2025年1月7日火曜日

猫カフェ (2024・11・17)

 枚方駅前に新しいショピングビル「ひらかたモール」がオープン
オープン初日にお友達が様子を見に行き、4階に猫カフェ「cat cafe moff]があって
可愛い猫ちゃんがいたわよというので早速行ってみましたあぁ~

かわいい~

親子ずれ カップルの人たちが猫ちゃん達と楽しそうに触れ合っていましたが、抱っこすることはダメー...(* ̄0 ̄)ノ
子供が猫じゃらしで遊んでいるのが、すこーく愉快だったです😊

2025年1月2日木曜日

2025年お正月お飾り  (令和7・1・1)

今年は「巳年」お友達の作品干支の置物を鏡餅と一緒にお飾りしました
お友達は陶芸をお休み中なので彼女の12年前の「巳年」の作品にしました


へびは脱皮して成長します、私も今年は若返りましょう(*^-^*)

2024年5月5日日曜日

乙訓寺 (2024 ・5・5)

  今日はまるで梅雨のような長雨の日々に久しぶりの晴れ間😄
長岡京市にある大慈山乙訓寺の「十一面観音立像」が重要文化財に指定され、特別開帳されていることを知り仏様を拝ませていただきに行ってきました。

特別公開パンフレット

乙訓寺は京都最古とされる広隆寺(607年創建)と同時期に創建されました

乙訓寺山門(江戸時代の建立)

乙訓寺は推古天皇の刺願を受けた聖徳太子が開いたと伝わっている
真言宗豊山派の寺院で空海が別当として入り、乙訓寺を修造されました
最澄が乙訓寺の空海のもとに立ち寄り教えを受けたと記録に残っているそうです

本堂(江戸時代の建立)
御本尊は八幡神と弘法大使の像が合体したという合体太師像がおまつりされています
空海が嵯峨天皇に境内に実っている柑子(ミカン)に漢詩を添えて献上したと伝わって
います  
今も大きな柑子の木がありました

石灯篭

元禄8年花崗岩で作られた立派な春日灯籠で、京都町奉行松前嘉広が乙訓寺に寄進されました  

鐘楼
元禄9年(1696)に精海三条釜座の信州大掾原國次によって建造されましたが、
戦時に金属製品は鐘から鍋、釜まで差し出すことにより、乙訓寺の鐘も供出されています
41年に再刻されたそうです。

令和5年6月に国の重要文化財に指定され「乙訓寺 木造十一面観音立像」は思った通りの
慈悲深い仏様でした
合掌。

今も「今里の弘法さん」と親しまれ、「牡丹のお寺」としても多くの人が訪れるそうで
来年私達夫婦も美しいぼたんの花を見に行きましょう!!

2024年3月3日日曜日

おひなさま 2024・3・3

3月3日今日はおひなまつりです🎎
昨年はお雛様も飾ってあげられず、箱に眠ったままで可哀想なひなさま達で
したが、今年は早くからお披露目です。 
お友達作の陶器のお雛様も一緒に並んでいます
可愛いらしい(●'◡'●)私の手作りの雛も日の目を見てうれしそうですねぇ~😊

おひなさまが集まりました

娘が小学校に入学記念にお友達と一緒に始めたおひなさまの制作ですが、もうあれから
40数年おひなさまはいつまでも美しい(*^-^*)


2023年11月18日土曜日

松山2泊3日の旅 (2023・11・14~16)3日目


私達の長年の楽しみだった松山への旅の最終日です 
今日も秋晴れの気持ちのいい日和になりました

「ふなや」

早朝からホテルの近辺を散策してみました


伊佐爾波神社

本堂まで135段の石段を上がると、八幡市の「石清水八幡宮」を模した本堂に着きました
脚がガクガクわらっています
お詣りをして後ろを振り返ると松山の美しい町並みが一望、とても美しい😐

坊ちゃんからくり時計

道後温泉本館百周年を記念して造られました
時間が来ると音楽に合わせて「坊ちゃん」のキャラクターがつぎつぎと登場します
面白かったわぁ~


子規銅像

最後に「松山市立子規記念博物館」を見学しましたが、俳句の素養のない私にも分かり
やすく展示してあり勉強になった博物館でした。

3日間の松山の楽しい旅を終わり無事に我が家へ帰りました。


2023年11月17日金曜日

松山2泊3日の旅 (2023・11・14~16)2日目


2日目はJR予讃線で松山駅から35分ほど電車乗ると伊予の小京都と呼ばれている伊予大洲駅に着き先ずはタクシーで大洲城へGO 


大洲城は1331年に宇都宮豊房によって築城され、その後は戦国武将4人によって治められました。 

明治21年天守が取れ壊させるが4棟の櫓は解体をまぬがれ国の重要文化財に指定されています 2004年には当時の技術を再現し天守の復元がされました


のんびりと堤防に沿って歩いていると「臥龍山荘」と趣のある建物があり入ってみました

臥龍山荘門
臥龍山荘は肱川と深い自然の中にある美しい日本の庭園でした
明治に木蝋の輸出事業で成功した川内寅次郎が自然荒廃していた、この地を10余年かけて築造し、その後一般公開され2011年にはミシュラン・グリーンガイド・ジャポンの一つ星に輝いたそうです
2016年国指定重要文化財にも指定されました。

風情あふれるこの街並みは子供の頃を思い出す雰囲気が残っているような(*゜ー゜*)

レンガ舗装の道

大洲の町はテレビのロケ地が何ヶ所にあり、私たちの年代には懐かしくはんなりしました。


おおず赤煉瓦館

1901年に建築され赤煉瓦壁に和瓦ぶき寄棟造り屋根という和洋折衷の建物で今はギャラリーとして使われていました。

ランチは大洲に来たら「とんくりまぶし」を食べて(^U^)ノ~YO
油屋がおいしいということで行きました


とんくりまぶしセット

大洲は栗の名産地、その栗の美味しさと豚バラ肉と一緒に甘く味付けし、ひつまぶし丼のように最後にだしをかけていただきます
美味しかったです。

是非一度見てみたいと思っていた「内子座」のある内子へJR予讃線に乗って10分,木蠟生産で栄えた建物が多く残るっ街並みまでタクシーで行くことにしました

内子座

1916年(大正5年)に商家の旦那衆が建てた芝居小屋です
老朽化で取り壊されるところを町並み保存運動により,1985年(昭和60年)に復元されました(•_•)
このようなクラシックな歌舞伎座で義太夫を聞きながら歌舞伎を見てみたいなぁ~
でも残念なことに今日は何の演目もなく、地元の子供達が集まって歌舞伎の練習をする日でした。

商いと暮らし博物館
入ったらリアルな人形が座っていてビックリ!!!
クスリの問屋さんだったようで当時の暮らしをうかがい知ることが出来、興味深く音声にも
番頭さんの大声にも2度ビックリ(〃艸〃)ムフッ

上芳我邸
江戸後期から大正にかけて木蠟(ハゼノキ実が原料)生産で栄えた商家です
なまこ壁が随所に見られ、鬼瓦もそれは立派でした
国の重要文化財に指定されています。

町並みの一軒に和ろうそくのお店があり、暖簾をくぐりお店に入って
和ろうそくと、鉄製蠟燭台を買って松山に帰ってきました。

今日は一日ハードでした、明日の活力剤に鰻を食べて道後温泉の「霊の湯」
に浸かって2日目は終了です。


松山2泊3日の旅 (2023・11・14~16)1日目

伊丹空港から松山空港へ9:25着
リムジンバスでホテル「ふなや」へ、キャリーバックを預け路面電車(残念😂昨日より
「坊っちゃん列車」はしばらくの間運休になっていたのです)まずは松山城へ行くことにしました

松山城

松山の中心部にある標高132mの勝山にそびえ立つ築城400年を越える松山のシンボル
戦国武将・加藤嘉明によって築城されました
「日本100名城」のひとつ1つで最も高い城郭が広がっています
巨大な石垣に圧倒されました、その時代の人の苦労は計り知れない...(* ̄0 ̄)ノ

キャラクターのよしあきくんとパチリ

私達はリフトに乗ってお城までの城下町の眺めも楽しめました
公園も広く幼稚園児が楽しそうに遊び、桜の花の咲く頃はさぞかし美しいことでしょうね

路面電車
明治21年から走り、夏目漱石の坊っちゃんでは「マッチ箱のような汽車だ」と言われて
以来「坊ちゃん列車」と全国に知られました
昨日から運転手不足によりレトロな「坊っちゃん列車」は走ってなくガッカリ😞

坊っちゃん列車
正岡子規が17歳まで暮らした家が「正宗寺」の敷地内に「子規堂」として復元してあり、その前には思っていたより小型の80年も前の「坊っちゃん列車」の客車が展示したあり、私と同い年ちょいとくたびれていたわぁ⚆_⚆

よく歩いたのでホテル戻って日本最古の温泉といわれる道後温泉へ行くことにしました
道後温泉本館は保存修理中で霊の湯で2人540円、ゆったり疲れを癒しました。

道後温泉本館の2階には「又神殿」の国の重要文化財もみられました

「又神殿」
全国で唯一の御湯殿として明治に建設されたそうです
奥には玉座があり、玉座の床には模造の三種の神器がかざられていました。

夕食は道後温泉では名店と聞いて「奴寿司」に地元の魚料理に大将のおしゃべりに、何時までも腰を上げられないのでした
寿司屋のカウンターで隣り合わせた精悍な青年は、明日から始まる女子ゴルフの
「大王製紙女子オープン」に出場する桜井心那選手のキャデイーと務める方で、夫と話が弾んでおりました
桜井選手には頑張ってとエールを送りお別れしました
充実した観光を楽しめた1日は美味しいお寿司をいただき、ホテルに戻り無事終了👌