2013年10月24日木曜日

鹿児島2泊3日の旅(22日~24日)3日目

27号台風の速度もノロノロのようで飛行機は時間通り飛ぶようですから、私達もスケジュール
通りに鹿児島市内見物をすることにしました。

大久保利通銅像
西郷隆盛・木戸孝允と並んで「維新の三傑」といわれています。

西郷隆盛銅像
幕末維新の指導者で地元では「せごどん」といって鹿児島のシンボルだそうですよ。
沢山ある西郷像で近親者の方によるとこちらの像が一番似ているらしです。


ザビエル
キリスト教伝来の地、天文18年(1549)ザビエルは日本人のヤジローの案内で鹿児島に上陸し
キリスト教布教の第一歩を印した人とです。

薩摩義士碑
木曽・長良・揖斐川の治水工事の犠牲者を弔っています。
宝暦3年:幕府は薩摩藩にここの治水工事を命じ84名もの犠牲者を出し、また莫大な費用のために薩摩藩家老の平田靱負は責めを一身に負い自刃されたのです。
幕府の遠慮から公表できずにいたのが、ようやく大正12年(1920)慰霊碑が建てられ義士として
称えられました。

高校生の頃訪れた木曽三川の背割堤には美しい松並木の中にこじんまりとした神社がありましたが「治水神社」といって薩摩藩家老を祭神に藩士をおまつりしていたこと改めて知りました。
国営木曽三川公園として今では多くの人が訪れ楽しんでいます。

西郷洞窟(西南戦争最後の司令部)
明治10年(1877)午前4時政府軍の城山総攻撃が始まり立てこもっている薩軍兵士はわずか
700ほどでした、この洞窟を出て私学校の幹部桐野利秋たちと岩崎谷を下る時流弾を受け介錯を
以って49歳の生涯をとじました。

仙巌園入場チケット




名勝庭園



第19代島津光久によって築かれた別邸です。
折あしく曇り空でしたが桜島に錦江湾が見える堂々とした景色はすばらしい!!
篤姫さんも足を運んでいたそうですが、第13代将軍に嫁いで以来一度も鹿児島には戻る事は
なかったそうですが気持ちは・・・

猫神
このような所に猫神て何かしら・・・?
豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592~1598)で第17代島津義弘は朝鮮出兵の際7匹の猫を
連れて行き陣中で猫の瞳孔の開き具合で時を推測したと伝えられています。
その時日本へ生還した2匹の猫を祀る祠ですが、きっと大切にされていたからなのでしょうね。

両棒餅(ぢゃんぼもち)
薩摩の上級武士が2本差していた姿を「両棒差し」と言い薩摩言葉で「ぢゃんぼさし」と言い2本の棒をに見立てた説と、武士の大半は下級武士で一本差すのがやっとだったので庶民が皮肉り
楽しんだのではないかとも・・・推測はともかく滑らかで美味しーいことには間違いなしでした。

空港へ帰る高速では前も見えないほどの土砂降りに、帰宅出来るかしらと心配しつつ鹿児島空港へ台風の影響で20人ほどの乗客はバランスを取るのか場所は指定されました。

鹿児島は魅力がいっぱーい詰っていました。
                                             24日帰宅

                    


2013年10月23日水曜日

鹿児島2泊3日の旅(22日~24日)2日目

朝早く目を覚まし空を見上げると雲行きがあぶなーい!
朝食の前に砂風呂に入って新陳代謝を上げて今日のハードスケジュウルを乗り切ろうー。

薩摩伝承館
ここに来れば、薩摩が分かるー。とパンプレットに記された白水館の敷地内に「薩摩伝承館」という美術館があります。
二人共薩摩の金襴手と薩摩切子には興味があり是非見てみたいとオープンを待って入りました。
瑠璃地色絵金襴手大名行列花瓶


金襴の間
















幕末から明治にかけての美術品ですが、これでもかと言うほど金ぴか19世紀末のヨーロッパの
貴族の目に留まり海を渡っていったのでしょうね。

さて2日目は今にも降りそうな空模様の中、開聞岳を目指して白水館を出発です。
道の駅いぶすき山川港「活お海道」に立ち寄り、昨夜の仲居さんお薦めの鰹だしと安納芋を買って出ると土砂降りになってきましたが、計画通りに進むことにしました。


開聞岳(霧島屋久国立公園)



無人駅















雨が上がりなだらかに広がる裾野の緑が目に染み渡るようなです。
薩摩富士と呼ばれており「日本百名山」にも選ばれる円錐形の美しい山だそうで、雲さえなければ
山容が見られるのに悔しいなぁ~


暫らく走っていくと一躍有名になった「池田湖」のイッシー君が現れビックリ!!!

イッシー像




池田湖(カルデラ湖)
大うなぎ(天然記念物)





















5500年もの昔の火山活動で出来た池田湖には「イッシー」がいると言って話題になったものでしたが、この巨大うなぎだったのかしら・・・
一体あの騒ぎは何だったのでしょうか?






「知覧特攻平和会館」は夫のどうしても一度見ておきたいという希望で訪れました。

石燈籠に桜並木



特攻勇姿の像「とこしえに」
















若い1036人が出撃し命を散せた遺影と、どのような思いで
書いたのでしょうか遺書や絶筆は涙するばかりです。

知覧特攻基地からは昭和20年4月1日から6月11日の攻撃
終了まで436名もの尊い若い命が体当たりの攻撃を命じられ散っていったと知りました。
やはり戦争は恐ろしく、あってはならないと強く思うのでした。


薩摩の小京都といわれる知覧武家屋敷庭園へも寄ってみました。


石垣と生垣
日本の道100選のこの通りは母ヶ岳を背景に垣が美しい!

平山亮一庭園
サツキがきれいに刈り込んであり私は7つある庭園の中で一番気に入ったお庭でした。


武家のお屋敷ですからこの石の造りの水桶はきっと馬の水呑み場でしょうか?

佐多民子庭園
だいだい7つの屋敷の門構えは屋敷内が見えないようになっており、沖縄の生垣にも似ているように見え、江戸時代には琉球貿易も盛んに行われ影響を受けているのだそうです。


今夜のホテルは鹿児島中央駅近くにあり一時間ほどのドライブですが、途中「清水磨崖仏」の
案内板が目に入り行ってみました。

十一面観音像
奈良の長谷寺のご本尊と同じ姿をしており、明治の頃吉田知山という大阪の人で延暦寺、清水寺
などで修行した旅のお坊さんで、川辺町の末吉家に宿泊し最後の磨崖仏を彫ったのだそうです。

大五輪塔
平安時代の終り頃から鎌倉にかけて彫られたもので「地・水・火・風・空」の仏教の五大を表わしています。

阿弥陀如来像
鎌倉時代弘長4年(1264)に英彦山のお坊さんが彫った像です。

清水磨崖仏群
何百年もの昔、山奥のこの圧倒される切り立った壁にこのような優しい仏さまをほり、誰かが供養のために梵字や大小の五輪を彫ったのだろうかと想いを巡らします。
ここに来られてよかったぁー。

さて夕暮れになってホテルへGO-

夕食はホテルに近い居酒屋さんで、お魚ずくしの美味しいお料理を食することが出来ましたした。
この料理は「がぶり」と言ってマグロ一匹に1個だけ取れる部分の揚げ物でお代わりお願いしたのですが、今日の仕入れは5つだけと言うラッキーな物なのでした。

がぶりあげ
早い時間でお客さんも数人と少なくお店の女の子が私達の話お相手をしてくださり楽しい夕食
タイムを過ごし、屋台村をぶらぶらしてホテルへ戻り今日の強行軍は恙無く終了しました。
 
                                          23日終りです。





2013年10月22日火曜日

鹿児島2泊3日の旅(10月22日~24日)1日目

沖縄に行く予定が思うように日程が取れず、それではと私がまだ訪れた事のない鹿児島に行くことにはなりましたが、のろのろ台風27号の影響でどうなるのやら心配しつつJACで鹿児島空港へ
出発しました。

鹿児島は晴天です、レンタカーで桜島を巡り指宿へ行く予定が「えびの高原のコスモスがきれいですよー」のお薦め言葉に乗っかりましたが付いていません農園は休園日なのでした。
あれが高千穂峰なのかなぁ?の写真だけを撮りました。

えびの高原から見る山々
牧場も多く動物好きの私はちょっと牛舎を覗いてみたいと思ったのですが、伝染病予防のため
個人の出入りは禁止されており道路からチッラと見えるだけ、一帯は牧草の畑で広々しています。


ここまで来たので「霧島神宮」にお参りする事にしました。

さざれ石


霧島神宮三の鳥居
さざれ石には岩か硬貨か分からないほど上がっていましたが「千代に八千代に」を願ってのお賽銭のつもりかな・・・

霧島神宮「重要文化財」
神代の昔より霊峰高千穂峰に鎮座すると古社と伝えられておりが、お山の噴火で炎上,また失火などにより全焼に遭われたのを、第21代藩主島津吉貴により正徳5年(1715)に今のお社が建立されています。
スプリチュアルなパワースポットとしても有名になっており、平日のおじさんおばさんの中に混ざって
若いカップルも訪れていました。


皇室用の御門




御座所














御門は皇室の御拝時と、この祭天日のみ開かれるそうです。
昭和十年、五十九年と昭和天皇が参拝の折に休息された御座所が御門の奥の木々の間から見えました。

神聖降臨之詩碑
徳富蘇峰の五言絶句が刻まれていました。
徳富蘇峰は徳富蘆花のお兄さんで、昭和18年(1843)太平洋戦争の真っ直中4月に「文化勲章」を受賞しましたが昭和21年には返上したのだそうです。

坂本龍馬とおりょうさん
二人は池田屋事件の後、伏見の港から船に乗って逃れ、薩摩邸に保護され鹿児島で傷を癒すため八十八日間の新婚旅行を楽しんだそうです。
                         

そば畑


  














桜島
「霧島錦江湾国立公園」の若尊鼻から眺める桜島です。
のどかな海は凪で台風も感じられません。


佐多街道を進んで行くと「くろずの里」福山町の壷畑が見えてきたので、私が飲用する坂元の畑を捜して訪ると、仕事中の方がいらして「くろず情報館がありますから行ってみて下さい。」と教えて
下さいました。

壷畑と桜島
太陽の下で職人さんも毎日壺の酢をかき回す作業は大変で、また熟練がいるそうです。
この光景を見て私もますます「くろず」好きになりそうです。

噴煙を上げる桜島
今も火山活動は活発で噴煙をあげ灰は目に見えるほど降ってきており、私達の前に横道から出て
きた軽自動車のボデーには灰が被り舞い上がっています。
これではどの家庭でも洗濯物の干されていない事がよく分かりました。
天気予報とともに桜島上空の風向きは主婦にとっては大事なことでしょうね。

岩石展望所前バス停
2万6000年頃前に始まったとされる活火山で、大正3年(1914)の大爆発で錦江湾に浮かぶ
桜島が大隅半島と陸続きになったそうです。
大きな岩石がゴロゴロある上には松など常緑樹が生い茂って力強さを感じさせる壮大な桜島でした。

桜島「霧島錦江湾国立公園」
鹿児島港へ向けてのフェーリーから見える桜島です。
桜島は御岳・中岳・南岳の3から成っているのがよく分かります。


一時間ほどのドライブを楽しみ指宿・白水館へ到着です。

指宿・白水館
早速目的のひとつ砂風呂へ、千葉の砂風呂では砂をかけて貰うや否や降参してしまったのですが
あれから17年が過ぎ15分は余裕なのでしたが,代謝の悪い私にUPの効果のほどは・・・



                        














食事はゆったりと静かな中でいただけ係の方もなかなか気が付く接客で美味しかったぁー

海辺の庭
浜辺に打ち寄せる漣が心地好く響いて、厚い雲の中から時折見せるお月さまを眺めながら至福の
時を過ごしました。

                                            22日はこれで終り