2013年11月8日金曜日

川村夫妻と鳥羽へ1泊旅(11月8日~9日)1日目

今年も川村夫妻は好きなゴルフ観戦のため賢島のLPGAミズノオープンゴルフへ行く事になり
私達は「第62回神宮式年遷宮」で新しくなった社殿を拝することにして、鳥羽のホテルで待ち合わせ食事を一緒に楽しむ事にしました。

宇治橋
五十鈴川にかかる宇治橋は日常の生活から神聖な世界への境界の橋です。
宇治橋内側の「神明鳥居」は内宮棟持柱を使い後20年は鈴鹿峠の「関の追分」の遥拝鳥居に、
外側の鳥居には外宮棟持柱を使い後の20年は桑名の「七里の渡し」の遥拝鳥居に使いわれ
1300年の間このように大切に執り行われているのですね。。
宇治橋の欄干には16の擬宝珠があリその中の一つがパワースポットだそうで、気づかず渡って
残念でしたぁー。
玉砂利をザックザックと踏みしめますがこの広い「お伊勢さん」の玉砂利は伯父の知り合いの方が毎年寄進していると聞いていましたがあれからもう30年以上にもなりますから今は・・・

五十鈴川・御手洗場
川の石畳は元禄5年(1692)徳川綱吉将軍の生母桂昌院が寄進したと言われております。
昔は魚が泳いでいたよう気もしますが、今日は見られません・・・


御饌殿(みけでん)


神楽殿

神楽殿ではご祈禱の神楽が奉奏できます








          
           
                                               

お札を求めて大勢の人がいますが「遷宮」の記念になのでしょうか・・・
子供の頃は松の内に「お伊勢さん参り」に出かけ、ちょぴり刺激のある「生姜糖」のお土産が嬉し
かったものでした。
「内宮」には「おみくじは」はないのです。何故かというと古来より重要な事柄は神さまの意思を
占なっていたため個人を占なうことは慎んむべきという考えから伝統が守られてきたというのです。

正宮「皇大神宮」
天照大御神がお鎮まりになって、日本の総氏神さまといわれます。
垂仁天皇26年に鎮座され2000年、「唯一神明造」の建築で20年に一度の遷宮で昔の姿を
受け継いでいます。
ここは日々感謝を伝える場であり、お願い事は別官(荒祭宮)でするということです。
「お賽銭箱」もありません「私幣禁断」といって、天皇陛下以外のお供えは許されていないからです。

荒祭宮
天照座皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみのかみのあらみたま)舌をかみそうな神さまをおまつりしています。
困った人の助となる神さまに沢山の人が順序よく並んで待っていました。

伊勢湾台風では参道の周りの神宮杉が倒れ神々しい森がとても痛々しく思われてなりませんでしたが、あれから55年余り「気」を感じる「お伊勢さん」は心のふるさと・・・

おはらい町
旧参宮街道はおはらい町通りとなり路地はおかげ横丁になって、「岩戸屋」と「赤福」の看板だけが
当時の面影を留めていました。

江戸時代「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんが、桑名の「7里の渡し」で船をおり東海道追分からわが町神戸を通りお伊勢さんへと珍道中・・・
江戸の庶民も挙って「お蔭まいり」にと流行したのだそうですが、また違った賑あいの場所だったのでしょうか。

岩戸屋
赤福の茶釜


















「外宮」さんから「内宮」さんとお参りするのが習わしだった事はすっかりと忘れて「おかげ横丁」で
時の過ぎるのも忘れ懐かしく昔話に花が咲く二人なのでした・・・

今夜の宿泊「タラサ志摩」ホテル&リゾート」まで田園風景を楽しめそうです。
誰も収穫する人がいないのか里山には柿が地面にくっつきそうなほどに実がなり鳥やお猿の特別な食べ物になっているようです。

タラサ志摩ホテル&リゾート
夫はフロントでパンツを借りてプールへ誰もいない海辺のジャグジーで手足をバチャ・バチャ気持ち良さそう、ちょっぴり羨ましいかな・・・

川村家の夕食は私達のティータイム「両家の間を取って5時30分にしたよ!」という事で美味しい
創作日本料理をいただき、写真は前菜の一枚だけで後はお口の中へ運ばれてしまいすっかり撮る事を忘れておりました。

前菜
ワイン好きな彼は部屋に戻ってワインを開けて尽きない話が続きますが、早寝早起きのご両人は眠そう、私達もしっかりと疲れましたから直ぐさま就寝です。


                                           充実の1日でした

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