お友達から「5年振りにが菊人形展が開催されているからに見に行ってみましょうよ」と誘っていただき3人で「ひらかたパークへ」行くことになりました。
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巳 |
ゲートを入るときれいな花で飾られおり来年の干支「巳」がデコレーションされています。
とても可愛らしく出来ており車椅子のお年寄りグループがワハハァ・・・大喜びしてみえました。
バラもまだ咲いており花に囲まれお弁当をいただく事にして、おいしさ倍増ですよー。
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バラとジェットコースター |
ひらかたパークの園内にあるバラが競い合うように美しく咲いておりました。
その中でもお気に入りの数点です。
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ザ・ダーク・レチィー (イギリス) |
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ラジオタイムス (イギリス) |
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テス・オブ・ザ・ダーバーヴィルズ (イギリス) |
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ヘリテーシ (イギリス) |
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バレリーナ (イギリス) |
バラはナポレオンの皇后ジョセフィーヌが愛好し彼女没後も造園したバラ園で品種改良が行われ
これが鑑賞植物としてのバラの基礎となった そうです。
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グルス・アン・バイエルン (ドイツ) |
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悠悠の約束 (フランス) |
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ファストプライス (アメリカ) |
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円山 (日本・京阪園芸) |
ローズガーデンはシーズんの頃には見事でしょうが、今の時期は少し花の痛みもあり残念でした。京阪園芸独自に品種改良されたのか日本名が付けられているバラも沢山ありますから、
春の満開のころもう一度訪れてみたい・・・
バラを十分楽しみこの後に菊人j形をみる事にしました。
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ひらかたパーク菊人形パンフレット |
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平清盛 |
平清盛は忠盛の長男
「平家にあらずんば人にあらず」と言われる
時代を築きました。
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平盛国と忠盛 |
忠盛は清盛の父、盛国は側近です。熱病に倒れた清盛は京都の盛国の屋敷で息を引き取ったということです。
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源頼朝 |
1192作ろう鎌倉幕府が成立する。
鎌倉時代初代征夷大将軍
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巴御前と木曽義仲 |
源(木曽)義仲は平氏の大群を破り京へ上るが、治安の維持など失敗により頼朝の送った軍勢により打たれました。
巴御前は義仲の愛妾ですが源義経の軍と宇治川戦で戦った女武将として知られています。
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平知盛・二位尼に安徳天皇 |
二位尼は平清盛の後妻だった、壇ノ浦の戦いで敗れた平家軍「海座にも美しい都はある」と言い
「安徳天皇」をだいて海中に沈みました。
平知盛は清盛の4男、平家の滅亡を見届けイカリを担いで入水したのでした。
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北条政子 |
北条政子は鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室で「尼将軍」と呼ばれ幕政を敬重していました。
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白川院 |
第72代天皇であり、3代にわったての幼い天皇を擁し43年間院政を行使し権力を保持しました。
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藤原璋子・藤原得子 |
藤原璋子は第74代鳥羽天皇後宮(待賢門院)・嵩徳天皇・後白河天皇の母です。
藤原得子は鳥羽天皇譲位後の妃(美福門院)・近衛天皇の母です。
大乱に巻き込まれながらこの時代を生きるのは大変なことだったのでしょうね。
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池禅尼 |
池禅尼は平忠盛の正室・平清盛の継母で家盛・頼盛の母です。
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平滋子 |
平淑子(建春門院)は第77代後白河天皇の妃・高倉天皇の母です。
平安中世には院政が開始され鎌倉幕府の頃までの女性は美しく、また強い信念の人達だったのでしょうか・・・。
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菊付け |
今では菊師の方も少なく高度の技術で花の開花などを
イメージしながら菊付けを行い、10日間ほどで着せ替えるのだそうです。
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根巻きした人形菊 |
この日も着せ替えを見せていただきましたが、それは大変な
手間隙がかかる作業のようです。
パンプレットにある諏訪原寛幸さんのイラストの展示コーナーがありました。
武将画で人気のある方なのだそうです、私は初めて見ましたがインパクトのあるイラストでした。
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源義経 |
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後白河法皇 |
今日は久し振りの3人とお喋りしながらで美しいバラに、香りただよう美しい菊を見て十分楽しめ
「ありがとう!」でした。
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