2013年9月9日月曜日

野崎観音(慈眼寺)

今日は久し振りのからっと晴れたお天気に夫が「野崎観音(慈眼寺)へ行ってみよう!」と言うので
出掛けることになりました。
江戸の元禄元年の頃から「野崎まいり」が盛んになり、その頃は大阪天満から屋形船で大川をのぼり寝屋川から谷田川の船の旅も楽しめたそうですが今は昔。

「野崎まいりは~屋形船でまいり~どこを向いても菜の花ざかり・・・・・」
マイクの前で不動の姿勢で歌う東海林太郎さんを夫が運転しながら真似をして歌うのでその姿を
思い出し爆笑です。

楼門
禅宗のお寺にはこのような竜宮城のような門があるのはどうしてなのでしょうか?

楼門から本堂を望む
天平勝宝今から1300年ほど前行基上人が十一面観世音菩薩像を刻み安置したのがはじまりと伝えられています。

絵馬
何が下がっているのかと思えば馬ならぬ可愛いこま犬が奉納されたものでした。
「江口の君」という女性をお守りくださる仏さまが座しておられました。
この日も可愛い1ヶ月の赤ちゃんと家族が安産のお礼のお参りした後に2歳になる女の子が私達に撮った写真を「見ちぇー見ちぇー」と携帯を自慢げ渡そうとするその所作がなんとも可愛いかったのでした。

展望台
生駒山の中腹にある「慈眼寺」の横を抜けると目の前に大阪平野が広がります。


お染・久松の塚
文楽・野崎の段「お染め久松心中物語」で知られる二人の塚がありました。
久松が野崎村から油問屋の丁稚になり娘のお染めとかなわぬ恋に落ちる物語です。

境内の野崎会館にはお染さんの文楽人形が寂しげな・・・久松さんはどこにいるのかぇー
野崎会館の壁にはイラストで今風「お染久松物語」が描かれておりました。

16羅漢
お釈迦様と16人の弟子(16羅漢)は江戸時代から河内の子供達の遊び歌として「のざきかんのん
十六羅漢、うちの親父は働かん」とおもしろく歌われていたそうです。
それだけ皆に好かれていたと言う事になりますね。

迦哩迦尊者 慈眼寺パンフレット
十六羅漢さんは昭和26年の山崩れで羅漢堂と共に流失し損傷しましたが、前住職の托鉢など
労によって平成18年に修復され仮堂に安置されておりました。
私は羅漢さんの中でも「うーん」と少し首を傾げるような「迦哩迦尊者」さんの像に惹かれました。


谷田川



参道














天和二年(1,682)に「野崎まいり」が盛んになり船で参る人庶民は土手を歩いて、古今とも参道は幸を願う参詣者で一杯になります。

毎年五月には「御本尊十一面観世音菩薩像」も開張されるとか私も「野崎まいり」をして拝ませて
いただくことにしましょう。


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