2013年11月9日土曜日

川村夫妻と鳥羽へ1泊旅(11月8日~9日)2日目

今日は早起きしてき鳥羽水族館へ行き、お昼は焼が牡蠣をお腹いっぱい食べましょうプランで始まりました。
彼女は数年前に見たジュゴンの「じゅんいち」の事が気になるというので土曜日でもあり人が少ない時間帯に見に行く事にしました。

鳥羽水族館シニアチケット
チケット売り場でシニアの証明書は不要だったのです「太っ腹ですー」

これなーに熊・・・?
ラッコ













この場面は飼育員さんが水槽に水面から1メートル程のの高さのある面に投げたいかをジャンプして上手に取る「技ありー」の瞬間です。

かわいいーごまちゃんかな?
セイウチパフォーマンス(笑)ショーを見ました。
クウ・ポウちゃん2頭のセイウチがいて、飼育さんとの会話と間がなんとも笑えるのです。
動物大好きな私は飼育さんの「一緒に輪投げがしたーい人 手を上げてー」に間髪いれず「ハーイ」
彼女は「臭いしやめなさいよー」と言いましたが、なんと指名されたのでした。
1度目は失敗です、2度目無理な事だと分かりポウちゃんの首へ直接掛ける事に変えました
皆さんに拍手をいただき飼育員さんからも「小さい子供に負けないおばさんパワーでした」と気恥ずかしいお言葉と記念品をいただきこの歳になっても嬉しい・・・
飼育員さんに感謝です。
ポウちゃん
歯みがきしてはお魚を頂戴と要求しその仕草がスローテンポに見えるので滑稽なのです。
飼育員の話す言葉を理解しているようです知能はいいのかな・・・










                                                          この写真2枚が私が頑張って参加した勝利品
  クウちゃんにポウちゃんクリックりなお目目に
  このゴワゴワのお髭が今で言う「ぶさかわいい」
  この口でホッペにキスされ最高!!!(馬鹿みたい・・・)
男性2人には「よくやるよ!恥ずかしくないのかねー」と笑われました。

彼女の会いたかったジュゴンの「じゅんいち」は2011年2月に33歳で亡くなったそうです。

ジュゴンのセレナ
人魚のモデルになったと言われる世界で5頭しか飼育されていない1頭「セレナ」がここにいます。

面白おかしく楽しんだ水族館を出て川村さんお薦めの「焼き牡蠣」を食べに30分ほど戻りましたがお店は生憎と団体客で「NO」サイン、お腹も空いたので道路わきにあった「浦村のカキ」のお店に入って空腹を満たしました。
ブランド牡蠣を焼いてます
カキ汁の焦げた匂いがたまらない~
焼きカキ・サザエ・カキご飯に青さのりの赤だしを注文しました。

ぷりぷりの焼きカキ



サザエは尻尾まできれいに




    青さのりの香りのいいこと



夏の海岸にある海の家のような雰囲気のあるお店で「最高美味しかったぁー」
「浦村カキ」は宮川から流れてきた水が栄養豊富な美味しいカキを育て自然が育んだ牡蠣の最高ブランドなんだそうです。


夫妻は「外宮」へも一緒に行く予定が時間オーバーしてしまい先に奈良へお帰りに、急ぐ予定もない私達は計画通り実行です。

外宮「豊受大神宮」
日除橋から北御門鳥居(きたみかどとりい)の参道です。
「火除橋」とは防火のため人工的に堀川を造り、かけられた橋です。

神馬・笑智号(えみともごう)
皇室から贈られた馬で神さまに仕える馬という意味で「神馬」というそうです。
なかなか会う機会がない優しそうなきれいな「神馬」に会えて私達ラッキーだったのです。


正宮・御饌殿(みけでん)
食を司る「豊受大神」をおまつりし、天照大神さまにお供えする食事は毎朝おこした火を使って支度されているとか何と大変なことでしょうか

多賀宮
大きな杉の木で囲まれ石段には「豊受大御神荒御魂」を拝する人が大勢いましたが、この神さまは
衣食住に、またあらゆる産業の守り神さまだそうで納得です。

土宮
大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)をまつり、古くからの山田原の鎮守の神さまです。

風宮
鎌倉時代「蒙古襲来」の時神風を吹かせて日本を守った大層な神さまだそうですが、何故かお参りする人はちらほらなのでした。

「せんぐう館」へ入りました。
















まがたま池と奉納舞台
「せんぐう館」は第62回式年遷宮を記念して建てられ遷宮の歴史が展示展示されております。
特に外宮正殿の一部分を原寸大で展示してあり、職員の方の説明では次の遷宮では昔のように檜は神宮林だけで整えられるよう準備をしていると話しておられました。
「匠の技」が脈々と受け継がれて日本人てすごーい・・・

久し振りにお伊勢さんものんびりと参拝し、童心に返れた楽しい小旅行でしたぁ~。

2013年11月8日金曜日

川村夫妻と鳥羽へ1泊旅(11月8日~9日)1日目

今年も川村夫妻は好きなゴルフ観戦のため賢島のLPGAミズノオープンゴルフへ行く事になり
私達は「第62回神宮式年遷宮」で新しくなった社殿を拝することにして、鳥羽のホテルで待ち合わせ食事を一緒に楽しむ事にしました。

宇治橋
五十鈴川にかかる宇治橋は日常の生活から神聖な世界への境界の橋です。
宇治橋内側の「神明鳥居」は内宮棟持柱を使い後20年は鈴鹿峠の「関の追分」の遥拝鳥居に、
外側の鳥居には外宮棟持柱を使い後の20年は桑名の「七里の渡し」の遥拝鳥居に使いわれ
1300年の間このように大切に執り行われているのですね。。
宇治橋の欄干には16の擬宝珠があリその中の一つがパワースポットだそうで、気づかず渡って
残念でしたぁー。
玉砂利をザックザックと踏みしめますがこの広い「お伊勢さん」の玉砂利は伯父の知り合いの方が毎年寄進していると聞いていましたがあれからもう30年以上にもなりますから今は・・・

五十鈴川・御手洗場
川の石畳は元禄5年(1692)徳川綱吉将軍の生母桂昌院が寄進したと言われております。
昔は魚が泳いでいたよう気もしますが、今日は見られません・・・


御饌殿(みけでん)


神楽殿

神楽殿ではご祈禱の神楽が奉奏できます








          
           
                                               

お札を求めて大勢の人がいますが「遷宮」の記念になのでしょうか・・・
子供の頃は松の内に「お伊勢さん参り」に出かけ、ちょぴり刺激のある「生姜糖」のお土産が嬉し
かったものでした。
「内宮」には「おみくじは」はないのです。何故かというと古来より重要な事柄は神さまの意思を
占なっていたため個人を占なうことは慎んむべきという考えから伝統が守られてきたというのです。

正宮「皇大神宮」
天照大御神がお鎮まりになって、日本の総氏神さまといわれます。
垂仁天皇26年に鎮座され2000年、「唯一神明造」の建築で20年に一度の遷宮で昔の姿を
受け継いでいます。
ここは日々感謝を伝える場であり、お願い事は別官(荒祭宮)でするということです。
「お賽銭箱」もありません「私幣禁断」といって、天皇陛下以外のお供えは許されていないからです。

荒祭宮
天照座皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみのかみのあらみたま)舌をかみそうな神さまをおまつりしています。
困った人の助となる神さまに沢山の人が順序よく並んで待っていました。

伊勢湾台風では参道の周りの神宮杉が倒れ神々しい森がとても痛々しく思われてなりませんでしたが、あれから55年余り「気」を感じる「お伊勢さん」は心のふるさと・・・

おはらい町
旧参宮街道はおはらい町通りとなり路地はおかげ横丁になって、「岩戸屋」と「赤福」の看板だけが
当時の面影を留めていました。

江戸時代「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんが、桑名の「7里の渡し」で船をおり東海道追分からわが町神戸を通りお伊勢さんへと珍道中・・・
江戸の庶民も挙って「お蔭まいり」にと流行したのだそうですが、また違った賑あいの場所だったのでしょうか。

岩戸屋
赤福の茶釜


















「外宮」さんから「内宮」さんとお参りするのが習わしだった事はすっかりと忘れて「おかげ横丁」で
時の過ぎるのも忘れ懐かしく昔話に花が咲く二人なのでした・・・

今夜の宿泊「タラサ志摩」ホテル&リゾート」まで田園風景を楽しめそうです。
誰も収穫する人がいないのか里山には柿が地面にくっつきそうなほどに実がなり鳥やお猿の特別な食べ物になっているようです。

タラサ志摩ホテル&リゾート
夫はフロントでパンツを借りてプールへ誰もいない海辺のジャグジーで手足をバチャ・バチャ気持ち良さそう、ちょっぴり羨ましいかな・・・

川村家の夕食は私達のティータイム「両家の間を取って5時30分にしたよ!」という事で美味しい
創作日本料理をいただき、写真は前菜の一枚だけで後はお口の中へ運ばれてしまいすっかり撮る事を忘れておりました。

前菜
ワイン好きな彼は部屋に戻ってワインを開けて尽きない話が続きますが、早寝早起きのご両人は眠そう、私達もしっかりと疲れましたから直ぐさま就寝です。


                                           充実の1日でした

2013年11月5日火曜日

友達が京都観光に来ましたよー

今は静岡で一人住まいの友達が彼女のお友達と一緒に京都の庭園めぐりに1泊2日と短い観光にやって来ましから久し振りに会えることになり嬉しいです。

次の日に帰るまでの数時間を彼女の訪れたい「瑞巌山・圓光寺」へお供することになりました。
京都で待ち合わせをして市バスに乗り一乗寺下り松で下車、此処まで来たので「詩仙堂」へ
立ち寄りましょうということになりました。


お地蔵さま
なだらかな坂道を上がる途中にお地蔵さまが真新しい白い前垂れを掛けて貰っていました。
光善寺駅へ行く坂を下がった路地の所にもお地蔵さんの祠があって、きれいな赤い前垂れをしていますが色の違いは何でしょう。


詩仙堂・門「小有洞)
「詩仙堂」は寛永18年(1641)石川丈山59歳の時隠居のために建てられ90歳で亡くなるまで
ここでの生活を送っていました。
「詩仙堂」とは狩野探幽の描いた中国の36人の詩人の肖像に、各詩人の詩を丈山自らが書いて四方の壁に掲げた「詩仙の間」があり、そのように呼ばれています。

六勿銘
6つの~するなの漢詩に、左は隷書で難しい?


嘯月楼(しょうげつろう)
3階の楼閣は丈山が月を見るために作ったものだとか、さぞかし素晴しい眺めでしょう・・・

残月軒
煎茶は庶民の茶であり質素を旨とする丈山は「煎茶道」の祖ともいわれています。

詩仙の間から見る庭園

敷き詰められた白い小石に「サツキ」花の頃はきっと素晴しい事でしょうね。
白い山茶花の花びらが降り、またそこはかとはない風情を醸し出して・・・


添水(そうず)











丈山の考案したという園水を利用して音響を楽しむ添水(鹿おどしともいいます)は今も残され
ていました。


赤とんぼ
きれいに掃き清められた庭はおばあちゃんが「此のように咲き終わった花は来年より好く咲くための準備です」とご自分にあった手作りの腰掛に掛けてお世話をしている頭の上を秋も終わりだというのにアキアカネが飛んでいました。


ここから「圓光寺」までは5分ほどで行くことが出来ました。

瑞巌山・圓光寺山門
慶長6年(1601)徳川家康により開基、足利学校の学頭職の閑室元佶を招き伏見城下に圓光寺を建立、寛文7年(1667)今の地に移されました。
徳川家康の命により活字本の一つである「伏見版」の印刷事業が行われ、現在保存されている
五万個は日本で最古のもので「重要文化財」になっています。

十牛之庭
紅く色づき始めた庭に牛とも見える大きな石があって苔の緑に陽が射し美しい!!


栖龍池
水禽窟











       手洗い鉢の流水を利用し音色を楽しむ・・・
耳を近づけると私には「ピコーン・ピコーン」と
聞こえたのでした。                  


江戸時代初期に造られた庭園で洛北では最も古い池です。

鐘楼
紅く染まっていくこの緑の空間は時間芸術でしょう・・・

本殿から見る中庭

十牛之庭
まだ訪れる人も少なく静寂そのもの、散策小道から眺める景色も心を引き付けられます。
あと数週間もしたら紅葉におおわれ大勢の人を魅了することでしょうね。


時間の経つのも忘れて見とれていましたが、お腹が「グー」となり彼女の昨日の食事はお豆腐三昧
だったというので丁度イタリアンのお店が目に入りランチはここに決めました。
何と大ホーマー、美味しかったでーす。

彼女はワン公のフクちゃんの待つ静岡へ浜名湖での再会を約束し「またねぇ~」
杉苔は色とりどりの紅葉に覆われてそれは美しいそうです、また別の庭の姿を見てみたいしー
それにもう一度イタリアン・レストランも覗いてみたいなぁ~