2011年12月13日火曜日

友だち来る

12日東京で下町の踊りをお稽古していた時の仲間二人が訪れてくれました。
一人が上野の美術館で会った月光菩薩、日光菩薩さまの平生鎮まっているお寺を訪れたいと言うので薬師寺へ行くことになりました。

金堂

薬師寺は680年天武天皇により飛鳥の藤原京に建立されました。
薬師如来を中に日光菩薩、月光菩薩の三尊の美しい姿の仏様を拝み彼女は感慨にふけっているようでした。
さすがに白鳳時代の仏さまですね。

東塔(国宝)
奈良時代の高い工芸技術を現代に伝えている塔です。
明治時代に解体修理されそれ以来の修理が始まるので塔は周りを覆う工事が始まっていました。
8年もの長い年月が費やされるとか「しばらく見られないのですからよーく見といてくださいね」と
薬師寺の方が私達に言われました。

東院堂(国宝)
1285年に建てかえられましたが、ここは土間ではなく板が敷かれているのはこの頃禅の影響があったと考えられています。
聖観音菩薩の像(国宝)が置かれています。インドのグプタ王朝の影響を受けているのだそうです。

唐招提寺山門

唐招提寺金堂(国宝)
唐招提寺は759年鑑真和上が建立されました。
奈良時代の寺院金堂としては現在唯一の建物で寄棟造の本瓦葺です。
講堂をお参りしている時に係りの方が仏様の序列みたいなことを質問されましたが・・・・・
「御免なさい分かりません」と私達「これだけでも忘れずにお帰り下さい」
如来、菩薩、明王、四天王、羅漢様沢山の仏様がいらしゃいますがこれだけはお寺を出られても
憶えてお帰り下さいませ。
このなふうだったとは思うのですが・・・・・



御影堂(江戸時代)
御影堂は鑑真和上の弟子が講堂の梁が折れる夢をみて師僧の死去が近いことを知り造らせた
像という。
日本最古の肖像彫刻といわれております。
障壁画は鑑真和上の像に奉納するために東山魁夷画伯によって十年もの歳月をかけ描かれました。


法隆寺南大門(国宝)

法隆寺の境内入り口玄関になるこの門は入母屋造の一重門です。
1438年に再建されました。

五重塔
こちらは五重塔・金堂をを中心とする西院伽藍の方になります。
私達は閉館時間も近く残念ながら外から建物を眺めるのみとなってしまいました。

中門と回廊(国宝)
入母屋造の二重門で左右に金剛力士立像(奈良時代)を安置しています。
日本最古の仁王像です。

東大門(国宝)
夢殿へ向かう途中に建っている門です、奈良時代の八脚門で珍しい建物の一つです。
ここからは東院伽藍の方になります。


夢殿(国宝)
斑鳩宮跡に聖徳太子の遺徳を偲び739年に建てられました。
聖徳太子の供養の像が安置されていました。
このとき一人が真面目に「ねぇ時の下にはなんて書いてあるのときよってなーに」と聞くので二人は爆笑です(お腹が捩れるのではないかと心配なほどに)
「藤原時代でしょう」本人も「わぁ信じられなーい私馬鹿よねぇ」三人でまた大笑い・・・・
参拝券売り場のおじさんたちも「何がそんなに面白いの最高の笑顔だよ」と言って訳も分からず
そこでも笑いが起こりました。
「笑ってないでお札も見なさいよ」となんだかお知り合い同士みたいな愉快な会話のひと時でした。








このお庭は中宮寺で今赤い実の万両が咲き
つつましい感じの尼寺です。
江戸時代初期から門跡尼寺として今日に至って
います。
中学の教科書に載っていた弥勒菩薩像を修学
旅行で拝観した時の思い出があります。
こんなに目の前に本当の仏様がいるんだぁ~。

今日一日ハードな観光でしたがユネスコより世界遺産に登録されたいにしえの奈良の都を
3人仲良く訪れることが出来、車で私達を案内してくれた夫に感謝です。
夜は光善寺の居酒屋さんで4人でワイワイ盛り上がり楽しい一日でした。


13日は3人で京都へ行くこと決めました。先ずは蹴上げまで電車に乗って銀閣寺まで散策する事となりました。


琵琶湖疏水(トンネル)
琵琶湖疏水「水路閣」明治18年起工、23年竣工した煉瓦造のアーチ構造で京都を代表する最高の一つです。
インクラインとは急勾配を動力によって船や貨物を運ぶ装置です。
明治時代のトンネルをくぐり少し歩くと立派な山門見えてきました。


東照宮(金地院)
東照宮と言えば「日光東照宮」ですが上野公園の中にも「東照宮」があり、またここにも「東照宮」が
ありました。
江戸時代徳川家康は偉大な征夷大将軍だったのですね。
ここには徳川家康公の遺髪と持念仏が納められています。

南禅寺三門
藤堂高虎が1628年に再建し入母屋造、本瓦葺で日本三大門の一つです。
歌舞伎で五右衛門の「絶景かな絶景かな・・・・・」と感動する台詞が有名ですね。

三門の楼上から
急な階段を上がるとまだ紅葉がうつくしく映え、楼上は手摺がつやつや廻り縁をぐるりとひと回り
「絶景かな・・・・」を十分に堪能できました。

水路閣
南禅寺の境内にあり今もとてもきれいですが、きっと紅葉の色ずく頃には最高の絵になるでしょう。
映画やテレビにこの場面が使われるのも納得しますね。


水路閣の上を流れる琵琶湖からの疏水、京都の疏水はすべて北の方向に流れているそうです。

銀閣寺(国宝)
足利義政が1482年東山山麓に造営したものを死後禅寺に改められました。
京都楼閣建築の代表寺院です。

東求堂(国宝)
足利義政公の持仏堂で入母屋造、檜皮葺きの最古の書院造りです。






錦鏡池を中心に回遊式の庭園で波紋を表わす銀沙灘と富士山のような向月台がありました。
これらは自然の光りの反射を室内の明かりとして活かしていたのだと言われています。














ゆっくりとお喋りも楽しみながらの哲学の道を散策です、最後の金閣寺を見て遅いブランチでした。
おめんで美味しいおうどんをいただき、桜の頃に会う約束をして2人を京都駅まで送りました。
二日間の愉快な時間はここで終わりです。


2011年12月11日日曜日

枚方56市

今年最後の「枚方56市」になるのでお友達と枚方公園で待ち合わせ市を楽しむことになりました。
早速に私は公園駅の前に出ているお店で乾物などを買いお友達の苦笑をかう。



56市は若い人の手造りも沢山出ていて小さい子供を連れたお母さん方も多いようです。
ここにあったうさぎの置物がとても可愛く眺めていると「先はまだまだあります」腕をとられ次のお店に向かうことなりました。

元気な若者ニッコリ!はいポーズ
若者2人がくらわんか汁を「1杯100円でーす美味しい上に暖まりまーすよ」と呼びかけているのに
誘われ頂く事にしました。
お汁はおからをベースに鶏肉、ごぼう、油揚げの具沢山のさっぱりお汁で美味しかったです。

くらわんか汁




路地に入るとまだ宿場町の名残があり格子戸の家が並んでいます。
宿場町として賑わっていた頃を想像してみるのも面白いかな・・・・・
お友達のお家もこの時代に旅籠屋をしていたとかで嫁いだ時には長い間使い込んできた用品があったそうです。






枚方56市は東海道53次に続き徳川家康が京街道を
東海道の延長とし宿場をつくりました。京都から(伏見54)(淀55)(枚方56)(守口57)大阪の京橋となりました。
その宿場町56に因んでいるとか聞きました。



枚方宿は淀川の港町として30石船に乗ってくるお客さんに「餅くらわんか、酒くらわんか」とお茶碗に入れ売っていたのだそうです。
淀川の川底からはその頃使っていた茶わん等が出てきます。


本陣の建物は明治3年に取り壊さました






沢山の人で賑わっていますから少し遅くなると欲しい物がなくなってガッカリです。
私も燻製したさんまがゲットしたかったのですが売り切れており、変わりに鳥肉の燻製を買いましたがまだ食していないのこちらのお味は分かりませんです。



格子戸にここの方の趣味で集められたのか沢山のお面が飾られていました。
道行く人は立ち止まって「どのお面が好き、怖い」とか話して話題の一つになっていました。
私達も同じ事を言ってましたがさーてどれかな?



今日のお買い物の中で私一番のお気に入りの苔玉の松に笹が植えられたものです、お正月にここに少し梅の木を添えれば立派なお正月のお飾りになると思いませんか・・・・・・。


私達2人のんびりと市を見てまわり夫にも肩掛けバックの素敵なのを買い、酒屋さんの裏手にある
お洒落なパスタのお店でランチをしてなんと幸せな一日だったでしょう。


2011年12月4日日曜日

神峰山寺(かぶさんじ)

日曜日の午後暖かいので早めに昼食を済ませ高槻市にある神峰山寺に行くことにしました。
以前新聞でこのお寺の記事を読み関心を持っていましたから、それほど遠くもなく訪れることにしました。


ここは天台宗のお寺神峰山寺の参道になるのでしょうが、鳥居がありました。
神仏習合の名残がここに残っていたのでしょうか。

牛地蔵
このお地蔵さんは江戸時代に京坂越えで荷物を運ぶために使われた牛を労わって、牛の地蔵さまをお祀りしたようです。
お参りする人たちが撫でるのでつるつるになっています。


参道は車でもに行くことは出来ますが、ここは十分に注意をしなが歩いていくとそれは美しい風景に出会えます。

勧請掛(かんじょうかけ)
縄にしきみを結びつけた物です。12本の掛け物は薬師如来の12神将を示しているそうです。
聖地との境界を意味していますが、大阪商人はその長短などで米価や株価を占ったと言われます。



 










参堂を歩いていると
緑の中に赤や黄色に染まったもみじが、それは
きれいです。


梵字で書かれた道標
参道の端っこにポッンと立っていました。「七町」は約760m程ですからこの道標を見た古の参拝の人達はきっと「ホッ」としたことでしょうね。


仁王門

神峰山寺は天台宗のお寺です。
役行者小角(おずぬ)が開山し770年頃に開成皇子が創建しました。




仁王門から本堂への参道はもみじもの葉っぱも落ちて、回りは紅色に染まりまた違った趣がありました。



本堂
本尊の毘沙門天は平安時代後期の木造で、日本で最初の毘沙門天なのだそうです。

菩提樹の木
本堂の前庭には大きな古木がありました。
この菩提樹の木は高槻市の古木として指定されていました。
お釈迦様が菩提樹の木の下で「悟り」を開かれたといいますからお寺の境内には良く見られますが
生命というか何か不思議な力を感じさせる木でした。







銀杏の木かと思うほど大きく黄色のもみじ、あまりの立派さ暫しみとれていました。
赤いもみじも負けず劣らず競い合っています。






開山堂
もみじの落ち葉が美しい


















開山堂は神峰山寺を開山した役行者小角を祀っています。


鐘楼
ここの鐘楼は「鐘つき堂」と言った方がぴったり、子供の頃母から「鐘が鳴ったら帰ってきなさい」と
よく咎められたものです。

13重塔
光仁天皇の分骨が納められおります。

観音堂
ここの石階段は巾がとても狭く歩き難い、周りの石積みも苔が生え古き時代を想わせます。



神峰山寺のもみじ狩りは十分に楽しめました。
陽が落ち始め少し肌寒くなってきた体に美味しいおぜんざいは最高のご馳走!!
さぁもう少し頑張って鳥居の入り口まで歩きます。