2013年7月22日月曜日

下賀茂神社・みたらし祭

今日はいつもトリオで行くのですがお1人都合が悪くなりお友達と2人で下賀茂神社の
「みたらしまつり」へ行くことになりました。
私は昨年古代の山白背(やましろ)原野「糺の森」に行った際に、「みたらしまつり」が行われており
千年の歴史を感じながら厄払いの足つけは経験しておりましたが、お友達の期待に応えて今年も「足つけ」をしました。


正面鳥居
今日はお祭り最終日ですがやはり夕方からの人が多いのでしょうか?それほどの人もいませんし露店の人も手持ち無沙汰なようです。

楼門「重要文化財」
寛永5年(1628)に建て替えられ楼門(2階造りの門)は鮮やかな朱色で立派な門です。

下賀茂神社足つけ神事入り口
今年は行列もなくお祓いのための灯明用のローソクをいただいて池に進みます。
神社の神水が湧く御手洗の池にはこのおまつりの時のみ入ることが出来るのです。



ローソクを持って石畳の冷たい水の中へ心身ともシャキー・・・
「下賀茂神社」の七不思議の一つ、みたらし池はこの時期になると水量が増えるそうですよ。

私のお灯明



ローソクを灯します











お灯明を消さないように心して灯明台へと進みます。


真ん中が私の奉灯
お友達もお灯明を上げ、私のお灯明を消えないようにカバーして下さり、お蔭で今年は一番遠い
お社前に上げることが出来て、我が家も無病息災「元気印」でいられそうな気がします。

御手洗社
「御手洗社」は井戸の上に建てられている事から「井上社」とも呼ばれています。
お社の周りには奉納された「足形祈祷木」が浮かんでいました。

名水をいただく人達
私もおいしい名水をいただき、快くぺットボトルにも名水を入れていただきお持ち帰りしました。

足形祈祷木
足形祈祷木に願い事を書き「御手洗社」に納めて厄払い、今年の夏のしるしも無事終了かな・・・

みたらし団子
みたらし団子発祥の地「加茂みたらし茶屋」の出店が鳥居の前に出ており行列に並んで買って
きました。
ここの団子は小さくかわいくて一番上の1つが少し離れており食べやすく考えているなぁ~と
感心しておりましたが、起源は神前に供えるために作られたお団子で五体満足の願が込められているそうです。

「ふたば」の豆大福に、隣にある好物の鯖寿司をお土産に買って帰りましたが、おいしい鯖寿司は
夫の口に・・・まぁーいいか~2切れも置いてくれてましたからまた買ってこようと!!!


2013年7月21日日曜日

馬の尻尾の毛のストラップ

バイオリンの弓毛には昔から馬の尻尾の真っ直ぐな毛だけが160~180本ほど使われて作られる強い弓だそうですが、今日は「馬の尻尾の毛でストラップを作りましょう!!」の
イベントに参加しました。
身に着けると「願いがかなう・幸福を招く」と言われています。
尻尾の毛には不思議なパワーがあるという・・・

白い尻尾の毛
茶色の尻尾の毛
私は茶色の毛を使いました、約17本の毛を三つ編みに自分の好きな長さに編みますが
強くて油っぽいので少し編み難いですが、子供の長い髪を毎日三つ編みに編んでいたので
みなさんに目が揃ってきれいに編めているとお褒めをいただけましたぁー。
好きな長さに編み解けてこないようにしっかりと糸で留めておきます。

装飾用の珠を準備していただいていたので沢山の中から夫の好きな黄色の大小を2つ選んでみました。

馬の尻尾のストラップ

編んだ輪の中に留めるための紐を結び輪を作って黄色の飾り珠を通し,ボンドでしっかりと固定
したなら出来上がりです。
我ながらの上手に出来にうれしーいかいなぁ!!!

出来上がった作品
作品作りの後はかき氷でおしゃべりタイム、夏休みで親子連れが何組かいらして仲良助け合いながら作る様子がなんと微笑ましい!!

携帯に着けられたストラップ
イベントから帰りストラップを見せるとエラーク喜んで早速取り付けましたが、結び付ける紐が少々
長いと控え目なお言葉がございました。

まだ少し残っているので小さいのを作って娘にパワーをあげようと思っていますが・・・


2013年7月17日水曜日

祇園祭

今日は昨夜「祇園祭」の宵山を見に行くつもりが混雑ぶりを聞いたら意気消沈です。
「明日の巡行を気合を入れて見に行きましょう!」と言う事で1時間前に四条交差点から少し離れた河原町通りで場所を確保出来ました。


交通信号作業車

           


道路標識








    





巡行少し前にはこのように作業車が来て手早く信号・交通標識などをアーケードの屋根に寄せていきます。


「祇園祭」は八坂神社の祭礼で貞観11年「869」に疫病が広まり無病息災の願いを込めて行われるようになり、全国の数にちなむ66本の矛を二条城の神泉苑に立てたのが起源だそうです。
「京都祇園祭の山鉾行事」は重要無形民俗文化財に、またユネスコより2009年には
無形文化遺産に登録されています。


長刀鉾

長刀鉾には唯一稚児さんが乗っています

毎年「くじ取らず」とし先頭を行き「しめ縄切り」をして巡行が始まります

















        
 

長刀鉾の天辺には宇近作の長刀(現在は竹製)が刃先は前方に向かず右方に向け
御所と八坂神社の方向を避け疾病邪悪を払いながら進みます。



函谷鉾(前掛は旧約聖書創世記の場面を描いた16世紀の
毛綴で重要文化財です)


函谷鉾(かんこほこ)
「函谷鉾」の名は中国戦国時代孟嘗君が泰の国を逃れ函谷関に着いたが、早朝の鶏の鳴き声で関が開くため家来に鶏の鳴き声を真似をさせ門を開け脱出できたと言う故事によるそうです。

鶏鉾

鶏鉾
貿易で富を築き江戸時代に高瀬川を造った
豪商角倉了以のゆかりの船を表わした綴織の胴賭けです

















 
 



鶏鉾は中国堯時代天下が治まり訴訟用の太鼓も使わなくなり鶏が巣を作ったという故事に由来
するものだそうです。
赤い菅笠が鶏の鶏冠を意味しているのでしょうか・・・

月鉾

月鉾はこの先の鉾頭には新月(みかづき)がついています。
月鉾は真木の「天王座」には月読尊を祀ります。
屋根裏の草花図は円山応挙、左甚五郎作の彫刻など豪華な鉾だそうですが、関係者でないと見ることは無理でしょうね。

孟宗山
孟宗山胴掛け
孟宗山は中国「24孝」の1人孟宗が病気の母親のため好物の筍を雪の中から掘りあて母を
喜ばせたという話から由来しているそうです。
胴掛けは平山郁夫原画による[砂漠らくだ行く(日)」が見られましたが、反対側は月の砂漠の絵のようですきっと青い月の素晴しい一枚でしょうね。
見送りは竹内梄鳳の「白地墨画竹林図」で華やかさの中に落ち着いた美しさを感じる一枚でした。
鉾ばかりでなく山も素晴しい・・・
長い伝統をただただ感心するばかりです。




岩戸山










岩戸山の引き手には多くの外国の方がおり
驚きました。






岩戸山は「日本書紀」や「古事記」でおなじみの天照大神が「天の岩戸」から現れる神話」に
由来して造られたそうです。
昔は屋根のない山でしたが鉾と同じ大きさの車と屋根をつけ改造されたましたが、いつの年代なのかは記録がなく分からないようです。

船鉾
四条河原町交差点「船鉾」の「辻廻し」が始まりました、遠くからなのでよく見えませんが竹を敷き
水をかけ「ソーラ」「エンヤラサー」の掛け声に曳き手が進行方向へ引っ張り方向転換、これには
沿道から歓喜と拍手がおこりお見事です!!!
3回ほど廻し烏丸通りへと進みます。

船鉾
船鉾は「日本書紀」の神功皇后の新羅出船に由来しており、鉾全体が船型をしています。


役行者山
役行者山は修業道の開祖、役行者が一言主神を使って葛城と大峯の間に石橋をかけたという
伝承に由来した山だそうです。

鈴鹿山
鈴鹿山は伊勢の国鈴鹿山で道行く人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現「瀬織津姫命」の伝説に由来した山なのです。

私の故郷鈴鹿の町も夏祭りには「コンコンチキチキ・コンチキチン」と鉦や太鼓鳴らし山車をお宮まで引っ張って「よく頑張りました!!」とお土産をいただけるうれしい田舎の夏祭りの思いでかな・・・

大船鉾
大船鉾は唐櫃(からびつ)での巡行でした。
「大船鉾」は幕末の「禁門の変」(はまぐり御門の変)で一部を残し焼失したが150年ぶりに復活
来年の巡行では往時の姿が見られるそうです。

おまわりさん「ほっー」
33の山鉾が通り過ぎ「動く美術館」と言われるだけに見応えある祇園祭を楽しみました。
来年からは「祇園祭」本来の「後のまつり」を復活すると聞きました、33山鉾を一度にみる事が
出来ラッキーだったのかな・・・

ちょっと一言、時機を逃して用を成さないことを「後のまつり」といいますが祇園祭の山鉾巡行は、
神幸祭・神輿渡御が終り主立ったものがないことから「後のまつり」と言われるようになった説と
7月17日の「前まつり」は豪華絢爛な鉾が巡業するのに対し、7月24日の「後まつり」は山のみの巡行で小規模である事から「後のまつり」という説もあるそうです。
どちらのせよ「後のまつり」と言われるのは嫌なことですよね。

「疲れましたぁー」好物の「おめん」のおうどんをいただいて疫病災難よけの食べる「ちまき」を買って帰りました。
ちまき
祇園祭の「粽」は目に入りやすい門口などに吊るしますが、私達は「ちまき」と言えば五月の節句と
思うのですが災い除けとしての「ちまき」が「寛永堂」のお店に並んでいたので食後のデザートにと
美味しくいただき一挙両得でしたぁ~

来年も元気でいられ反対側の胴掛けをみられる事を願っていまーす。

2013年7月15日月曜日

天得院の桔梗

今日は「天得院」の桔梗が見られる一般公開の最後の日となり、早朝の雨できっと美しく咲いているだろうと他の用は扨置き出かけることにしました。

天得院の立看板
東福寺の門前に「天得院」はあり、立て看板をカメラに収めましたが少々ピントが・・・


天得院山門
南北朝時代の正平年間(1346~70)に東福寺の無夢禅師によって開創され、文英清韓が
住特となった折「方広寺鐘銘事件」で家康の激怒に触れ「天得院」は取り毀されました。
現在のお堂は天明9年(1789)に再建されたそうです。

南庭の桔梗
桃山時代の作庭と言われる枯山水庭園に雨上がりの杉苔が緑色に映え、桔梗がより美しく見えて
時折吹く風が涼しげに花を揺らします。


桔梗の花言葉は「やさしい愛情」「気品」「変わらぬ心」だそうです、幾つになっても失ってはならない大切なものですね。



南庭

                      白と青紫の桔梗なんて美しいんでしょう!!

西庭の窓
花頭窓から見える石灯籠と桔梗にとても風情が感じられ、誰もが正座して眺めています。

西庭
やはり西庭に咲く桔梗は何気無し弱々しいようでより清楚な気がします。

お薄に生菓子
お薄はとても好いお加減、お菓子は美味しく心尽くしのティータイム。


広くはないですが手入れの行き届いた庭園に暫しの間ゆったりとした時を過ごし、お隣に腰を下ろされたご夫婦とのたわいも無い会話に幸せなひと時です。
宵宵山に行かれるとか私も明日行ってみようかな・・・

帰り際女性がビデオを見ていたので私も何気無く見ると同級生のお寺(鈴鹿の龍光寺)の名前とお顔が目に入りビックリ!下記のようなお話でした。

文英清韓は私の故郷、鈴鹿の出身で「龍光寺」から「東福寺」で修行し出家後は加藤清正に従い
朝鮮半島へ随行し、慶長5年(1600)には東福寺の同年9年には南禅寺の長老となり「天得院」は住坊として使われていたそうです。

豊臣秀頼の依頼で作った「方広寺」の鐘の胴に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」が家康の怒りに
触れて「方広寺鐘銘事件」として有名な話でした。

地位を追われた文英清韓は伊勢の「無量寿寺」というお寺で数年住んでおり、家康死後許されたというお話をしてみえました。

小学生の頃に遊んだ土手に咲く桔梗を思い出しながらの帰り道、「そうだ!帰ったら友達に電話
しましょう・・・」
夜、久し振りにお友達とおしゃべり彼女も元気で青春しているようでよかったー
私も負けずにこれからの人生謳歌しよーと・・・