小学5年生の時学校の近くに崩れそうなお寺があったのですが先生が「国分寺といって昔はそれは見事なお寺だったんだよ」と私達に話し聞かせた事を今も忘れておらず讃岐の「国分寺」を訪れてみたいと思ったのです。
山門(仁王門) |
ともに勇猛な相の阿形と吽形金剛力士像でした。
参道 |
ここで[満願成就」出来るのかなかしら・・・
本堂(重要文化財) |
本尊は初代高松藩主松平頼重公が寄進された「十一面千手観音菩薩」が安置されています。
境内は特別史跡に指定されています。
梵鐘(重要文化財) |
〈伝説〉百々渕に大蛇が住み住民を悩ませていたが、弓矢の名人戸次八郎が国分寺の
千手観音さまに祈願をし鐘を冠って現れた大蛇をみごと退治し、龍神のお告げにより鐘を奉納した伝えられています。
〈実説〉400年ほど前の2月2日高松藩主生駒一正公が朝夕の鐘にと田一丁を寄進して城内に
持ち帰ったが鐘は少しも鳴らず城内、外に怪異が起こり又悪疫も広がり一正公も病にふし毎夜鐘が夢枕にたち「もとの国分へいぬ々と」泣いた。
これは鐘のたたりと恐れ同年3月14日返されたといいます。
「鐘がものをいうた国分の鐘がもとの国分へいぬというた」はこの時作られた歌でこのことを記した証文が現存しているそうです・・・
屋島ドライブウェイを走っていると上り?そてとも下り?まさにミステリーゾーンで分からぬまま通り抜けてしまいました。
展望台から見る源平屋島古戦場 |
屋島寺山門 |
本堂(重要文化財) |
本尊の千手観音は平安末期の作(重要文化財)
御成門 |
称さたそうです。
「屋島神社」があり行ってみました。
屋島神社 |
左甚五郎の5代目左利平徒忠能が棟梁となり文化12年(1815)完成しました。
鳳凰 |
5代目の左利平忠能によって鳳凰に上り龍・下り龍の彫刻がされていましたが保護のために網で覆われておりよく見えず残念でした。
ここではざいごうどん「わら家」とありましたが
沢山の人で混んでいました。
大きな桶に入ったおうどんを皆で一緒食べていたのには驚きました。
讃岐の人はやはりおうどんが好きなのでしょうか・・・ただ出し汁に刻み葱だけでつるつると美味しそうに食べてみえるのです。
さてお腹も満たされ枚方までの長い道のりを鳴門大橋を渡って無事明るいうちに有意義な3日間の旅も無事終わりました。
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