2013年8月21日水曜日

比叡山へ行く

夏休みを取って帰っていた娘が「京都へ行こうよ」と言い出し、今年の異常な暑さですが848mの比叡山は涼しいでしょうと行く事になりました。


比叡山延暦寺諸堂参拝チケット

世界文化遺産に登録された延暦寺の参道を上がって行くと大講堂が見えてきます。
大講堂(重要文化財)
寛永11年の建立から10代目の建築物で昭和31年に坂本にある東照宮の讃仏堂を移築した
学問修業の道場です。


平和の鐘(開運の鐘)



















音色は西塔の釈迦堂まで届くそうですが延暦寺焼き討ちの時にも・・・?

菩提樹
己講坂があり5年に一度大講堂で行われる法華大会に入堂する祭、問答往復の想をねりながら
坂を上り己講(いこう)がこの菩提樹の元で意を決して入堂するといわれます。
お釈迦様が菩提樹の下で悟りを得た故事に習ってるそうです。

根本中堂(国宝)
伝教大師最澄が延暦7年(788)に草庵を建てたのが始まりで、本尊は最澄が刻んだ「薬師瑠璃光如来像」の秘仏で、その前の灯明は1200年輝く「不滅の法灯」と呼ばれています。
(織田信長の焼き討ち元亀二年(1571)後一時途絶えたましたが山形の立石寺(山寺)に分灯
されていたものを移し今も輝き続けています。)
根本中堂は三代将軍家光の命により寛永11年(1634)より8年の歳月をかけ再建されました。

文殊楼
根本中堂の正面の急な石段を上がると何度も焼失し寛文8年(1688)に建造された和と唐の
混合した「文殊楼」があります。
「文殊の知恵」といいますから祈願のための絵馬が沢山奉納されています。
「お母さんもよくお願いしておいた方がいいわよ」の言葉に私も素直に両手を合わせました。


東塔へは何度か訪れてはいますが、西塔と横川へは初めてエリアになります。

美しい杉木立
常行堂

にない堂(右・法華堂 左・常行堂)
文禄4年(1595)和様式のすぐれた建築です。
二つの同じ形の堂が渡り廊下でつながっており、力持ちの弁慶が渡り廊下を天秤棒にして担いだという伝説から「弁慶のにない堂」と呼ばれています。
「常行堂」からは静寂の中、僧のお経がかすかに聞こえてきましたが「常行三昧修行中」と書かれた札が立てかけてありました。
(常行三昧とは念仏を唱えながら90日堂内を1日20時間以上歩き続け、2時間の仮眠のみ許される行をするのだそうですが厳しいそれ以上ですね・・・)

恵亮堂
このお堂では坐禅修行中の札がかかっておりお堂には近づく事も出来ません。
どことなく重々しい空気が漂っているような・・・

転法輪堂(重要文化財)

文禄4年(1595)豊臣秀吉の命により園城寺の弥勒堂を移した比叡山では最古の建築です。
本尊釈迦如来をおまつりしている事から「釈迦堂」の名で親しまれています。
                                        
浄土院への道
よく知る寺院の名が刻まれた石燈籠が両側に立っていましたが天台宗開宗1200年を記念して
奉納されたのでしょうか?




浄土院拝殿
弘仁3年(822)56歳で入滅した最澄の廟所です。
掃き清められた白砂に苔がとてもきれいでな庭です。


伝教大師最澄上人の廟所
廟所を守る僧侶を「侍真」と呼ばれ「浄土院」から一歩も出ず、12年間最澄が今も生きていように
仕え早朝から薄暮まで勤行と掃除に勤学と励んで山を下りない籠山修行の生活をするそうです。
戦後7人の「侍真」がみえるそうです。

最後に三塔の一番奥の横川へも行ってみました。
横川中堂
嘉祥元年(848)慈覚大師が建立。舞台造りの立派な建物です。
昭和十七年の落雷で全焼しましたが、聖観世音菩薩立像は火災をまぬがれ平安期藤原時代の
木像(重要文化財)です。

四季講堂(元三大師堂)
本堂でお参りをしている時に若い2人が「おみくじを下さい」と言ったらば「相談をお聞きしてからでないと・・・」こんなふうに聞えてきましたが「おみくじ発津祥の地」といわれます。
よく見かける「おみくじ」ではないようです。

「世の中に山という山は多かれど・・・」パワースッポットとは言われますが澄んだ空気に深い緑の中にいると癒されるのは確かですね。
多忙な日々を過ごす娘には最高の1日のようでした。

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