2013年7月15日月曜日

天得院の桔梗

今日は「天得院」の桔梗が見られる一般公開の最後の日となり、早朝の雨できっと美しく咲いているだろうと他の用は扨置き出かけることにしました。

天得院の立看板
東福寺の門前に「天得院」はあり、立て看板をカメラに収めましたが少々ピントが・・・


天得院山門
南北朝時代の正平年間(1346~70)に東福寺の無夢禅師によって開創され、文英清韓が
住特となった折「方広寺鐘銘事件」で家康の激怒に触れ「天得院」は取り毀されました。
現在のお堂は天明9年(1789)に再建されたそうです。

南庭の桔梗
桃山時代の作庭と言われる枯山水庭園に雨上がりの杉苔が緑色に映え、桔梗がより美しく見えて
時折吹く風が涼しげに花を揺らします。


桔梗の花言葉は「やさしい愛情」「気品」「変わらぬ心」だそうです、幾つになっても失ってはならない大切なものですね。



南庭

                      白と青紫の桔梗なんて美しいんでしょう!!

西庭の窓
花頭窓から見える石灯籠と桔梗にとても風情が感じられ、誰もが正座して眺めています。

西庭
やはり西庭に咲く桔梗は何気無し弱々しいようでより清楚な気がします。

お薄に生菓子
お薄はとても好いお加減、お菓子は美味しく心尽くしのティータイム。


広くはないですが手入れの行き届いた庭園に暫しの間ゆったりとした時を過ごし、お隣に腰を下ろされたご夫婦とのたわいも無い会話に幸せなひと時です。
宵宵山に行かれるとか私も明日行ってみようかな・・・

帰り際女性がビデオを見ていたので私も何気無く見ると同級生のお寺(鈴鹿の龍光寺)の名前とお顔が目に入りビックリ!下記のようなお話でした。

文英清韓は私の故郷、鈴鹿の出身で「龍光寺」から「東福寺」で修行し出家後は加藤清正に従い
朝鮮半島へ随行し、慶長5年(1600)には東福寺の同年9年には南禅寺の長老となり「天得院」は住坊として使われていたそうです。

豊臣秀頼の依頼で作った「方広寺」の鐘の胴に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」が家康の怒りに
触れて「方広寺鐘銘事件」として有名な話でした。

地位を追われた文英清韓は伊勢の「無量寿寺」というお寺で数年住んでおり、家康死後許されたというお話をしてみえました。

小学生の頃に遊んだ土手に咲く桔梗を思い出しながらの帰り道、「そうだ!帰ったら友達に電話
しましょう・・・」
夜、久し振りにお友達とおしゃべり彼女も元気で青春しているようでよかったー
私も負けずにこれからの人生謳歌しよーと・・・

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