ホテルの女将さんのお話しでは「昨年は加茂湖の辺りでトキが数羽見られました」と言うので
「もしかして、もしかして」と周辺を散策して見ましたがらしき物は・・・
コスモス畑 |
可憐に咲くコスモスの花 |
コスモス畑にいるかもしれないと思うのは私一人ではなく、カメラを構えたおじさま方がシャッター
チャンスを狙っていましたが残念ながら空振りでした。
一周260kmのバスツワーは「佐渡弥彦米山国定公園」に指定される外海府に向けて出発です。
一本松 |
日本海の荒波によって作られた外海府海岸は圧巻です。
二つ亀海水浴場 |
二つ亀 |
二匹の亀が海上にうずくまったように見えるのでこの名がある巨岩です。
二つ亀海水浴場は透き通った海で水質が良く「快水海100選」にも選ばれています。
海岸と砂州で繋がっており干潮の時には島まで歩いて渡ることが出来のです。
「佐渡弥彦米山国定公園」は新潟県の景勝地になっており佐渡はその一つです。
大野亀 |
6月の大野亀(カンゾウの花) |
蜜を求めてミツバチが花に |
この辺りはパワースポットとしても有名なので私も好奇心で登りはじめましたが、立ち入り禁止の
柵がありパワーアップならずかな?
初夏には黄色いカンゾウの花が一面に咲き乱れ「カンゾウ祭り」が催され賑わうそうです。
ススキもひっそりとしていいものですが初夏の黄色一色の絨毯も見てみたい!!
大野亀から大型バスが通行できない部分があり、また来た道を戻り「トキの森公園」へ特別天然記念物のトキの見学に行きます。
入園チケット |
「キン」の剥製 |
1968年幼鳥のときに宇治金太郎さんに保護されセンターへ、宇治さんの名前に因んで「キン」と
付けられ2002年10月10日に死亡するまで飼育され推定年齢は36才だったとか。。
新人さんのトキ飼育日誌ポストカード |
ときふれあいプラザ |
トキは学名を「ニッポニア・ニッポン」江戸時代までは日本のどこにでも見られましたが、乱獲や
開発によって数が減り日本最後の「キン」が亡くなって絶滅してしまいました。
1985年に「キン」と中国のトキの間で人工繁殖を試みたが2世はならず「キン」が亡くなって繁殖も行われていなかったが、1998年中国国家主席、江沢民氏から2羽が進呈され他に借りたトキと
一緒に飼育され人工繁殖が進められ2008年10羽が試験放鳥され27年ぶりに日本の空に
トキが舞ったとTVでその姿を見ましたが、今では150羽以上ものトキが飛んでいるそうですが
優雅な舞い姿でしょうね。
たわわに実った稲穂が黄金色に染まってたなか、「運転手さんがあそこにトキが飛んで行きます 」
小さくて白鷺にしか見えませんでしたが・・・
トキの餌場かな |
取りくむ農家の人が増えているのだそうです。
佐渡には多くの文人・政治家などが配流されており、文化と伝統芸能が受けつがれてきています。
縁のある妙宣寺(日蓮宗)を見学します。
五重塔(国指定重要文化財) 文政8年(1825)建立 相川の棟梁親子が2代30年かかって完成した 江戸期の建築様式を今に残す県内唯一の塔です |
本堂 |
妙宣寺山門 |
順徳天皇の供奉した北面の武士遠藤為盛(阿仏房日得上人)の開基と伝えられる。
文永8年(1271)日蓮聖人が幕府を批判し佐渡へ流された時妻千日尼と共に深夜密かに食べ物を運び厄難を救ったことは有名な話だそうです。
第84代順徳天皇は「承久の変」で24才の若さで佐渡へ配流され絶食の上45歳で崩御されました
が都への思いがどれほどだったでしょう・・・
「ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり」と小倉百人一首に詠まれておりますが天皇の座位に就いていた頃の歌だったのでしょうか。
「水もお米も美味しい佐渡ですからお酒は最高ですよ」とガイドさんが絶賛、地酒の試飲に尾畑酒造へ行きました。
尾畑酒造 |
お酒のアッピールです。
すばらしいお嬢さんに育ってらしてお母さんも一安心でしょうね。
私達も美味しいお酒を買い求め帰ってからいただくのが楽しみです。
今にも降ってきそうな空模様のなか七浦海岸へバスは走ります。
夫婦岩 |
やっぱり海には青い空があって欲しかったなあ~
仲良く2つの岩が寄り添って小さい岩は子供達だと聞きましたがすごい子持ち夫婦かな。
尖閣湾は隆起した海岸平野が日本海の荒波によって削られた自然の造形美はゴシックの堂々とした建築物を見ているようです。
尖閣湾 |
直訳して名付けられたそうです。
「日本渚100選」に選ばれています。
それは「みごと!!」目に入る物全てが風景画そのものです。
佐渡大崎灯台と真知子橋 |
映画「君の名は」 この頃はまだつり橋でした 主演の佐田啓二と岸恵子 |
昭和28年「君の名は」の舞台となり「尖閣」は広く知られるようになったようです。
私達の若い頃にもロングスカーフが流行って「真知子巻き」とかしていた思い出が・・・
今日最後の佐渡金山へとバスは進みます。
慶長6年(1601)徳川家の支配となり、江戸幕府は北山金脈が発見されて以来自ら直接統治行い
重要な財源となったといいます。
佐渡金山入場チケット |
道入の割戸(国指定史跡) |
坑道が深くなるにつれ水かさが増し、無宿人(流人ではない)を島送りにし湧き水を釣瓶や手桶で搔き出す重労働の水替え人足とし過酷な運命が強いられていました。
その後明治29年三菱合資会社(三菱マテリアル)に払い下げられましたが平成元年3月に採掘を
終え今は観光のみです。
ゆっくりする間もない観光三昧の1日も終り相川の「ホテル大佐渡」へ向かいます。
ホテル大佐渡 |
すーととれていくようで幸せのひと時でした。
2日目無事におわり
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