながら庭園での飲食は禁止でしたから、外の広場のベンチに腰掛け庭園を眺めながらのランチタイムとなりました。






2021年6月3日木曜日

交野宮神宮  (2021・6・3)

朝から真夏日となり、コロナ禍の中私達夫婦は用のない限りは木の下で鳥達の声を聞き
のんびりと手作りランチを食べて過ごす事が日常生活になりました
今日は「楠葉の宮跡の杜」まで行くことにしました

交野神社一の鳥居

恒武天皇が延暦6年(787)父光仁天皇を天神としてお祀りしました
これが交野天神社(かたのあまつかみのやしろ)の起源とされています

交野神社2の鳥居

2の鳥居には天を示す扁額がかかていました
天神さんと言えば菅原道真公、この神社も1872年(明治5年)菅原道真を
合祀しているそうです

七福神と不動明王の石碑

この袋にいっぱーいの福を下さいますか( ´艸`)  

3の鳥居
3の鳥居は珍しい瓦が積まれており立派な鳥居です
奥に見えるのが拝殿です

拝殿

拝殿の奥には本殿と隣接に末社の八幡神社があります

本殿と八幡神社

本殿(左)は1402年建立
隣接して八幡神社が並んで建立されました
室町時代初期の建造物で檜皮葺の屋根の曲線がとても美しい!!
1917年(大正6年)国の重要文化財に指定されました


樟葉宮への小道
10年程前に訪れた折には原生林の姿を残していましたが、2018年の21号台風でこの広い
森の木々も見る影もなく太陽がまぶしく恨めしい・・・

貴船神社
継体天皇樟葉宮跡と伝えられています「日本書記」によると越前の三国から迎えられた
継体天皇は507年樟葉宮で即位したと言われています

神社の境内一帯は1984年「枚方八景」に指定されました

住宅街を少し歩いていくと鏡伝池があり、今は菖蒲の頃で池には美しく花が咲誇って
いました
鏡伝池

鏡伝池は古来観月の名所で、交野ケ原で平安の貴族が鷹狩をした後に美しい月を愛でていたのでしょうか✌('ω'✌ )三✌('ω')✌三( ✌'ω')✌

カワセミが飛来しますから見られたらラッキーですよ。

2021年6月1日火曜日

水無瀬神宮 (2021・6・1)

 「緊急事態宣言」の中ですから人出をさけて、新緑の下で日がな一日過ごしたいですと
いう思いで天王山の麓にある「水無瀬神宮」へ行くことにしました

水無瀬神宮参道
神宮が建立されたのは後鳥羽天皇がこよなく愛された水無瀬離宮の跡に建てられた
御影堂がはじまりと伝えられています

神門
桃山時代に作られた藥医門形式です
石川五右衛門が祀られた名刀を盗みに入ろうとしましたが、神威に恐れをなし門の中へは
入れず,その時の手形が残っているそうですが、分からず残念😢

拝殿
拝殿は1929年(昭和4年)に建てられ、登録有形文化財に登録されています
古来より続く伝統行事「夏越の大祓」の茅野輪が設置してありましたので、私達も今年の
今までの健康と、これからも無事で過ごせますよう祈り茅野輪くぐりをしてきました

離宮の水
         

 境内に湧き出る「離宮の水」は全国名水百選に選ばれています
 多くの人が名水を求めて並びポリタンクに入れて持ち帰って
 います
 ベンチで見ていた私達に、隣に腰かけ話しかけてみえた老紳士が
 ここの湧き水はサントリーウィスキーが作られている同じ水で
 名水と知られており、遠くからでも汲みにみえるようですよ!
 と教えていただいたので、私もペットボトルに入れ試飲してみます
 「おいしい!!」







茅野輪くぐりもできて、きっと今年の後半も平穏に過ごせることと思います。


2021年5月16日日曜日

星田妙見宮 (2021・5・15)

奈良のお友達宅を訪れた折の通り道に「星田妙見宮」 があり、桜の名所と教わっていたので
美しい新緑を求めて「そうだ!妙見さんに行ってみましょう!!!」
ということになりました

星田妙見宮一の鳥居

「星田妙見宮」は平安時代810~824年(弘仁年間)弘法大師が交野の来られた折に
獅子窟寺吉祥院の獅子窟に入り秘法を唱えられると、天上より七曜(しちよう)の星
(北斗七星)が降り三か所に分かれて地上に落ちたといいます
この1つが妙見宮のご神体であると伝わっています
2つ目は高岡東の「星の森」
3つ目は降星山の「光林寺境内」に降ってきたと伝わっています


妙見宮参道 (三の鳥居)

ここから妙見宮の拝殿まで階段で上がりますが、どれだけ上がればいいのかな?
「ふうふう・・・」お堂のようなのが見えてきましたよぉ~

天尊山(休憩所)

やっと上がってきた(*´Д`*)と思ったら、お詣りする人の休憩所になっていました
まだまだ先があります

拝殿
やっと上がってきました「妙見宮」の拝殿です
二人でお詣りをし、ご本尊様は裏に回ると拝めますよと教えていただき行ってみました

織女石(たなばたせき)
ご本尊はこの巨大な隕石と聞きました
妙見の祠、妙見山にあり土人(土着の人)、織女石と呼ぶ『河内名所図会』より
                               享和元年(1801)

急な225の石段に心臓が耐えていますけど、ご本尊様は分かって下さいましたか🙏
帰り路は滝ルートなっており楽な下り坂でした

妙見川

平安時代この辺り一帯は「交野ケ原」と呼ばれ平安貴族の別荘があり、人目を忍び
逢瀬を楽しんでいたのかも( ^ω^)・・・

曇り空でしたが桜の木の下でお弁当をいただき、コロナ禍の中のんびりリフレッシュする
ことが出来ました。


2021年4月26日月曜日

ヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)(2021・4・26)

お友達から山田池の「なんじゃもんじゃ」の花が満開ですよとラインをいただき
早速「緊急事態宣言」で自粛中ですが、広い公園だから気を付けて行くことにしました
もうずいぶん昔になりますが、岐阜県の恵那に田んぼの畦に「なんじゃもんじゃ」の大木が
在って田植えが始まり田んぼの水面がまるで鏡のように、そこにクルクル舞い落ちる花びらの美しいこと忘れられないシーンです

ヒトツバタゴ (なんじゃもんじゃ)

「ヒトツバタゴ」は樹木の一面を雪に覆われたように真白な花が咲きます
この美しい珍しい花を見て「なんじゃこれは?」という意味から「なんじゃもんじゃ」と
呼ばれるようになったそうです

なんじゃもんじゃの花

木の実を野鳥に運ばれて自生している「なんじゃもんじゃ」は自然の中に溶け込み
また違った美しさを醸し出しています

2021年4月25日日曜日

石清水八幡宮  (2021・4・25)

「緊急事態宣言」が出てこれから我慢の生活をすることになりますから、午前の早くに
石清水八幡宮にお詣りをしましょうと車で出かけました。

国宝石清水八幡宮桜門

860年(貞観2年)清和天皇が石清水寺の境内に社殿を造営したのが創建とされています
平安時代には神仏習合が進み、宮寺として「石清水八幡宮護国寺」と称するように
なっていく、江戸時代まで「男山48坊」と呼ばれる宿坊が参道に軒を連ねていたといい、文化人でもあった松花堂昭乗も社僧であったと言われております
1868年(明治元年)神仏分離令により明治2年「男山八幡宮」に改称されて、護国寺は
廃仏毀釈によって廃寺とされました
明治4年社名を「石清水八幡宮」へ戻し今に至っています

御神木「楠」

楠木正成公が1334年(建武元年)必勝を祈願し奉納した楠と伝えられています 
樹齢は約700年、京都府の天然記念物に指定されています
楠木正成は最後まで後醍醐天皇に忠義を貫くも結果は命を落とすことになりました

男山展望台

展望台からは美しい新緑、京都市内を一望できる自然のパノラマが広がります
正面には京都タワー、比叡山の山並みも霞がかかって見えますが黄砂の所為かも・・・


オナガドリ
   
   男山展望台には竹細工教室があり、庭には竹で作った
   可愛いオナガドリが居りました
   周囲には竹で編んだ毬の大小の作品が沢山飾ってあり
   他の竹製品も見てみたいと思ったのですが、
   残念なことです
   今はコロナでか教室は閉鎖されていました








緑豊かな男山の竹林に射し込む太陽の光がキラキラ✨輝いて美しい!!

男山の竹林

きれいに整備された竹林は、竹と樹木を共生させる活動のボランティアグルーフが
「八幡たけくらぶ」を立ち上げ、今ではNPO法人として竹林の整備は勿論の事
竹細工教室など活動してます

エジソン記念碑
白熱電球のを発明したエジソンです
発行体であるフィラメントに男山の竹(まだけ)が採用され、白熱電球の実用化に成功し
電球の寿命をのばしました

楠木

クスノキは独特な芳香を持つことから「薬の木」を語源とする説もあり、防虫の効能があり
仏像の材に使われています
クスノキのある場所に一日5分程いると、ストレスに十分効果が得られるそうです
大空に伸びる大木を見ているだけでも心が緩みますから「薬の木」には違いないかな・・・

今日は朝早くの森林浴と日光浴にコロナに打ち勝つ免疫力が増大したでしょう。

2021年4月24日土曜日

大阪市立大学附属植物園  (2021・4・24)

明日から「緊急事態宣言」が発令されるというので、その前に大阪市立大学植物園に 行き
混雑状況を見て入園することにしました。
やはりゲート門には「緊急事態宣言」発令により「4月25日~5月11日」まで休園しますの
張り紙がしてありましたが、入園者はちらほらです

やまつつじ

小学生まで田舎に住んでおり野山を駆け回り、かすり傷をしては母に女の子が・・・😋
その時の花の美しさを忘れられず長い間探していたのに「ここにあったぁ~」と
うれしさの余り大声をだしてしまいました

のんびり散歩道を歩いていると夫が青サギがいるよと小声で教えてくれた

アオサギ

アオサギは近づいて行ってもこちらを見る風でもなく、虫でも狙って集中いるようです
しばらくの間ジーとしており(粘りづよい)最後にミミズをゲットして飛んでいきました
起きている間は食べ物さがしかな👀

シナアブラキリの花

原産国は中国で可愛い花です、実は中華の肉まんのような形をしており種子を絞って桐油を取り紙に染み込ませて和傘や提灯等を作っていたそうです

ハンカチの木

ハンカチの木は10年程前お友達に「この木何の木か知ってる?ハンカチの木って言うの」と教えてもらったのですが、今日初めて見て納得ハンカチが沢山ぶら下がっていました

ウォレミパイン

「ウォレミパイン」は1994年にオーストラリアのウォレミ国立公園の奥深い渓谷で
発見され、世界中の植物学者を驚かせましたとか、この木は2008年植えられ最大40mの高さになるそうですが、今2mほどでしたから私には40mの高いのは( ^ω^)・・・
     
「ステイホーム」の時に森林浴と日光浴が出来て倖せでした。

2021年4月15日木曜日

白髭神社 (2021・4・15)

4月15日コロナ禍の中滋賀の高島市まで出かけました。

国道161号線を1時間ほど走り道の駅「妹子の郷」へ、このご時世なのか以前に寄った時と違って品薄で人も少なく寂しい感が漂っていました

道の駅「妹子の郷」

小野妹子は推古天皇の時代に隋に派遣されたと習った時に「妹子さん」は女の人?
恥ずかしくて聞けなかった苦い思い出が( ^ω^)・・・

20分ほど走ると十割そばの美味しい「白ひげ」があるので、お昼はそこにすることに

鯖すしセット

ランチは「鯖すしセット」を注文お蕎麦は10割だけに腰があって美味しかったかのですが
鯖寿司はもう少し酢が効いたのが好きです

近くには「白髭神社」があります

社殿の前の鳥居から琵琶湖の中の鳥居

「白髭神社」は名の通り延命長寿の神様をお祀りしています
日本一大きい琵琶湖畔に浮かぶ鳥居は「近江の厳島」とも呼ばれています

ここまで来たからメタセコイアの新緑を見たいというので再び30分ほど走りました

メタセコイア

マキノ高原へ続く道として500本ものメタセコイアの木が植えられ「新・日本の街路樹百景」に選ばれ多くの人が訪れるようになったそうです

メタセコイアは中国で生きた化石として発見され、その種がアメリカの植物学者によって
自生地で採取され1949年挿し木と種が天皇陛下と国に納められ、全国に各地に植えられ
ました
メタセコイアの花言葉は「平和」だそうです

おばあちゃん手作りのゾウリ

我が家ではスリッパではなくこの様な布ぞうりが一番履きやすく重宝しています

久し振りに遠出して疲れましたがリフレッシュ出来ました。