2012年12月31日月曜日

年越し参り

枚方へ戻って3年目の年越し参りになりました。
いくつまでお参りできます事か・・・そう言いながら今年も娘の同級生と一緒に4人食事の後に参拝に行く事になりました。

成田山新勝寺
成田山新勝寺は不動明王を本尊としており夫の守りご本尊さんでもありますから2013年の交通安全をお願いするとともに自身の運転にも気をつけていただきたいとお願いをしました。

本堂では読経と太鼓の中で心身が引き締まり新年を迎えまするに「今年も元気にがんばりましょう!!」と気力が湧いてきます。
2人も頭を下げ手を合わせて祈願しているようです。
東日本大震災の復興と震災にあった方の幸せも一緒に願うのでした。

山門前には多くの露店
なんと若い人たちの多いこと、お参りに来ているのか夜遊びしているのか・・・


参道の夜店
京阪香里園駅への参道は両側に夜店がぎっちり並んでいますからいろんな匂いが混ざり合って
なんとも言い表せない感じですが誰もが楽しそうでこれはこれで幸せな光景ですね。

2013年成田山守護矢
災難を射ち抜く矢「成田山守護矢」と「交通安全守り」「護摩木御札守」といただいて我が家の
2013年のスタートとなりました。

2012年12月25日火曜日

渡り鳥コハクチョウ

遠いシベリアからコハクチョウが毎年越冬のため飛来し、琵琶湖岸周辺で羽を休めている姿が朝日新聞に掲載されたのを夫が見て私に記事を見せたものですから、またまた何時もの虫が起こり
行ってみることにしました。


朝日新聞
生憎「湖北野鳥センター」は休館日コハクチョウは一羽も見えず、撮影をしていた方が「今日は1羽だけ見ましたよ」と道の駅で尋ねてみると「もしかしたら近くの池で羽を休めているかも・・・」
期待をもって行ってみましたが空振り三振です。







湖面をかも達がスイスイ溜り場では外敵も
なくのんびりお休みです。





竹生島が見えます
飛んでいるのはかもの群れでした・・・・


「夕方もう一度見に来てみよう」と夫が言ってくれましたが雪が降っても帰りが怖いので断念し、
以前長浜に行ったなら「鯖ソーメン」を食べてみてと薦められていたのを思い出しせめて美味しい
土地の名物をいただいて帰りましょうとお店を捜していただきました。


鯖ソーメン(浜湖月)
余りにも空腹につい一口いただいてしまいましので美的ではありませんが、お味は思ったよりも
鯖の味付けが濃くお出しは以外にさっぱり美味しかったです。

レストランの向かい側に長浜城跡があり1983年復元されたお城は「市立長浜歴史博物館」になっています。


長浜城(復元城)

「長浜城」は豊臣秀吉が最初に築いた城で大阪城へ移る10年間本拠としていましたが
元和元年(1615)に廃城になり資材の大半は彦根城の築城に使用したのだそうです。


太閤井戸
長浜城築城の時秀吉が掘らせた井戸で数少ない遺構の一つです。
水位が上がると湖面に石碑だけが出ており、かつては城内にあった事が分かります。



太閤秀吉像(天守閣跡)
強固な城を築くため人柱になったという長浜一の美女「おかね」さん、若く聡明なおかねさんは
地域一円の繁栄を願い自らの命を捧げたと伝えられています。
おかねさんが眠る北側にあった堀は「おかね掘」と呼ばれていたのでした

私の育った近くにも「竜ヶ池」という溜め池がありそこには美しいお竜さんが人柱となって池に沈んだと父が小学生の娘に昔話として聞かせたものですから未だに忘れられないようです。


田町組 曳山月宮殿(曳山美術館)
曳山博物館入場券






400年歴史のある長浜巡行と
子供歌舞伎は毎年4月13日から
行われるそうです。
それは豪華絢爛なお祭りらしいです
是非とも見たいですね。



田町組 月宮殿(パンフレットより)
このようにして曳山の舞台で子供が歌舞伎を披露するそうですが華やかでしょうね。

長浜を訪れたからには「豊国神社」に参拝することに小ぢんまりとした神社でしたが、今では「長浜のゑべっさん」と言って賑わい遠方からもに大勢の人が訪れるという事です。

豊国神社
本殿




豊臣秀吉公をお祭する神社ですが秀勝公が
誕生した時の町民のお祝いのお礼として
曳山を贈られたそうです。
これを長浜八幡宮のお祭りに曳いたのが
「曳山祭」のはじまりだとか。











「黒壁スクエア」の古い街並のお店をウインドウショッピング、時間もないので「大通寺」の山門
「附山廊」だけは見たいと思い足早に見学です。

山門「長浜市指定有形文化財)
山門は二重門になっており文化5年(1808)に建築が始まり33年かけ建立されました。
山門2階は一般公開の日もあるそうですがどこまで見渡すことが出来るのでしょう・・・

本堂(重要文化財)
慶長7年(1602)長浜城(当時廃城)内に建立された「大通寺」は慶安4年(1652)彦根藩2代目
井伊直孝の土地寄進によって現在地に移転しました。
真宗大谷派の名刹で美術品が多く見られるそうですが今日は時間切れとなりました。

コハクチョウは見られずガッカリでしたが長浜市の歴史を垣間見みられたかな・・・
和菓子の藤本屋で求肥の「浜ちりめん」と落雁の「十八万石」をお土産に買って「さぁー帰りましょう」
朝早くからお疲れさまの一日でした。


2012年11月30日金曜日

山科毘沙門堂門跡とお蕎麦


今日は私達、気の置けない3人組で毘沙門堂門跡へ紅葉をそのうえ「高月」のお蕎麦をいただける二重の楽しみ付き京都山科行きです。

山科の駅から昔は毘沙門さまへの参道だったのかなと思える細い道路の住宅地の中を歩くこと
20分ほどで小高い山が見えてきます。



山裾のもみじ
仁王門への階段
観音堂(晩翠園)
 「晩翠園」は谷川の水を引いて滝を造った江戸初期の回遊式庭園です。

手水鉢
 鞍馬自然石の手洗いで後西天皇の第6皇子公弁親王の好みだったそうです。

晩翠園
「晩翠園」とは山裾にせまる木々の枝間は暗く夜目に翠(みどり)を思わせる様子から名付けられたそうですが、今はどこも土地開発が進んで昔のままの保存は大変なことでしょう。

渡り廊下
井戸












         霊殿と宸殿との渡り廊下です。





渡り廊下の中庭にある井戸は仏様に供える閼伽の水を汲むための物でした。

宸殿玄関
御所にあった後西天皇の宮殿を第6皇子公弁親王が譲り受け元禄六年(1693)に移築し入寺
され門跡寺院となりました。

勅使門
かっては陛下の行幸かその代参のとき意外は開かれることもなく、今でも新たに寺の門主になられる晋山式以外開くことはないそうです。
その参道は落ち葉色の絨毯です。
お友達が葉っぱをいっぱーい抱え「落ち葉ふぶき」とばかりに喜び撒いていました。


ここから少し歩いて行くと「高月」はあります。

高月の庭
 昨年の紅葉は山全体がもう少し赤みを帯びていましたが、今年のもみじは黄いろぽーい感じ・・・

大根そば

湯葉料理

                                                                                                                                       
「蕎麦懐石」を十二分に美味しくいただき3人とも満足しました。

山科駅までまたのんびりおしゃべりしながら戻り駅でコーヒーを一杯飲み京阪3条から特急に乗りましたが、すごーいラッシュで紅葉一都集中ですかしらね。

今日も元気で楽しく過ごせました感謝です。

2012年11月25日日曜日

4人で金閣寺へ行く

「金閣寺」を見てみたいと言う従弟の友達の願いを叶える事になって京阪四条まで出て、私お薦め
の「おめん」でのランチも長蛇の列に並び待つこと40分、敦煌の彼女も気に入って「美味しい!!」

金閣寺参道
最後の紅葉を楽しむ人・人・人です、彼女に「人酔いしない」かと尋ねると「大丈夫です西安はもっ
と沢山の人でいっぱーいです、中国は16億万の国ですから・・・」何だか納得してしまいました。

総門

京都周辺には17ヶ所世界遺産が登録されていますが、金閣寺もその一つです。


鐘楼
総門を入ると鐘楼がありますが鎌倉初期の鋳造されたものです、カエデにつつまれ美しいです。


金閣 鹿苑寺
足利義満が応承4年(1397)鎌倉幕府滅亡後荒れ果てた西園寺を譲り受け「北山殿」として造営しました。
義満はここで政治の実権」を握ったのでした。
足利義満の死後金閣寺(舎利殿)だけを残して禅寺となり、法名から鹿苑寺と名づけられました、。

鏡湖池(国特別史跡・名勝指定)
庭園は室町時代の池泉回遊式庭園で諸大名がきそって献納した名石が配置されています。

極楽浄土を現すという金閣寺と庭園
室町幕府は明の国との交易が盛んに行われていましたが、彼女も中学の教科書に「金閣寺」が
記載されておりとても興味を持っいて一度どうしても見てみたかった建造物だったそうです。

鳳凰
初代は明治に修理の際尾が折れたため取り外され1950年の焼失を免れました。
今ある鳳凰は1955年の再建の時の2代目です。

漱清
寝殿造りの一層の西に池に突き出した釣殿で夏の暑さを凌いでいたのでしょうか・・・・
昭和62年にも漆や金箔が修理されて今も美しく光り輝き池にその姿を映しています。

銀河泉
足利義満がお茶の水に使っていたと伝えられている泉で、今も水が湧きだしていました。

北側の庭園から
参道には沢山のもみじが美しく紅葉していましたが、北側の庭にはあまり見られないようです。
何処から見ても「金閣寺」は美し見えて、外国の訪問客の人達はこの姿がお気に入りのご様子で
「オービューティフル・・・」


少し時間があるので嵐山へ行ってみましたが、とにかく道路は自動車通行止になっおり何処も彼処も人の波です。

嵐山
とても風情を楽しむなんてもんじゃありません・・・






私達は疲れ一休み「甘味処」へ入ると彼女は「お土産買って来ますから」30分の約束でショップへ行きその間私達はお善哉をいただいて待っておりました。


私に「これは私のおばさんへのお土産、私のお母さんと同じお財布です」と言って私にプレゼントして下さったので驚きと
うれしさが同時にやって来た!!









渡月橋
日もとっぷり暮れて嵐山の山並みも夕日にくっきりと浮かんできました。


とても夜間のもみじを楽しむ元気もないので帰る事にして、大阪のお好み焼きが食べてみたいと
いう2人に近所のお好み焼きのお店へ連れて行きました。
「おいしいでーす」と喜んでくれ私達も最後まで楽しく過ごせました。
春には敦煌への旅行も心配なく行くこと出来るでしょうからと誘ってくれましたが実現できますか
どうでしょう・・・?

2012年11月23日金曜日

能登一週2泊3日ドライブ旅行(3日目)

最後の能登は輪島の朝市めぐり、50年も前に友だち4人と来たのですが面影もなくすっかり様変わり、頬かむりのおばあちゃんだけは昔のままの姿でした。

輪島では神社の祭日ごとに物々交換の市が立ったと言い、これが朝市の始まりとされ1千年も
前から続いているそうです。

輪島の朝市
大きな魚を捌くおばあさん

手づくりの小物

おばさんの「こうてくだぁ~」の誘いに布ぞうりを4足も買いました。
50年前の朝市はもっと勢いがあったような・・・・


どうしても昼間の「白米千枚田」が見たくなり少し戻ってみる事になりました。

幾何学的模様が美しい

荒波の日本海と千枚田
千枚田は実際には1004枚あり、「狭い田」なので千枚田と言う異説もあるとか。
現在は耕作してみえる農家は3軒でそれ以外は田のオーナー制度を導入し地元の「愛好会」が
維持してこの美しい「白米千枚田」が守られています。
有名人の「My田んぼ」もあり立て札が立てられているそうですよ。



強風で進めないトンビ
きれいな小鳥

空は曇って風が強くなってきましたが車の中から鳥が捉えられました。

窓岩
「曽々木海岸」は(国指定名勝及び天然記念物)約1500万年前海底火山の噴火によって形成
されたと言われています。

景観は雄大で見事です、巨岩の真ん中に窓のよう見える空間は直径2mもあり運が良ければこの窓にぴったりと納まるオレンジ色に輝く夕日を拝めるそうですよ。

                                
下時国家(しもときくにけ)(国指定重要文化財)

天井には「かくし倉」があり
どのように倉に入るかは依然分かってないとか

初代は能登に配流された平大納言時忠という人で13代目の人が二家に分立したそうで
道理で案内係の方がこちらが「本家」に当たりますと強調してみえましたが・・・

安徳天皇を祀ったお社
昭和60年に源平800年期に赤間神宮より御分霊されお社が庭園内に建立されそうです。

上時国家(国指定重要文化財)
門へ続く石畳
12代当主1831年(天保2)28年かけ完成させた国内最大級の)屋敷です。




どちらも風格のある大屋敷で回りの自然の中に庭園があり立派なお屋敷です。



御陣乗太鼓之地

「御陣乗太鼓」は天正5年(1577)上杉謙信が能登に攻め入った時
名舟の1人の老人の指示で木の皮で面を
海草を髪にして太鼓を打ち鳴らし上杉軍は
神の化身かと驚き退散したという。

お祭の御輿の先供として今も続いているのです。

「御陣乗太鼓」は名舟のひと以外は打てない
そうです。






名舟白山神社



「名舟大祭」の時キリコ(切子灯篭高さは数m
あるそうです)を担ぎこの急勾配を上がり、下がりする姿にはきっとすごーい迫力があるでしょうね。




            






私達も急な階段の上にあるお社へ参拝に上がりましたが、階段は夫が言うには101段あったそうですから危険なお祭ですね。

地さかな海鮮盛
地物にぎり
輪島へ戻って昨夜から食べてみたいと思っていた地元で捕れた魚を食べさせていただけるお店へ
直行お寿司を気の済むまでいただきました。


小雨の中4時間の運転は私には初めての事で無事帰り着き2人共々胸を撫で下ろしたのでした。
(夫が運転免許書不携帯であったことが、JAFを捜していて気がついたというお粗末があったからなのです。)
総走行距離はジャスト1000kmでした。
今回の旅行はとても心に残ります「有り難きかなこの幸せ」。

                                    3日目無事帰宅感謝しおわります