2013年10月23日水曜日

鹿児島2泊3日の旅(22日~24日)2日目

朝早く目を覚まし空を見上げると雲行きがあぶなーい!
朝食の前に砂風呂に入って新陳代謝を上げて今日のハードスケジュウルを乗り切ろうー。

薩摩伝承館
ここに来れば、薩摩が分かるー。とパンプレットに記された白水館の敷地内に「薩摩伝承館」という美術館があります。
二人共薩摩の金襴手と薩摩切子には興味があり是非見てみたいとオープンを待って入りました。
瑠璃地色絵金襴手大名行列花瓶


金襴の間
















幕末から明治にかけての美術品ですが、これでもかと言うほど金ぴか19世紀末のヨーロッパの
貴族の目に留まり海を渡っていったのでしょうね。

さて2日目は今にも降りそうな空模様の中、開聞岳を目指して白水館を出発です。
道の駅いぶすき山川港「活お海道」に立ち寄り、昨夜の仲居さんお薦めの鰹だしと安納芋を買って出ると土砂降りになってきましたが、計画通りに進むことにしました。


開聞岳(霧島屋久国立公園)



無人駅















雨が上がりなだらかに広がる裾野の緑が目に染み渡るようなです。
薩摩富士と呼ばれており「日本百名山」にも選ばれる円錐形の美しい山だそうで、雲さえなければ
山容が見られるのに悔しいなぁ~


暫らく走っていくと一躍有名になった「池田湖」のイッシー君が現れビックリ!!!

イッシー像




池田湖(カルデラ湖)
大うなぎ(天然記念物)





















5500年もの昔の火山活動で出来た池田湖には「イッシー」がいると言って話題になったものでしたが、この巨大うなぎだったのかしら・・・
一体あの騒ぎは何だったのでしょうか?






「知覧特攻平和会館」は夫のどうしても一度見ておきたいという希望で訪れました。

石燈籠に桜並木



特攻勇姿の像「とこしえに」
















若い1036人が出撃し命を散せた遺影と、どのような思いで
書いたのでしょうか遺書や絶筆は涙するばかりです。

知覧特攻基地からは昭和20年4月1日から6月11日の攻撃
終了まで436名もの尊い若い命が体当たりの攻撃を命じられ散っていったと知りました。
やはり戦争は恐ろしく、あってはならないと強く思うのでした。


薩摩の小京都といわれる知覧武家屋敷庭園へも寄ってみました。


石垣と生垣
日本の道100選のこの通りは母ヶ岳を背景に垣が美しい!

平山亮一庭園
サツキがきれいに刈り込んであり私は7つある庭園の中で一番気に入ったお庭でした。


武家のお屋敷ですからこの石の造りの水桶はきっと馬の水呑み場でしょうか?

佐多民子庭園
だいだい7つの屋敷の門構えは屋敷内が見えないようになっており、沖縄の生垣にも似ているように見え、江戸時代には琉球貿易も盛んに行われ影響を受けているのだそうです。


今夜のホテルは鹿児島中央駅近くにあり一時間ほどのドライブですが、途中「清水磨崖仏」の
案内板が目に入り行ってみました。

十一面観音像
奈良の長谷寺のご本尊と同じ姿をしており、明治の頃吉田知山という大阪の人で延暦寺、清水寺
などで修行した旅のお坊さんで、川辺町の末吉家に宿泊し最後の磨崖仏を彫ったのだそうです。

大五輪塔
平安時代の終り頃から鎌倉にかけて彫られたもので「地・水・火・風・空」の仏教の五大を表わしています。

阿弥陀如来像
鎌倉時代弘長4年(1264)に英彦山のお坊さんが彫った像です。

清水磨崖仏群
何百年もの昔、山奥のこの圧倒される切り立った壁にこのような優しい仏さまをほり、誰かが供養のために梵字や大小の五輪を彫ったのだろうかと想いを巡らします。
ここに来られてよかったぁー。

さて夕暮れになってホテルへGO-

夕食はホテルに近い居酒屋さんで、お魚ずくしの美味しいお料理を食することが出来ましたした。
この料理は「がぶり」と言ってマグロ一匹に1個だけ取れる部分の揚げ物でお代わりお願いしたのですが、今日の仕入れは5つだけと言うラッキーな物なのでした。

がぶりあげ
早い時間でお客さんも数人と少なくお店の女の子が私達の話お相手をしてくださり楽しい夕食
タイムを過ごし、屋台村をぶらぶらしてホテルへ戻り今日の強行軍は恙無く終了しました。
 
                                          23日終りです。





2013年10月22日火曜日

鹿児島2泊3日の旅(10月22日~24日)1日目

沖縄に行く予定が思うように日程が取れず、それではと私がまだ訪れた事のない鹿児島に行くことにはなりましたが、のろのろ台風27号の影響でどうなるのやら心配しつつJACで鹿児島空港へ
出発しました。

鹿児島は晴天です、レンタカーで桜島を巡り指宿へ行く予定が「えびの高原のコスモスがきれいですよー」のお薦め言葉に乗っかりましたが付いていません農園は休園日なのでした。
あれが高千穂峰なのかなぁ?の写真だけを撮りました。

えびの高原から見る山々
牧場も多く動物好きの私はちょっと牛舎を覗いてみたいと思ったのですが、伝染病予防のため
個人の出入りは禁止されており道路からチッラと見えるだけ、一帯は牧草の畑で広々しています。


ここまで来たので「霧島神宮」にお参りする事にしました。

さざれ石


霧島神宮三の鳥居
さざれ石には岩か硬貨か分からないほど上がっていましたが「千代に八千代に」を願ってのお賽銭のつもりかな・・・

霧島神宮「重要文化財」
神代の昔より霊峰高千穂峰に鎮座すると古社と伝えられておりが、お山の噴火で炎上,また失火などにより全焼に遭われたのを、第21代藩主島津吉貴により正徳5年(1715)に今のお社が建立されています。
スプリチュアルなパワースポットとしても有名になっており、平日のおじさんおばさんの中に混ざって
若いカップルも訪れていました。


皇室用の御門




御座所














御門は皇室の御拝時と、この祭天日のみ開かれるそうです。
昭和十年、五十九年と昭和天皇が参拝の折に休息された御座所が御門の奥の木々の間から見えました。

神聖降臨之詩碑
徳富蘇峰の五言絶句が刻まれていました。
徳富蘇峰は徳富蘆花のお兄さんで、昭和18年(1843)太平洋戦争の真っ直中4月に「文化勲章」を受賞しましたが昭和21年には返上したのだそうです。

坂本龍馬とおりょうさん
二人は池田屋事件の後、伏見の港から船に乗って逃れ、薩摩邸に保護され鹿児島で傷を癒すため八十八日間の新婚旅行を楽しんだそうです。
                         

そば畑


  














桜島
「霧島錦江湾国立公園」の若尊鼻から眺める桜島です。
のどかな海は凪で台風も感じられません。


佐多街道を進んで行くと「くろずの里」福山町の壷畑が見えてきたので、私が飲用する坂元の畑を捜して訪ると、仕事中の方がいらして「くろず情報館がありますから行ってみて下さい。」と教えて
下さいました。

壷畑と桜島
太陽の下で職人さんも毎日壺の酢をかき回す作業は大変で、また熟練がいるそうです。
この光景を見て私もますます「くろず」好きになりそうです。

噴煙を上げる桜島
今も火山活動は活発で噴煙をあげ灰は目に見えるほど降ってきており、私達の前に横道から出て
きた軽自動車のボデーには灰が被り舞い上がっています。
これではどの家庭でも洗濯物の干されていない事がよく分かりました。
天気予報とともに桜島上空の風向きは主婦にとっては大事なことでしょうね。

岩石展望所前バス停
2万6000年頃前に始まったとされる活火山で、大正3年(1914)の大爆発で錦江湾に浮かぶ
桜島が大隅半島と陸続きになったそうです。
大きな岩石がゴロゴロある上には松など常緑樹が生い茂って力強さを感じさせる壮大な桜島でした。

桜島「霧島錦江湾国立公園」
鹿児島港へ向けてのフェーリーから見える桜島です。
桜島は御岳・中岳・南岳の3から成っているのがよく分かります。


一時間ほどのドライブを楽しみ指宿・白水館へ到着です。

指宿・白水館
早速目的のひとつ砂風呂へ、千葉の砂風呂では砂をかけて貰うや否や降参してしまったのですが
あれから17年が過ぎ15分は余裕なのでしたが,代謝の悪い私にUPの効果のほどは・・・



                        














食事はゆったりと静かな中でいただけ係の方もなかなか気が付く接客で美味しかったぁー

海辺の庭
浜辺に打ち寄せる漣が心地好く響いて、厚い雲の中から時折見せるお月さまを眺めながら至福の
時を過ごしました。

                                            22日はこれで終り

2013年9月9日月曜日

野崎観音(慈眼寺)

今日は久し振りのからっと晴れたお天気に夫が「野崎観音(慈眼寺)へ行ってみよう!」と言うので
出掛けることになりました。
江戸の元禄元年の頃から「野崎まいり」が盛んになり、その頃は大阪天満から屋形船で大川をのぼり寝屋川から谷田川の船の旅も楽しめたそうですが今は昔。

「野崎まいりは~屋形船でまいり~どこを向いても菜の花ざかり・・・・・」
マイクの前で不動の姿勢で歌う東海林太郎さんを夫が運転しながら真似をして歌うのでその姿を
思い出し爆笑です。

楼門
禅宗のお寺にはこのような竜宮城のような門があるのはどうしてなのでしょうか?

楼門から本堂を望む
天平勝宝今から1300年ほど前行基上人が十一面観世音菩薩像を刻み安置したのがはじまりと伝えられています。

絵馬
何が下がっているのかと思えば馬ならぬ可愛いこま犬が奉納されたものでした。
「江口の君」という女性をお守りくださる仏さまが座しておられました。
この日も可愛い1ヶ月の赤ちゃんと家族が安産のお礼のお参りした後に2歳になる女の子が私達に撮った写真を「見ちぇー見ちぇー」と携帯を自慢げ渡そうとするその所作がなんとも可愛いかったのでした。

展望台
生駒山の中腹にある「慈眼寺」の横を抜けると目の前に大阪平野が広がります。


お染・久松の塚
文楽・野崎の段「お染め久松心中物語」で知られる二人の塚がありました。
久松が野崎村から油問屋の丁稚になり娘のお染めとかなわぬ恋に落ちる物語です。

境内の野崎会館にはお染さんの文楽人形が寂しげな・・・久松さんはどこにいるのかぇー
野崎会館の壁にはイラストで今風「お染久松物語」が描かれておりました。

16羅漢
お釈迦様と16人の弟子(16羅漢)は江戸時代から河内の子供達の遊び歌として「のざきかんのん
十六羅漢、うちの親父は働かん」とおもしろく歌われていたそうです。
それだけ皆に好かれていたと言う事になりますね。

迦哩迦尊者 慈眼寺パンフレット
十六羅漢さんは昭和26年の山崩れで羅漢堂と共に流失し損傷しましたが、前住職の托鉢など
労によって平成18年に修復され仮堂に安置されておりました。
私は羅漢さんの中でも「うーん」と少し首を傾げるような「迦哩迦尊者」さんの像に惹かれました。


谷田川



参道














天和二年(1,682)に「野崎まいり」が盛んになり船で参る人庶民は土手を歩いて、古今とも参道は幸を願う参詣者で一杯になります。

毎年五月には「御本尊十一面観世音菩薩像」も開張されるとか私も「野崎まいり」をして拝ませて
いただくことにしましょう。


2013年9月7日土曜日

田舎館村田んぼアート

「テレビで田舎館村の田んぼアートを見ましたが、あなたは今年は書かないの?」と、お友達から
尋ねられ要望に応えようかなぁ・・・
夫のお友達の残暑見舞のメールに田舎館村の田んぼアートを毎年添付して下さり、余りの
素晴しさに感動した私は昨年自身のブログに出したのを、彼女が見て下さったようです。
今年も田舎館村役場の天守展望台から撮って下さった力作を拝借しました。
素晴しい!!とても稲のアートには見えないでしょう・・・

花魁
華やかな花魁姿で舞う梅沢富美男さんに似ていません。

マリリン・モンロー
モンローが地下鉄の通気孔のある上に立ってスカートが舞い上がる有名なシーンですよね。

「田舎館村の田んぼアートは他のどこよりも群を抜いて最高!!」など津軽自慢を篤く語られる
今年の作品はこれでしたぁー。
天守閣のある村役場
1993年村起しのためにと田舎館村役場の裏に始めたのが「田んぼアート」だそうです。
「製作者の創意工夫もさることながら田植えに参加した人達の熱意と努力に頭が下がります」と
仰しゃって、ご夫婦で毎年アートを楽しんでみえます。
秋にはぜひとも素晴しいアートの生を見たいと思っていたのですが残念です・・・
来年の楽しみを1つ残しておきましょう!!!