ご夫妻と山科の「高月」で待ち合わせそば会席をいただくことになりました。
今年も小旅行を約束していましたがチャンスを逃して食事会になってしまいました.
久し振りの会話に(夫のおやじギャグも・・・)美味しい食事にとても楽しい一時を過ごしました。
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高月の庭 |
庭には山野草の花が咲き、目にしみる青葉かなです・・・
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山芋の水無月あんかけに蕎麦湯 |
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茄子とにしんの炊き合わせ |
美味しいおそばにデザートのわらび餅にノンアルコールでいい気持ちになって2時間ほどのコースにお喋り全開で十分に堪能しました。
私達からみているとまるで浮世離れのような日々を送るお二人ですので今朝は7時にはすでに
奈良のお家を出て「三室戸寺」のアジサイと「毘沙門堂」をすでに拝観済みでした。
この後真っ直ぐお家に帰るという事で私達だけ「隋心院門跡」へ小野小町を辿ってみましょうと・・・
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随心院総門 |
宝暦3年(1753)二条宮家より移築されたのだそうで大きくはありませんが雰囲気のある表門でした。
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薬医門 |
「薬医門・玄関・書院」と続く建物は寛永年間(1624~1631)九条宮家ゆかりの天真院尼の寄進によるもので、襖絵は狩野永納時代に花鳥山水が描かれておりました。
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本殿 |
桃山時代(1599年)建築の神殿造りの本殿内には仏様が横一列にづらりと並ぶめずらしい安置の仕方でした。
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表書院と苔むす庭園 |
苔がこのような色になって第5世は雨僧正とも称されたと言われますからきっと大丈夫でしょう・・・
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本堂前の庭園 |
誰もいない本堂の縁に座り一休み、池の小さな滝の音は癒されるミュージックになって夫は居眠りをするほど 心地好かったようです。
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小野梅園 |
230本の梅の木があり薄紅の色のことを「はねず」という事から「はねずの梅」と呼ばれています。
小野小町といえば「絶世の美女」「世界三大美人の1人」と言われた美人の代表みたいですが
像も何も現存せず、どうであったのか?・・・
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小野小町 |
「随心院」のある小野は小野一族が栄えたところで、小町は小野篁の孫にあたると言われており
宮中で仁明天皇に仕えて(更衣だったとも言われる)いました。
平安時代の女流歌人で、六歌仙の1人に数えられる秀な女性でした。
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このあたりが小町の屋敷跡? |
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小野小町化粧の井戸 |
この付近が小町の屋敷跡で古風な井戸は小町が化粧に使用されていたと伝えられています。
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小倉百人一首 |
小町は「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」と歌いました。
人生は、はかないもの・・・
「深草少将百夜通い」の伝説がありました。
小野小町に思いを寄せる深草少将は山科の里(約5km)に「あなたの心が解けるまで幾夜もまいります」と通い続け、門前に榧(かや)の実を置き帰るのです。
99日目降る雪の中、少将は榧の実を握り締めたまま息絶えてしまったというのです。
後1日思いを叶えられなかった深草少将が憐れなり・・・
小町は深草少将の供養のため99の榧の実を小野の里に蒔いたと言われています。
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榧の木 |
かっては99本あった榧の木もわずか1本がここに残っていました。
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文塚 |
深草少将はじめ多くの貴公子が小野小町に想いを歌にして寄せた文が、千束も埋められたと伝えられいますが、これほどのラブレターを大切にとっていたのかしら・・・
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卒塔婆小町坐像 |
宮中を退いた後もこの地で過ごしたとされていますが、老後は奇々怪々の伝説が伝わっています。
この坐像は絶世の美女も老いては誰も彼もこのような老婆となり・・・
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清滝権現 |
竹やぶに白花露草があたり一面を覆いなんだか平安京の情趣が漂うような・・・
今日は屈託のないおしゃべりが最高に楽しかったなぁ!!
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