2013年2月26日火曜日

小豆島・高松の旅(三日目)

今日は陽があるうちに帰宅する予定で「讃岐国分寺」と「屋島」を訪れることにしました。

小学5年生の時学校の近くに崩れそうなお寺があったのですが先生が「国分寺といって昔はそれは見事なお寺だったんだよ」と私達に話し聞かせた事を今も忘れておらず讃岐の「国分寺」を訪れてみたいと思ったのです。

山門(仁王門)






















ともに勇猛な相の阿形と吽形金剛力士像でした。

参道
本堂への美しい松並木が続き両側には四国八十八カ所の本尊の石像だ並んでいましたが
ここで[満願成就」出来るのかなかしら・・・

本堂(重要文化財)
聖式天皇が天平十三年(741)に発した国分寺建立の一つのお寺で鎌倉時代中期の建物です。
本尊は初代高松藩主松平頼重公が寄進された「十一面千手観音菩薩」が安置されています。
境内は特別史跡に指定されています。

梵鐘(重要文化財)
奈良時代に鋳造された四国最古の鐘です。

〈伝説〉百々渕に大蛇が住み住民を悩ませていたが、弓矢の名人戸次八郎が国分寺の
千手観音さまに祈願をし鐘を冠って現れた大蛇をみごと退治し、龍神のお告げにより鐘を奉納した伝えられています。
〈実説〉400年ほど前の2月2日高松藩主生駒一正公が朝夕の鐘にと田一丁を寄進して城内に
持ち帰ったが鐘は少しも鳴らず城内、外に怪異が起こり又悪疫も広がり一正公も病にふし毎夜鐘が夢枕にたち「もとの国分へいぬ々と」泣いた。
これは鐘のたたりと恐れ同年3月14日返されたといいます。
「鐘がものをいうた国分の鐘がもとの国分へいぬというた」はこの時作られた歌でこのことを記した証文が現存しているそうです・・・

屋島ドライブウェイを走っていると上り?そてとも下り?まさにミステリーゾーンで分からぬまま通り抜けてしまいました。

展望台から見る源平屋島古戦場
源平屋島の戦いは平安時代末期寿永4年2月19日(1185年3月22日)に讃岐国屋島で行われた戦いで、古戦場は江戸時代から埋め立てられ今では当時の面影もなく住宅が立ち並んでいました。

屋島寺山門
本堂(重要文化財)
本堂は鎌倉末期建立され入母屋造りの本瓦葺で朱塗りの立派なお堂です。
本尊の千手観音は平安末期の作(重要文化財)

御成門
御成門は明治36年10月21日大正天皇が御行幸された折この門を通られたことから御成門と
称さたそうです。


屋島から下りると水車小屋のある讃岐うどんのお店が見えたので入ってみようと私達も駐車すると
「屋島神社」があり行ってみました。 

屋島神社
慶安4年初代高松藩主松平頼重公が東照大神(徳川家康公)の神廟を建立し崇敬したのにはじまり文化元年(1804)第八代松平頼儀公がここ屋島山麓に社殿を造営。
左甚五郎の5代目左利平徒忠能が棟梁となり文化12年(1815)完成しました。

鳳凰




 


5代目の左利平忠能によって鳳凰に上り龍・下り龍の彫刻がされていましたが保護のために網で覆われておりよく見えず残念でした。














ここではざいごうどん「わら家」とありましたが
沢山の人で混んでいました。
大きな桶に入ったおうどんを皆で一緒食べていたのには驚きました。
讃岐の人はやはりおうどんが好きなのでしょうか・・・ただ出し汁に刻み葱だけでつるつると美味しそうに食べてみえるのです。

さてお腹も満たされ枚方までの長い道のりを鳴門大橋を渡って無事明るいうちに有意義な3日間の旅も無事終わりました。




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