2013年7月17日水曜日

祇園祭

今日は昨夜「祇園祭」の宵山を見に行くつもりが混雑ぶりを聞いたら意気消沈です。
「明日の巡行を気合を入れて見に行きましょう!」と言う事で1時間前に四条交差点から少し離れた河原町通りで場所を確保出来ました。


交通信号作業車

           


道路標識








    





巡行少し前にはこのように作業車が来て手早く信号・交通標識などをアーケードの屋根に寄せていきます。


「祇園祭」は八坂神社の祭礼で貞観11年「869」に疫病が広まり無病息災の願いを込めて行われるようになり、全国の数にちなむ66本の矛を二条城の神泉苑に立てたのが起源だそうです。
「京都祇園祭の山鉾行事」は重要無形民俗文化財に、またユネスコより2009年には
無形文化遺産に登録されています。


長刀鉾

長刀鉾には唯一稚児さんが乗っています

毎年「くじ取らず」とし先頭を行き「しめ縄切り」をして巡行が始まります

















        
 

長刀鉾の天辺には宇近作の長刀(現在は竹製)が刃先は前方に向かず右方に向け
御所と八坂神社の方向を避け疾病邪悪を払いながら進みます。



函谷鉾(前掛は旧約聖書創世記の場面を描いた16世紀の
毛綴で重要文化財です)


函谷鉾(かんこほこ)
「函谷鉾」の名は中国戦国時代孟嘗君が泰の国を逃れ函谷関に着いたが、早朝の鶏の鳴き声で関が開くため家来に鶏の鳴き声を真似をさせ門を開け脱出できたと言う故事によるそうです。

鶏鉾

鶏鉾
貿易で富を築き江戸時代に高瀬川を造った
豪商角倉了以のゆかりの船を表わした綴織の胴賭けです

















 
 



鶏鉾は中国堯時代天下が治まり訴訟用の太鼓も使わなくなり鶏が巣を作ったという故事に由来
するものだそうです。
赤い菅笠が鶏の鶏冠を意味しているのでしょうか・・・

月鉾

月鉾はこの先の鉾頭には新月(みかづき)がついています。
月鉾は真木の「天王座」には月読尊を祀ります。
屋根裏の草花図は円山応挙、左甚五郎作の彫刻など豪華な鉾だそうですが、関係者でないと見ることは無理でしょうね。

孟宗山
孟宗山胴掛け
孟宗山は中国「24孝」の1人孟宗が病気の母親のため好物の筍を雪の中から掘りあて母を
喜ばせたという話から由来しているそうです。
胴掛けは平山郁夫原画による[砂漠らくだ行く(日)」が見られましたが、反対側は月の砂漠の絵のようですきっと青い月の素晴しい一枚でしょうね。
見送りは竹内梄鳳の「白地墨画竹林図」で華やかさの中に落ち着いた美しさを感じる一枚でした。
鉾ばかりでなく山も素晴しい・・・
長い伝統をただただ感心するばかりです。




岩戸山










岩戸山の引き手には多くの外国の方がおり
驚きました。






岩戸山は「日本書紀」や「古事記」でおなじみの天照大神が「天の岩戸」から現れる神話」に
由来して造られたそうです。
昔は屋根のない山でしたが鉾と同じ大きさの車と屋根をつけ改造されたましたが、いつの年代なのかは記録がなく分からないようです。

船鉾
四条河原町交差点「船鉾」の「辻廻し」が始まりました、遠くからなのでよく見えませんが竹を敷き
水をかけ「ソーラ」「エンヤラサー」の掛け声に曳き手が進行方向へ引っ張り方向転換、これには
沿道から歓喜と拍手がおこりお見事です!!!
3回ほど廻し烏丸通りへと進みます。

船鉾
船鉾は「日本書紀」の神功皇后の新羅出船に由来しており、鉾全体が船型をしています。


役行者山
役行者山は修業道の開祖、役行者が一言主神を使って葛城と大峯の間に石橋をかけたという
伝承に由来した山だそうです。

鈴鹿山
鈴鹿山は伊勢の国鈴鹿山で道行く人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現「瀬織津姫命」の伝説に由来した山なのです。

私の故郷鈴鹿の町も夏祭りには「コンコンチキチキ・コンチキチン」と鉦や太鼓鳴らし山車をお宮まで引っ張って「よく頑張りました!!」とお土産をいただけるうれしい田舎の夏祭りの思いでかな・・・

大船鉾
大船鉾は唐櫃(からびつ)での巡行でした。
「大船鉾」は幕末の「禁門の変」(はまぐり御門の変)で一部を残し焼失したが150年ぶりに復活
来年の巡行では往時の姿が見られるそうです。

おまわりさん「ほっー」
33の山鉾が通り過ぎ「動く美術館」と言われるだけに見応えある祇園祭を楽しみました。
来年からは「祇園祭」本来の「後のまつり」を復活すると聞きました、33山鉾を一度にみる事が
出来ラッキーだったのかな・・・

ちょっと一言、時機を逃して用を成さないことを「後のまつり」といいますが祇園祭の山鉾巡行は、
神幸祭・神輿渡御が終り主立ったものがないことから「後のまつり」と言われるようになった説と
7月17日の「前まつり」は豪華絢爛な鉾が巡業するのに対し、7月24日の「後まつり」は山のみの巡行で小規模である事から「後のまつり」という説もあるそうです。
どちらのせよ「後のまつり」と言われるのは嫌なことですよね。

「疲れましたぁー」好物の「おめん」のおうどんをいただいて疫病災難よけの食べる「ちまき」を買って帰りました。
ちまき
祇園祭の「粽」は目に入りやすい門口などに吊るしますが、私達は「ちまき」と言えば五月の節句と
思うのですが災い除けとしての「ちまき」が「寛永堂」のお店に並んでいたので食後のデザートにと
美味しくいただき一挙両得でしたぁ~

来年も元気でいられ反対側の胴掛けをみられる事を願っていまーす。

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